友達の男の子

友達の男の子


 ひんやりとした冬の空気が体温を奪い、吐息が白く煙る。寒いとは感じるが、流石に外でそれを口に出す気は起きない。

 石田は家の鍵を開け、ドアノブに手をかけた。

「おかえり石田」

 構えていても、自分の家にクラスメイトの女の子がいるのに慣れない。

 部屋の真ん中に置いたこたつの天板には教科書や参考書が広げられている。撫子は勉強をしていたようだ。

「うん……」

 ただいまと言うのが何故か恥ずかしい。確かに自分の家だが。口を開きかけるとぐうっと腹が鳴った。その音に小さく目を見開いた撫子は少し笑う。

「お互いバイト疲れたし寒かったな。夕飯温めるわ」

「ありがとう…手を洗ってくるよ」

 コートを脱ぎ、洗面台でうがいと手洗いしてから手を拭くために畳まれて積んであるタオルを一枚取る。ふわりといい匂いがした気がするので、何となく深呼吸をする。洗剤か柔軟剤を補充してくれたのかもしれない。

ーーーあのさ、いきなりやねんけど、しばらく泊めてくれん?

ーーしばらく?

 2日前なのに既に懐かしく感じる。キッチンを見ると、撫子が冷蔵庫から取り出した小鉢をレンジにセットするところだった。

「石田、お茶とお水どっちにする?」

「お茶で」

「りょーかい」

 既に撫子の勉強道具は片付けられていたので、こたつの上を拭いてから食器や箸を並べて置く。

 キャベツの千切りやトマトの上にチキン南蛮の乗った皿、きんぴらや煮物の入った小鉢、とうふとわかめの味噌汁が入った椀などが並べられる。

 狭い台所で作り置きは大変なんじゃないかとか、滞在期間の食費は全部出すと撫子は言ってくれたが、結構な金額になってるんじゃないかと心配になった。

「お米、昨日と同じくらい盛ったらいい?」

「ありがとう、自分でよそうよ」

 茶碗を受け取る時に触れた指先は温かかった。

 こたつに向かい合わせで座り、いただきます、と手を合わせる。

 夕飯を食べながら、今日のバイトの話とか、共通の友達の話なんかをする。

 撫子はガソリンスタンドで働いてるので、バイト先の先輩達の話や、仕事中に起こった面白い話を聞かせてくれた。

 目の前で撫子が楽しげに笑ってくれるだけで嬉しいと思う。勿論彼女の家族からすれば、よく知らない滅却師の家に年頃の娘を置いておくなんてとんでもない事だろうが。


――アタシ達、死神の手伝いしてるやん?アタシはケータイ持ってるケド石田は持ってないから、冬休みは一緒におったら、すぐに虚討伐の行動取れるかなって。迷惑かなぁ……。

 そんな事を言った後で、ごめん今のナシ!と言い足すように両手を合わせた撫子に、別に構わないと言った。

 確かに浦原からの連絡手段があるかないかという差はとても大きいと思ったからだ。

「石田、明日は何時くらいの帰りになりそう?」

「そうだね……7時過ぎには帰ると思うよ」

「分かった、何か食べたいンある?」

「特にはないかな」

居候の身だからと言って撫子が食器を片付けてくれている間に勉強をしようとしたその時、こたつの上の電子端末が震えた。

 ルキアの後任の空座町を担当している死神は既にいる訳で、余程の事がないと石田達にお鉢は回って来ない。しかし全くないという訳ではないのだ。

「もしもぉーし、平子です。浦原さん。ウン、ウン、おるよォ、ちょっと待ってなァ」

 横目で見遣ると、撫子と目が合った。虚の発生場所のメモを取りたいのだろう。ペンとメモ用紙を渡してやると、嬉しそうな顔をした。

「うん…………わかったわ。ほな、行ってきます」

 通話を終えた撫子は、ここやって、と呟いて立ち上がりつつ、虚の出現場所のメモ用紙を眺めている。

「どうしたんだい、平子さん」

「この辺、住宅街やからな。被害が出んようにせなアカンな」

「そうだね……」

 石田は虚の気配を探る。

「石田、今日も頼むで。さっさと終わらそな」

「ああ、行こうか。」

 そう言うと、撫子の表情が柔らかくなった気がした。


ーーー石田サン、撫子サンを預かって貰えませんか?年頃の男女が一つ屋根の下というのは問題かもしれませんけど……まあでも、何か間違いが起こったりはしないでしょうからネェ。

――何ですかその言い草は。

ーーーいえいえ。深い意味はないですヨ?撫子さんが想像していなかった事態が発生して、遅めの思春期と反抗期が丁度重なってしまいましてね。ただ、アタシは今手が離せない状態なんで浦原商店への家出は難しくて。撫子サンは少し不安定ですが、ボ…お友達の石田サンなら心配はないかと思いまして。

――ボ?そう思われているんですね。分かりました。引き受けましょう。

ーーーありがとうございます。それじゃ、よろしく頼みます。

 そういう経緯があって撫子は石田の部屋に居候していた。


「お風呂先に入る?」

 女の子にとって、後から他人の家の風呂を使う事は抵抗があるかもしれない。しかし、居候させてもらってる分際でそんな我を張るのはよくないと判断したのか、いつも確認をしてくれる。

「いや、今日は君が先に入ってくれ」

「うーん……わかった、ありがと」

 撫子が風呂に入っている間、勉強しようと思って広げていた参考書やノートの前に座り、ラジオを心待ち大きめに付け、風呂場の音を聞こえないようにする。


 正直、撫子が無防備なので石田は困っていた。長くすんなりとした脚や、浅打を握る手の、たこが出来た指先。細い首筋に、胸元から覗いた鎖骨。全てが石田の目を奪う。「駄目だ」と知ってはいたものの一度抜いた時、罪悪感が半端なく死にそうになった。

『ふう……』

 髪と身体を洗い終えた撫子が湯船に浸かる音が聞こえる。安いアパートだけあって、壁がとても薄い。

 石田は鍵と財布だけ持って家を出た。

 撫子が風呂から出ると石田の姿はなく、こたつの上には『買い物に行ってきます』と書き置きが残されていた。

 家主に気を使わせる自分は悪い女やな、と撫子は思う。

 家電も家具も、使う物しか置いていないスッキリした1Kは、撫子の荷物が増えたことによって手狭になっていた。

 石田に迷惑をかけている事に勿論気が付いている。優しいから何も聞かないし、石田が自分をそういった対象として見ていないのは分かっていたが、やはり、同じ部屋に二人きりというのは良くないのだろう。

 一護が死神代行をしていた時、ルキアは一護の部屋で過ごしていたと云っていた。仕方ないとはいえ、一護は嫌だったのだろうか。

 そう思いながらも、家にまだ帰りたくはない。母親に言われたことばが頭の中を巡って、撫子の脳内を掻き乱すのだ。

 こたつを片しながら持ってきた布団を引き、撫子は眠りについた。

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