勇者と魔獣 後悔編
chapter.10 もう遅い
……街並みの中で、チョコミント味のスイーツを食べて笑う、その子を見て。
「ああ、いいな」
あんな感じで、『平凡な』放課後を送れたら。
あんな素敵な女の子になれたら。
って、理想を思った。
それは、叶ったことだった。
ナツは変で、ヨシミは物騒で、アイリはちょっと天然なところがあったけど。
四人でスイーツを食べながら過ごす放課後が、何よりも輝いていた。
スケバンとして暴れていた頃は、暴力が全部で、カッコ良さが全てだと思ってた。
だけど、もう、放課後スイーツ部の日常が全部だった。
あそこには、全てがあった。
あそこで、何もかもが、満たされた。
そこに、最近は、宇沢もいて。
なのに。
叶ったと思った、「平凡」は。
○
トリニティ学区に、雨が降り出した頃。
「……逃がしたつもりだったんだけどな」
仮設テントのベッドで、ふたたび起きた伊原木ヨシミは、苦しげな表情で言った。
「ごめん、休み休みで、もう夜?」
「可能な限り、聞いていますよ」
鷲見セリナは、それを静かに聞いていた。
「どうしようどうしよう、って、砂糖漬けの頭で必死に考えた。
……まずナツが、自分達が『飴』を買ってるところを見せよう、って提案した」
ヨシミは、ふわふわ髪の、風邪を引いたように震える少女の方を見て言う。
「『日常に返り咲いた元スケバンが、私たちの悪事を発見する。ロマンだね』なんて、本当、どんよりした声で、言った」
「わざとカズサに見えるように、三人で、路地裏まで歩いて行って。
アビドスの売人から、飴を買って。
アイツが来たタイミングで、」
飴を口に入れたの。
ぽつりと、つぶやいた。
○
皆に、声をかけようとした。
その時には、もう、遅かったんだ。
その飴を、口に入れて。
ナツとヨシミが、幸せそうに笑った。
同じような、蕩け切った顔を浮かべたんだ。
『吐き出して!ナツ!ヨシミ!どう考えたってやばいヤツだよ、それ!』
えへー、とか、うあー、とか。
よだれをだらだら垂らしながら、笑ってる。
汚い。
汚された。
そんな感覚のまま、まだ食べてないアイリの、飴を奪った。
『あ……』
『ごめんアイリ、でもこれ、絶対ヤバい薬か、何かだって……』
『……やめてよ』
『やめてよカズサちゃん。そういうの』
優しさもかけらのない声と顔でフリーズする。
『私達、楽しんでやってるんだよ?
いけないことだって知っているけど、もう、やめられないんだよね』
『やだ、やめて、早く病院に行こう』
『やめて?私の台詞だよ?はやく、その飴を返してほしいな』
冷たい笑顔から目を逸らす。
だって、変わり果てていた。
『この飴、カズサちゃんが知ったらこうやって止めてくるだろうからやめよっか、って皆で決めてたんだよね……なんで見つけちゃうの』
汚れる。
『あ。カズサ、これ食べる?』
『食べないっ。皆も食べないで……』
『……え、つまんな』
ゆがむ。
『私だって別にそんな綺麗な子じゃないよ?こうやって依存症になっちゃうくらいには汚れてる』
やだ、やめて、そんなことを言わないで。
『……アイリ、』
『その眼、やめて?』
『私は、ただ、こんな危ないこと……』
『あのね、美味しいの。……うん。あんな歯磨き粉みたいなの、どうして好きになってたんだろうね、アイリ』
『あっははは、分かるわ』
『ふざけ…………』
『きゃっ!?』
胸ぐらをつかんで壁に叩きつける。
こんなやり方しかできない時点でもう駄目だ。
『っあ!?』
『何言ったかわかってんの!?やめてよ、そんなこと、言っちゃ、ダメ……!』
『………………カズサちゃん、離して?』
手を離してしまう。
もうダメだ、って思った。
自分がやってしまったことにも。
『……ねえ、カズサちゃん。カズサちゃんって、そんなに偉いの?人の好みや大切なんて変わるのが普通なのに、それに口出しする権利とか、ある?』
アイリは、笑顔で聞いてくる。
大切が、壊れる。
変わらないと思っていたものが。
落としてしまった、ケーキのように。
あっけなく、崩れていく。
『権利とか、何とか、じゃなくて……』
あはは、と皆は笑う。
おかしそうに。楽しそうに。
いつの間にか奪っていた飴玉の包みを剥がしながら、彼女は。彼女たちは。
いつか。
チョコミント味のスイーツを、美味しそうに食べていた『平凡な』女の子は。
放課後スイーツ部の、みんなは。
『カズサちゃん、今まで楽しかったよ』
もう、どこにも、いなかった。
『……っ』
理路も何もない、無茶苦茶な、心をざらつかせるだけの言葉。
それに何も言えないままでいる自分を置いて、アイリは、飴玉を口に運ぶ。
しあわせになってしまった。
わらってしまった。
『ぁ』
もう、無理だ。
説得できない。
『もう、勝手にして』
逃げた。
○
アイリは、しんどかったと思う。とヨシミが言うのを、セリナは静かに聞いていた。
三人の中でも、顔色が最も悪い黒髪の女の子は、「ごめんね」と、時折うめいて、青白い顔に脂汗を浮かべていた。
ヨシミは、手を震わせながら気丈に笑う。
それが、本当に痛ましかった。
「本当、バカすぎ。……なんで、」
それは『砂糖』のせいだ、という言葉は気休めにもならないことをセリナは分かっている。
自罰心は、何があっても、消えない。
だが、やはり、『砂糖』が悪いのだ。
人の体を、心を、関係を、ぐちゃぐちゃにしてしまうのは、やはり、それなのだ。
思いながら、言いたくても、ただ、聴く。
「一つ、お伺いしても良いですか?」
「いいよ」
「その、腕章について」
「……この腕章をつけて戦えば優先的に砂糖を貰える、ってシステムだった。
スイーツは買えたけど、飴玉は高くてダメになって、それで『転入』した。
……バカだよ、本当」
本当に、悪辣なシステムだ。
これで、どれだけの人が、重症者になったか。
「……で、ドンパチして、砂糖もらって、砂糖、それから塩入りの料理も振る舞われて、どんどん落ちてった。
カズサへの罪悪感も、日に日に薄れていきそうだったけど、アイリの貼り付けたような笑顔見て、どうにか、それで正気を保ってた」
「で、ある日、……トリニティを襲撃する、って話が出たの。
砂糖漬けになってたから、私たち、『カズサと会えるかな』なんてこと、ほんと、呑気に言いながら、車両に乗り込んで」
○
再会した彼女達は嬉しそうだったけど、すぐに表情を消した。
自分の敵意がわかったんだろうな。
今さら、何も出来なかった私になんて、会いたくもなかったんだろうな。
○
「アイツの顔、泣きたそうにしてて。
……正気になったよ」
「私達がやってたのは無駄な自己満足だって。
……でももう、何もかも手遅れだから、敵だってアピールしながら襲いかかった」
○
『人は糖分が不足すると思考が停止する』
嫌だ。
『つまり、これから起こることは全部あなたが悪い』
ごめん。
『糖分欠乏症になった獣は恐ろしいからね、排除させて貰うよ』
ボロボロの、ふらふらの足取り。
争奪戦の時の精彩は、見る影もなくって。
○
「……本当。自分達から突き放しておいて、楽にしてもらうなんて。
虫が良すぎて、笑えない」
○
あの時、無理にでもやめさせていれば、こんなことにはならなかったのかな?
手を伸ばしていれば。
逃げずにいれば。
○
「アイツ、撃ちながら、言ってた。『ごめん』って、『いやだ』って。……笑ってると思ったけど、実際は、もう、叫んでた。
全部、私達が、そうさせた。
でももう、全部、」
○
終わったことでしかない。
○
「……」
「くっ!!」
カズサはアリスの右手を銃で逸らし、ガラ空きの脇に連射する。
アリスは一瞬ひるむが、しかし、左手に持っている冷蔵庫のガラス扉を押し付けてきた。
「……ッ、しつこい──」
防弾ガラスなので割れない?知るか、こういうのは同じところに当て続ければ問題が───
「ぁ」
ふと。
カズサの眼は一点に吸い寄せられた。
そのガラス扉には、チョコミントフラッペのポスターが、貼られていた。
『カズサちゃん、これ食べよっ!美味しいよ』
『お、ここにはマロンもある……』
『ロマンとか言い出さないわよね?』
都合いいものを思い出すな、
───そんな理想はもう撃ち壊した!!
アリスがシールドがわりの扉を捨てるのを見る。訳もなく腹立つ自分に苛立った。
「……誰にも、人は殺させません。
だからカズサ、あなたに負けません」
だから、何だこいつは?
知り合ったばかりのくせに何眠たいことを吠え立てている?
『杏山カズサ!見つけましたよ!!』
都合よくダブらせるな。
宇沢はもう終わってしまった。
『「平凡な」あなたを守らなければならないので!』
出てくんな!!
「───ここであなたを止めます!!」
「無駄だって、言ってる……」