「剣の導き」

「剣の導き」




『誰からも好かれるように、お淑やかにしなさい。』


「はい、お母様!」


『俺の名に恥じぬよう、立派になれよ。』


「はい、お父様!」


『しなさい。』『しなさい。』『しなさい。』


「はい。」「はい。」「はい。」


生まれてから自分の意見が求められた事など、一度だって無かった。ああしろこうしろと、両親は私に要求してばかり。たまに言いつけを破った時には何度も何度も叱られ、その後には長期間厳しい目を向けられた。そうして私は両親に逆らう事を辞めた。

これで両親を恨めれば良かったのかもしれない。怒って反抗して、家を飛び出してしまえれば楽になれたんだろう。だが、私に向けられた無数の『束縛(ことば)』が、彼らなりの愛なのだと分からないほど、自分は愚かでは無かった。

…いや、両親に怒れなかった理由はそれだけではなかった。私が、最も腹立たしかったのは──


『あんな程度の低い連中と付き合わないで。ゆりねちゃんみたいな子と遊びなさい。』


「…はい。」


『ゆりねちゃんもピアノを習い始めたって?良かったじゃないか、先輩として教えてやるといい。』


「……はい。」


花園ゆりね。私の幼なじみ。近所で同じ時期に生まれた子。

彼女は人懐っこく、そして賢い子だった。初めは私の真似をしているだけだった食べ方は、気づけば完璧なテーブルマナーになっていた。私の後ろをついて回っていたのが、気づけば沢山の人とにこやかに話すようになっていた。

私と同じように賢く、私と同じようにお淑やかで、何処に出しても恥ずかしくないような女の子。

それが、それが私は。


『ピアノ、とってもたのしいね!』


「…………そうね。」


──心の底から憎かった。


彼女は普通の家庭の生まれだった。親から大層な教育など受けていない。過度に期待もされていない。

だというのに彼女は、私と同じ存在になっている。私が苦しんで、もがいて、俯きながら歩いている道を、彼女は後ろからニコニコと着いてくる。そんな彼女を、両親は大層評価していた。


ふざけるなと言いたかった。どうして苦しんでいないんだ。どうして心底楽しいという表情で、私の隣に立てるんだ。


「やあやあ、そこのクソガ…お嬢さん。」


憎い。憎い。憎い。この世の何よりも貴方が憎い。


「魔法少女っていうのに、興味ない?」


貴方を■せるのなら私は、私は──




「──はっ!?」


目を開けると、そこには見慣れた天蓋があった。


「時間っ、7時!!」

すぐさまベッドから飛び起き、急いで身支度を始める。珍しく随分寝過ごしてしまった。何か変な夢を見ていたような気もしたが、遅刻の危機の前では些事だ。そんな失敗をしてしまえば、父から小言が飛んでくるのが眼に見えている。


「いってまいります!」

遮二無二家を出る。まだ走れば間に合う時間だ。


走りながら、幼馴染の彼女の事を考える。…正直、憎たらしくて堪らない彼女、花園ゆりね。今日も通学路に彼女の姿は見えない。ここ4日ほど彼女は登校もしていないらしく、何でも親や学校が事情を聞こうとしても何も話さず、彼らを振り切って連日何処かへ出かけているらしい。


(反抗期か何かか、でもあの子がねぇ…)

正直、突然の彼女の行動には彼女の両親より誰より、私が一番驚いた自信がある。一昨日初めて事情を聞いた時は、驚きすぎてお吸い物を吹き出してしまった。

彼女が「良い子」でなくなるなんて事態は、それぐらい信じられないものだった。


(…あら?)

考えながら必死に走っていると、何か違和感を感じた。立ち止まって辺りを見ると、それが見慣れた道のようでいて、そうではない事に気づく。あちらにはよく見る家が見えるが、隣の家は違う。あの電柱はこんな道に立ってはいなかった筈だ。そんな既視感と違和感が混ざり合ったような奇妙な景色が、目の前に広がっていた。


「道に迷った?何か変だけど、とにかく戻らないと…!」


──もしもし、そこの人


「え?」


振り返って道を戻ろうとすると、声が聞こえた。

穏やかな女性の声。何処かからではなく、その場全体から発せられているような揺らいだ声。


「…なんですか、あれ。」


──それが私だよ。


振り返ると、さっきまで無かった物が唐突に現れていた。

道の真ん中に刀が横たわっている。あまりにも異質で、違和感だらけの景色の中でも一際異彩を放っていた。


「…貴方が話しているんですか?」

──そうそう、私は…しがない名無しの刀さ。

「どうやって話してるの…?」

──さあね、私自身よく分かってないのさ。


軽い調子で刀は話す。なんとも不可思議で怪しいものだが、どこか毒気を抜かれるような雰囲気だ。


──私の事は置いといて、どうやら君は道に迷っているみたいだね。

「っ、そうでした。早く道を戻らないと!」

──ああ、それじゃあ出られないよ。

「えっ!?」

──一度迷い込んだら、ここからはなかなか出られない。君の世界とは位相が違うのさ。

「位相が?じゃあどうすれば…?」


──君一人じゃあまず出られない、だから私が協力しようってことさ。

事も無げに刀は話す。やけに親切で、流石にうさん臭く思えてきた。


──何故そんな協力するんだという顔だね?簡単な事さ、刀は一人じゃ動けないんだよ。

「私に、貴方を外へ運んでほしいという事ですね?…本当に出られる方法を知っているんですね?」

──勿論。話が早くて賢い子は好きだよ。

「…では、持ちますね。」


刀の持ち手に触れ、そのまま持ち上げる。意外にも刀って重いなと思いながら、慎重に刃先を外に向けて構える。

「それでは、お願いします。」

──いやあ有難う。僕は誠意には誠意で答える刀だ、精一杯案内させてもらおう。

そうして喋る刀の案内で、奇妙な空間での珍道中が始まった。



刀さん(そう呼んでくれと言われた)はおしゃべりで、その上なかなかの聞き上手だった。なんでも彼女は、気づけばここにいてずっと人を待ち続けていたらしい。動くことが出来ないのに出方が分かるのは、感覚が人と違うからだろうと話していた。

彼女のが話すように、私も自分の事をあれこれと話した。成績の悩み、クラスの子たちと話が合わない事、そして──幼馴染の事。

刀さんは思うところが有るのか、ゆりねの話を熱心に聴いてくれた。人間の関係って難しいんだねぇとぼやいて、あれこれとこちらにアドバイスをしてくれた。…そういえば、どうして刀さんは人間関係についてなんて語れるんだろう。もしかして、元は人間だったりするんだろうか?


そうして歩いていると、景色に見慣れた物が多くなってきた。もうすぐ出られるのかも、と思い少し足取りが軽くなった時。


「──ン?」

「ゆり、ね?」

目の前に、その幼馴染が立っていた。



「…ゆりね。」

「………。」


ゆりねがいる。ほんの4日間だけのはずなのに、久しぶりに会ったような感覚。

…そうだ、刀さんにどう接したらいいかとか、相談したんだっけ。

私が苦しいのに笑う人。

私を惨めにさせる人。


私が


私が


憎くて憎くて憎憎憎憎憎憎憎殺す殺す殺す切って殺す殺す殺す切って切って切って切って切って切って切って切って切って殺す殺す殺す殺す殺す殺す


『殺してしまえばいいんだよ、そんな憎たらしい子なんてさあ。ね?』



「──死ねぇぇぇぇえええ!!!!!」

「────」



一閃。



「……え。」

──は?


何かから覚めたような感覚がして、目の前を向くと刀を構えたゆりねが立っていた。


綺麗だと、思った。凛と真剣を構えた姿は今まで見た事が無くて、人懐っこい表情が欠片もない冷たい目が、どうしようもなく美しく見えた。


「私、何を、今…殺すって…」


そうだ、自分は今何をしようとした?ゆりねを見た瞬間、彼女が憎くて憎くて仕方なくなって、殺してしまえばいいと誰かに囁かれて。

…囁かれて?


「まさか…!?」

「あーあー大体分かった。全部お前の仕業なんだな?」

──何だ、何が起こったんだ!?弾かれた!?

「え、ゆり、んえ!?」


ゆりねからそんな乱雑な言葉、聞いた事も、ええ??

…何だかもう何が何だか分からない。

私を置いてけぼりにして、ゆりねと刀さんが話し続ける。


「お前の事は遺から聞いた。希代の天才詐欺師サマの悪意の部分だって?色々あってステッキに魂持ってかれて、残った身体があのデカい赤子なんだろ?」

──何なんだお前、あの小娘の知り合いか!?お前のような奴、僕は!!

「お前が私を知るわけねぇだろ。碌に他の奴と戦う事もなく、遺にポッキリ砕かれたんだからなあ?」

──黙れ小娘!何をした!?何故彼女から離れている!?

「単に刀で弾き飛ばしただけだ。素人の握り方ならそんな事朝飯前だ。」

──何故だ!僕の魔法は!?

「…剣で負けたのがそんな不思議か?お前、遺から言われた事覚えてないのか?」


「『お前の剣には、技術はあっても基礎が足りない。上っ面だけ取り繕って、覚悟もなく振られる剣に私が遅れを取ると思ったか?』」


──意味が分からない!!そもそもどうしてここが!?

「喚くな喚くな、もう知る意味も無いだろ。ほら、もっかい死ね。」

──まっ


ぱきん、と言う音と共に、声は途絶えた。刀を振るう所は見えなかったが、ゆりねが破壊したんだと思った。

…話の詳細は何も分からなかったが、刀さんが悪い奴だったらしい事は理解した。


「つまんない奴だったな。知ってたけど。」

「ゆりね、貴方今まで何を…。」

「ん?」


改めて向き合うと、以前と全く雰囲気が違うことに気づいた。にこやかで人懐っこいなんて言葉とは正反対で、呆気らかんとしつつ何処か刺々しさを感じるような、野生動物みたいな気配。外見が一緒なだけの別人と言われても信じてしまうほど、全く変わった幼なじみがそこにはいた。

私と目を合わせた彼女は、ニカっと笑って言う。


「全く、色々ちょうど良かった。ほら、行くぞ。」

「えっ?」

「お前を連れて行きたい所があったんだ。兎に角来てくれよ。ほら、ほら!」


快活に笑って、彼女が私の腕を引こうとする。そんな笑顔を見て──


また、私の中に憎しみが灯った。


「──ッ、馬鹿にしないで!!!」

「……?」

「…今更何よ、今更、反抗期のつもり!?ずっと、ずっと私の真似をしてきた癖に!!もう良い子でなんていたく無いからって、そんな簡単に捨てるの!?あんなに積み上げてきた物を!!私が…私があんなに…自分を捨ててまで、歩いてきたのに…」


許せなかった。ずっとずっとお淑やかで賢くて良い子で居続けたのに、今更反抗期だか何だかでそれを捨てる事が。彼女が、彼女自身が積み上げて来た物を捨てて、それに何の価値も無かったように今、屈託なく笑っているのが。──まるで、私の今までの人生すら否定されたような気がして。


そうだ、私は彼女が憎かった。でも、彼女の存在が誇らしくもあったんだ。私が身につけた振る舞いを、後を追うようにして身につけていく彼女を見て、私は間違ってないんだと思えた。彼女が褒められれば私が褒められたように嬉しかった。私の後を着いてくる彼女が、私の歩く道を肯定してくれているから、私はここまで来れた。


なのに、なのに。


「何なのよ、今更、どうして…」

「……アタシはさ。」


ゆりねが口を開く。その声はやっぱり今までと違ってぶっきらぼうだけど、何処か優しかった。


「殴り合うのが好きなんだよ。」

「…え。」

「殴り合い、斬り合い、まあ要するに戦いだ。私は2歳ぐらいの時にその『好き』に気づいた。目に見える存在全てと、命の削りあいをしたくて堪らなかった。」


「だかまあ、それじゃあ生きていけない事もアタシは分かってた。人間ってのは、集団に馴染まないと生きていけない。だからアタシは、ずっとそれを抑え込んできた。」

「嘘、貴方が暴力を振るった事なんて、そんな事一度だって…」


私だって、ずっと良い顔ばかりしていた訳じゃない。人に両親の愚痴を漏らす事はあったし、物に当たった事だって何度もある。でも、彼女がこんな事を言ったり、まして誰かを殴った事なんて一度だって無かった。


「…アタシも全部諦めてた。私の『好き』が受け入れられる事なんて無いんだってさ。ずっと自分抑え込んで生きていくんだって。」

「…でも、違った?」

「ん、まあ色々あってな。」


彼女は腰に携えた刀を見て、そっと撫でた。…どうやら彼女は、剣術で自分の欲望を満たす事が出来たという事らしい。


「…だからその、何ていうかなあ。人生、最初から諦めるもんじゃないんだなって。何か不満とか不安があったらそれを何とかしようしたら、案外何とかなるもんだって気づいたんだ。」

「何、とか…」

「お前もさ、今までに色々思う所があるんだろ?だったらさ、ちょっと踏み出してみようぜ?私ですら何とかなったんだ。アンタなら何処へ行ったって生きていけると思うぜ?」


そう言って、彼女は手を差し伸べた。


ずっと、私の後を着いて来ていた。気づいたら彼女は、私の後ろから逸れて何処かへ走り出していた。今までずっと歩きたくも無い道を歩き続けたのに、彼女はそこから踏み出した。後ろにいると思っていたのに、気づいたら先を行かれていた。


私も踏み出せば、彼女みたいになれるだろうか。彼女みたいに──眩しく、笑えるのだろうか。


「──ッ。」

「…ああ、そうこなくっちゃな。」


差し伸ばされた手を握る。ずっと歩いてきた道から、踏み出す。


とてもとても、重い一歩だった。


「んじゃ、行くか。」

「…え、行くって今から?今日学校「今日は休め!」えっちょっと!!待って、無断欠席は流石に!!」

「せっかく踏み出したんだから良いだろ!!」

「というか何処に!?まさか剣道場?私剣術とか、やった事ない!!」

「大丈夫だ、アンタが割と戦いのセンス有るのアタシ知ってるから!!」

「何で!?」



それから、何故かゆりねと一緒に同い年の子から剣術を習う事になったり、誠さんという子供(?)と交流を深めたり、親と生まれて初めて大喧嘩する事になったりするが…それはまた別の話。


…ただ、毎日が少しだけ楽しくなったのは確かだ。


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