到底許されないこと
※ホビワニルートの話
「クロ、クロ……ごめんね。可愛い弟を忘れてしまうなんて、私は酷い兄だ。こんな愚かな兄を許してくれるかい?」
誰のおかげかホビホビの能力が解除されて数分。キャメルは真っ先にクロコダイルの元へやって来た。撫で心地の良さそうなワニのぬいぐるみから人体を取り戻したクロコダイルは、羽交い締めにでもされそうな勢いで抱き締められていた。
流石にこんな状況でまで砂になって逃げようとするはずもないというのに、兄はいつものように武装色をまとっていた。逃がすまいと手を回す兄の背を、クロコダイルは軽く叩いてやった。
「あぁ、ごめん。苦しかったかな」
また見当違いなことを言って兄は自分から離れてゆく。
そこで初めて、普段は吊り上がっている兄の目元が不安と緊張で揺らいでいることに気づいた。
「……情けねェ面しやがって」
「クロはいつも通りみたいで安心したよ」
キャメルは、ふっと柔らかい笑みをクロコダイルに向けた。
「……それじゃあ、行こうか」
──このふざけた能力をお前に使った人間の元へ。
そう言った兄からは、既に表情が抜け落ちていた。
兄の中で何かが決まったのだろう。
そしてこれから何が行われるのか、クロコダイルは知っていた。
◇◆
自分から離れないように、と兄に念を押されたクロコダイルは半身を砂にしながら兄のあとに続いた。
しばらく王宮内を走って立ち止まった兄の目の前には、お目当ての人物が部下であろう数人を侍らせていた。
齢十歳ほどにしか見えない少女はキャメルを視界に捉えた瞬間に一歩後ずさった。
「あぁ、そうだった。相手は子どもなんだったね」
「ま、また懲りずにオモチャにされに来たの? 今度は兄弟そろって──っ!」
キャメルは深く深く溜息をついて、ゆっくりとクロコダイルの方を振り返った。
「いいかいクロ……子どものしたことだ、それが自分にとってどんなに許し難いことだとしても……」
幼子に言い聞かせるようなその言葉の続きは、聞かなくても分かっていた。両親を殺ったときも、天竜人を殺ったときもそうだったから。
兄という人間はクロコダイルには一般論を説き、その道を歩かせようとするくせに、自らはそれを破ってみせるのだ。己を反面教師にでもしろと言うように。
しかし今回はいつもと様子が違った。こういうときの兄は穏やかに話してみせるのだが、今、兄の声色は確かに怒気をはらんでいて、そして──。
「……ああ、めんどくせェな。これは学ぶな」
些か投げやりな物言いだった。
今のは兄が言ったのだろうか。いや、確かに兄が言ったのだろう。崩れた前髪を右手で雑に撫で付けながら、兄は自分に向けてそう言った。
初めてだった。どれだけ記憶を遡ってみても、兄のその見た目には似つかわしくない柔らかな口調が崩れたことなど一度たりともなかったはずなのだ。
それが、どうして。このタイミングで。
「今からお前を端から刻んでやる。まずはその悪い御手手からだクソガキ」
子どもに向き直った兄の表情はもう分からない。
怒りとともに、肌に突き刺さるような覇気が溢れ出ているのを兄は自覚しているのだろうか。
愛鋏を軽やかに鳴らす兄の目の前にいるのは、戦意などとうに失っている少女一人だけ。
「ひっ……た、たすけ──」
ジャキン、と宣言通りに鋏はシュガーの、まずは右腕を狙った。しかしそれは腕に到達する前に阻まれる。
「フッフッフッ! 随分と余裕がねェようだな、オニーチャン」
「そりゃテメェの方じゃねェのか、鳥野郎。こんなガキ一人に国盗りの要を任せるから一瞬で瓦解する。ざまぁねェな」
「やりようは幾らでもあるさ。少々力業にはなるが……こんなアクシデントは問題にすらならねェ」
「言ってろ。どのみちテメェの悪趣味なお人形遊びに付き合ってるほどコッチはヒマじゃねェんだ」