双子のような、俺とお前の話
ななしのだれかい、たい。
「ふっ……ゔぅ、ぐっ……」
痛くて痛くて、目が覚めた。
心臓が、背が、両足が、失った右腕が痛い。どこもかしこも痛くて、悲鳴をあげてしまいそうで、思わず空の右袖を咥えて、悲鳴を押し殺した。
深海を征く航行の音以外、寝静まった潜水艦――ポーラータング号の中は音がしない。そんな中、私室として用意してもらったこの部屋で、先程まで眠っていたローは身を丸めて激痛に耐えていた。
脂汗が肌を伝い落ちる。きつく閉じた目を開ければ、ベッドの柵に取り付けられたボタンが目に入った。
『何かあったらこれで俺達を呼んでください。操舵室に必ず連絡が行って、誰か来るようになってますから』
ペンギンがそう説明してくれたのを思い出す。けど、だからなんだと言うのだ。この程度の痛みなら耐えられる。ドフラミンゴに囚われていた頃は、もっともっと痛かったのだ。こんなことは、人を呼ぶようなことではない。
世界にとって異物でしかない、情けで置いてもらっている自分に、これ以上他人に迷惑をかけることなど、許されてはいない。
異なる歴史を辿った、この世界のハートの海賊団に保護されて幾日かが過ぎた。
こちらのハートのクルー達は、日々甲斐甲斐しくローの看病をしてくれる。並行世界の自分達を守れず死に追いやった、キャプテンと名乗るのもおこがましい罪深いローを、それでも見捨てたりしないでいてくれる。
そんな優しくて慈悲深い彼らに、ローは迷惑を掛けたくなかった。無様な姿を嗤うでもなく悲しみ涙を流してくれる彼らを、これ以上苦しめたくなかった。
だから、どれだけ痛くても耐える。
鎮痛剤だって有限だ。ただでさえ無駄に資源を消耗しているくせに、もっと、と望むなど自分が一番許せない。自分に使うくらいなら、こちらのクルー達の為に残しておくべきだ。
「ふーっ、ゔっ、ぐふ、ひゅっ、ゔーっ、ふーっ……」
荒くなる呼吸。止まらない脂汗。痛くて熱くてたまらないはずなのに、寒くて震えが止まらない。毛布を握りしめる指先の感覚が消えていく。呼吸が乱れて、涙が溢れて、視界がちかちかと点滅する。
それでも耐えろ。迷惑をかけるな。お前にそんな資格は無い。耐えろ。耐えろ。
「おい」
いきなり声を掛けられて、ひゅう、と呼吸が狂う。恐る恐る不機嫌な声の元を見れば、見慣れた、でも決定的に違う、自分の顔があった。
「何かあったら呼べと言っただろ、患者が自分の判断で平気だと決めつけるな」
「は……あ……」
そこに居たのは、この世界のトラファルガー・ロー、もう一人の自分だった。ドアの開く音はしなかったから、シャンブルズで入ってきたのだろう。手早く注射の準備を始める彼に、思わず疑問を口にしてしまった。
「ど……し、て……」
ボタンは押していない。声も押し殺したし、暴れて物音を立てたわけでもない。なら、どうして気付かれた?
――――どうして、彼が俺を気にかけた?
彼にして見れば、コラさんの本懐を果たせず、仲間も巻き込んだ麦わらの一味も死なせた、ドレスローザ滅亡の一因となった自分など、唾棄すべき愚かな人間でしかない。クルー達の情けで置かせてくれてるに過ぎない、そうに違いない自分を、わざわざこんな夜中に見に来る理由なんて、彼には無いはずだ。
ちら、とこちらを見た彼は、手元に視線を落としてから口を開いた。
「お前も俺なら聞いたことがあるだろう、離れた所にいても、双子が感覚を共有するという話を」
「きょう、ゆう……」
「どうやら、俺とお前もそうらしい。どこも悪くないのに痛みで目が覚めたから、様子を見に来たらこれだ」
彼がローの左腕を毛布から引き剥がす。内肘をアルコールで消毒すると、手早く鎮痛剤を注射した。
――――とんでもないことをしてしまっていた。
確かに考えれば、彼と自分は世界こそ違うが同一人物だ。双子よりも同一に近い存在なら、何かの弾みに感覚を共有してしまってもおかしくはない。
だがそれは、彼に自分の痛みを押し付けてしまったことに他ならない。なんてことだ。恩を仇で返すだなんて。
どうして、こんなにも全部がうまくいかないんだ。
「ご、め……ごめん、な、さ……」
「……謝るくらいなら次から人を呼べ。俺がいいと言ったし、うちのクルーも全員了承済みだ。遠慮するくらいならとっとと怪我を治して元気になれ」
「……ごめんなさい」
…………ハァ。ため息が一つ。カチャカチャと注射器を片付ける音。鎮痛剤の効果で急速にぼやける意識の中で、ローは何度も繰り返した。ごめんなさい、と。
迷惑ばかりかけて、負担になってばかりでごめんなさい。
早く治して、そしたらここを出ていくから。
ごめんなさい。
あなたたちの優しさに縋ってしまってごめんなさい。
いてはいけないのに、ここにいてごめんなさい。
ごめんなさい。
意識が落ちる寸前、彼に頭を撫でられたような気がした。
そんな都合のいいことを考える自分が、大嫌いで、しかたがない。
――――おれなんて、しねばいいのに。
「……そこまで、擦り減らされたのか、お前は、俺は」
限りなく同じで、けれど違う、衰弱し憔悴した己の顔。ドフラミンゴに敗北し全てを奪われた世界からやって来た、地獄に一人取り残されてしまった、並行世界の己。
喪われた右腕。心臓には所有者だと刻みつけるような、ジョリーロジャーとサインの刺繍。執拗に何度も切り裂かれた刺青。浅く切られたアキレス腱と、首や手首に残る真っ赤な枷の痕。
ドフラミンゴの元でどんな扱いを受けてきたのか、彼の体は雄弁に物語っていた。
彼には言わなかったが、ローが彼と共有したのは痛みだけではなかった。夢を通して彼の記憶、彼が歩んだ地獄をも共有した。覗き見てしまったのだ。
地面に転がる見知った者達の首。鳥カゴに細切れにされる、ドレスローザの国民達。鳥カゴに幽閉され、ドフラミンゴに手を変え品を変えて心身を凌辱され、尊厳を破壊される日々。
絶望に次ぐ絶望。終わりの見えない苦痛の記憶に、狂うかと思った。
特にローの心を滅多刺しにしたのは、クルー達の遺灰で作ったダイヤモンドと、ベポの毛皮を見せられた時だ。血に染まり八つ裂きにされたツナギを見せつけられた時よりも深い絶望の苦味は、そう簡単には忘れられないだろう。
血を吐かんばかりの絶叫をあげて飛び起き、衝動のまま強制招集でクルー全員の無事を確認するまで、ローはアレが彼の記憶か自分の記憶か判別がつかなかった。クルー達に何があったと聞かれたが、あんなもの、言えるはずがない。彼がそこまで話さなかったのも、当然の悪夢であった。
記憶を共有しただけの自分でさえこのザマなのだ。全てを体験し、逃げたくとも逃げられなかった彼が、ここまで摩耗し壊れかけても、仕方のないことだった。
『ごめ、なさ、ごめん、なさい……』
そうっと、傷に響かないように彼の頭をもう一度撫でる。ドフラミンゴの好みになるよう、髭ともみあげを落とされ髪を伸ばさせられた彼は己よりも幼く、どこか弟のようにも思えた。
痛みにではない涙を流して、うわ言のように謝り続けた、彼。
なあ、俺、生きることは苦しいか。
白い町で全てを失った頃のように、心を支配するのは絶望か。世界ではなく己への憎しみを抱えて、お前は破壊し自分を終わらせたいのだろう。
それでも。
それでも、お前はもう一度、立ち上がれるはずだ。
いくつもの記憶を共有してわかった。彼は、深く重苦しい絶望に囚われても尚、ドフラミンゴへの憎悪に支配されてはいなかった。あの男がどれだけ望んでも、あの男への憎しみではなく、失ってしまった、愛してくれた大切な者達への愛を抱えていた。
最後まで、ドフラミンゴに心を売らなかったのだ。
なら立ち上がれる。俺だからこそお前が分かる。お前は、俺は、コラさんの本懐を果たさず死ねる奴じゃない。死んでいった者達の死を、無駄死にのままにしておける奴じゃない。ドフラミンゴを倒すまで、死んで逃げるなんて、できる奴じゃない。
もらった愛に、報いる。俺達は、トラファルガー・ローは、そういう奴だろう。
なあ、俺。
脂汗と涙とその他諸々でぐちゃぐちゃの顔を、ベッドサイドに置かれたタオルで拭ってやる。顔色は悪いが呼吸・脈拍は安定している。熱が出ているので、点滴で解熱剤と抗生物質を投与する。明日はリバビリは無し、一日ゆっくりと回復させる。
彼を起こさないよう手早く作業を終わらせたローは、部屋を後にした。誰かしら彼に寄り添わせようと、操舵室に足を向ける。
トラファルガー・ロー。並行世界の俺。何もかもを奪われた、壊れかけの俺。
お前は必ず立ち上がる。傷付いた今はできないというのなら、いつかお前が立ち上がれるよう、俺達が守って治してやる。
だから、いつまでも下を向くな。
雪降るミニオン島で全てを失った俺達には、それでもまだ残っていただろう。
今まで受けた、愛が。
間もなく、夜明けの時間だ。