初恋泥棒猫
オンボロ寮の監督生という言葉が指す人物は二人いる。
ひとりは、黒髪ロングの知的な美人のニコ・ロビンさん。スタイル抜群で身長も寮長より高く(ヒールを履いているからか更に大きく見える)、その上魔法じゃない不思議な能力が使えるらしい。
だが、イグニハイドでは監督生は専らもうひとりのほうを指す。
オレンジの髪のこれまたタイプの違う美人のナミさん。気が強そうで見るからに陽キャって感じ。イグニハイドと対極のような存在で、でも何かとイグニと関わりがある人。
というのも、ああ見えて気象学や測量関係に相当詳しいらしく、あの寮長と話し込んでいたのも何度も目撃されている。
一生関わらない類いの人種かと思えば、寮長と話せるレベルで専門的な知識を持っている。なんというかバグみたいな人だ。住む世界が違いすぎてちょっと怖い。
まあでも、自分みたいなモブが接点を持つことなんて無いだろうし、きっと要らぬ心配だろう。
なんて思ってたのに、全然普通にイグニハイドにいる。ただ見かけただけなのに驚いて身体をビクつかせてしまった。
青基調のイグニ寮だと明るいオレンジ色はとても目立つ。なんかきょろきょろしてるっぽいから誰か探してるのかもしれない。
「あっ、そこのあんた!」
そして普通に話しかけてきた。えっ、これ自意識過剰じゃないよな? 周り誰もいないもんな?
「えっ、あっ、ど、どうかしましたか……?」
死ぬほど吃ってしまう。女の子と話したことなんてミドルスクールでも記憶が無いから、こればかりはどうしようもない。
オレンジの髪を軽く揺らしながらこちらに近づいてくるナミさん。
うおっ顔ちっちゃ目でっかスタイル良っ!
近くで見ると凄く美人なのがより分かる。てか、ロビンさんと並んでるところしか知らなかったけど、ナミさんも身長高いな。ヒールも込みだけど普通に目線が一緒だ。緊張して全然目見れてないけど。
「ちょっと大丈夫?」
「アッ、スイマセン……えっと……あの、か、監督生さんはどうしてここに……?」
近くで見て感動してたら目の前に来てくれたナミさんに怪訝そうな顔をされてしまった。コミュ障の陰キャで本当すいません。
「ナミでいいわよ。監督生じゃロビンも呼ぶとき困るでしょ?」
おふたりを同時にお呼びする機会なんてありませんが?
初対面でいきなり名前呼びは怖すぎる。これが陽キャ式コミュニケーションなのか。
「ゃ……でも、あの、いきなり名前呼びは失礼じゃ……」
陰キャ特有の変な返ししてしまった。名前呼び許可してくれてるのにその発言は逆に失礼だろ。
きょとんとした顔をするナミさん。脳内だと名前でちゃんと呼べるんですよ。てか、そんな顔もかわいいですね。
「……? ……ああ、名字ってこと? ごめんなさいね、私名字無いのよ」
想像以上のド失礼をかました。やばい、これはやばい。
普通に考えればニコ・ロビンさんは名字も名乗ってるんだからナミさんが名乗らないわけないだろ。明らかに事情ありに決まってる。やばいってこれ、視野狭窄がすぎる。
咄嗟に謝るが、本当に気にしていない様子で返される。
もしかしてあっちの世界では名字無い場合も普通にあるのか、謝ったほうが失礼だったのでは、と無限に脳内反省会を開いていると、ナミさんが顎に綺麗な手を当てて考え事のポーズをとった。何やっても似合うなこの人。
「呼び方ね……一応二つ名として『泥棒猫』はあるけど、あんまり呼び名っぽくないわよね」
えっ、二つ名とかあるんだ。流石海賊、かっこいい〜。
「うーん……悪いけど、思いつかないからやっぱり名前呼びにしてもらえる?」
真の陰キャは満足に相槌すら打てない。カラカラに乾いた喉から音を出せずに必死に首を縦に振る。
「そういえば、本題の用事なんだけどイデアかオルトいる?」
「あっ、寮長は緊急の会議でオルトと一緒に……」
「なるほど、だから何処探してもいないのね」
ちょっと悩むような仕草の後、パッとこちらを向いてナミさんはにっこりと笑う。後光でも差しているのかと思うほど眩しい。
「ね、伝言頼んでもいい?」
「ハヒ……」
かっこ悪すぎる返答をしながら伝言の内容を一言一句間違えないように必死に暗記する。もう何をするにもいっぱいいっぱいになってしまっている。
「よろしくね」という言葉とともに、ぱちんと効果音のしそうなウインクをして去っていたナミさん。
寮を出る直前に振り返って小さく手まで振ってくれて、ドギマギしながら手を振り返す。
まるで嵐のような人だった。
今までの十と数年の間、二次元にしかときめかなかったはずの胸が未だにバクバクと大きな音をたてている。
ん……? おい、まさか、これって、嘘だろ。
確かに女の子と関わったことはろくに無いけど、たかだか数分の会話だけでなんて自分のことながら陰キャくんチョロすぎないか。
ナミさんのことを思い出そうとすると顔がかあっと熱くなる。こんな事故みたいなことってあるかよ。
「は、初恋泥棒猫……!」
海賊ってこわ〜……。