初代聖女と護竜

初代聖女と護竜

ノーライスチャーハン


「綺麗な景色ね……こんな場所があったなんて知らなかったわ。ありがとう、アルベル」


 人間の力では到底登りきれないような巨大樹の上、クエムは傾きかけた日の差し込む景色をじっと眺めていた。その横顔と瞳に映る景色を、僕はじっと見つめる。


「な、何かしらアルベル。そんなにじっと見つめて」

「いや……気になっただけだ」


 最近になって、僕は自分で自分のことがわからない。とても数えきれない程の時を過ごしてきたというのに、クエムと出会ってたった一年足らずで、僕の停滞した日々は粉々に打ち砕かれた。まるで自分が内側から作り変えられたようだ。


「……ねえ、ちょっと昔話でもしないかしら? 私達、もっとお互いのことを知るべきよ」

「そんなこと知って、いったい何になるんだ?」

「何かになるわけじゃないのだけれど……相手のことを知れたら、ちょっと嬉しくならない? 私はなるわよ、とっても」

「そういうものなのか……?」

「そういうものよ」


 うまく理解はできないが、一応の納得の意思を示して頷く。


「じゃあ、言い出しっぺの私から話すわね。ゴルゴヌーザが故郷なことは、前に話したわよね……」


 遠くを見るような目になったクエムは、ぽつりぽつりと彼女の過去を語り始めた。


「私は生まれつき、不思議な力が使えたの。生物の傷を癒す力……。使いすぎると、ばたって倒れちゃうんだけどね。そのせいで私は、神様のご加護を授かった特別な子供だーって、ドラグマのみんなに期待されちゃって……」


 クエムの顔からは、いつのまにか笑みが抜け落ちていた。今まで見せたこともないような、泣き出してしまいそうな表情だった。


「間違えちゃだめ、逃げたらだめ、弱音なんてもってのほかだって……ドラグマの人達もみんないい人達だから、私も頑張らないとって思ったの。今日まで、何とか失敗せずに生きてこれたけど……時々思うの。みんなは私を見てくれてるのか……って」


「……僕にはわからないよ、人間の事情なんて。だから、何かをしてやれる訳でもない」

「いいえ、私はあなたのおかげで助かってるわ。いつもありがとう、アルベル」


 にこりと、いつも通りにクエムは笑う。目の前の誰かにために自分の全てを投げ捨てることのできる、儚くて慈愛に満ちた笑顔だ。


「んーっ……話を聞いてくれるだけでも、すっごい楽になったわ、すっきりした!」

「……そうか」

「じゃあ、次はあなたの番ね。話してくれる?」

「……ああ」

「い、言いたくない事があるなら別に大丈夫よ、無理強いは……」

「いや、言うよ。でないと不公平だ」


 遥か昔、何十年過ごしたかすら思い出せないほどの、悠久の停滞の記憶を紐解く。獣を狩り、邪竜の討伐に来た人間を追い返し、己の縄張りで眠りにつく。ただそれだけの、ひどく短い永遠を。


「僕は、ずっとひとりだった。竜の誇りも、生き方も知ってるのに……親だけは、何も思い出せないんだ」

「……! そう、だったの……」


 誰にも話したことのない孤独を、僕はぽつりぽつりと語り始めた。


「昔の事はよく覚えていないんだ。ただこの地で獣を狩って腹を満たし、縄張りを広げては眠りにつく。本当に、それだけなんだ。竜として、僕は誇るべき生き様を貫いてきた。……ずっと、そう思ってた。でも、世界はそれだけじゃないって、君達と接してるうちに思えてきたんだ」


 誇り高く、万物より優れ、悠久の時を生き続ける。それが竜だ。対して人間はどうだ、脆く弱く儚く、その一生も驚く程に短い。でも、支え合うことで計り知れない力を発揮できる。

 僕はどうしようもないくらいに、人間に焦がれているのだ。


「……僕は、人間として生きるべきなのか? それとも、竜として生きるべきなのか」


 人間への敵意も竜の誇りも今だけは捨て去り、縋るようにクエムに尋ねる。


「……どっちでもないわ。人でも竜でも、私は構わない」

「…………え? どういうことだ、クエム」


 訳の分からないことをクエムは言う。尋ねると、クエムはにこりと笑い、僕の手にそっと自分の手を重ねた。


「簡単よ。あなたはアルベル。少し怒りんぼで、ご飯を食べるのが好きで、文句を言いながらでもいつも私を助けてくれて……。誇り高いのも、人間が好きなのも、あなた自身がそうなんでしょう? どんな生まれでも、あなたはあなた。私の大切な人、アルベルよ」


 胸中に立ち込めた霧が晴れたようだった。

 そして、僕はやっぱり人間が好きだ。こんなに面白い種族なんて、他にないだろう。

 いや、人間というより、僕はクエムを――


「……なあ、クエム」

「ええ、クエムよ。どうしたの?」

「何で、僕のことを気にかけてくれるんだ? どうして、そんなに僕なんかに構うんだ?」


 名前を呼ぶと上機嫌になったクエムの顔が、耳の先まで赤く染まってゆく。


「それは……ひ、秘密にしてもいいかしら」

「はぁ? 気になるじゃないか、言えよ」

「ダメ、ぜったいダメ! 恥ずかしいから」

「なんででだって、おいクエム!」


 やっぱり、人間はよく分からない。






 ある日の夜更け、二人で夕ご飯を食べた私の部屋の机。


「すぅ……」

「おやすみなさい、アルベル。……こうして見ると、年相応の子供みたいね。なんだかかわいい」


 私の真横には、すっかり眠りに落ちてしまったアルベル。それもそうだ、彼は狩猟の手伝いや木材などの運搬、国の護衛から私の個人的なわがまますら全てひとりでこなしているのだ。

 元々人間に慣れていないであろう彼は、この街で人の姿で暮らすことさえ息苦しいはずなのに。


「……起きないわよね」


 あまりにも無防備な姿のため、少々イタズラ心が刺激されてしまう。そろり、そろりと人差し指をアルベルの顔へと近づける。ぷるぷると震える指で、起こさないように気づかれないように、そーっと。


「えいっ」


 ちょん、と彼の鼻先に指を触れさせる。


「さ、触っちゃった……! 意外と柔らかいのね……!」


 何かイケナイことをしているようで、背徳感に少しだけ興奮してしまう。だが好奇心は収まるどころか昂ぶってしまい、彼の整った顔立ちを弄る指は止まらない。頭を撫で、頬に手を当て、唇に指を――


「む……」

「ひゃあっ! 起き、て……ないみたいね」


 アルベルが寝苦しそうに体をよじる。が、起きてはいないようだ。ごめんなさい、と心の中で謝り、指を再び動かし始めた。――申し訳ない気もするが、もうちょっとだけ許してもらおう。

 あと、明日はちょっと豪華なご飯を持ってこよう。


「ふぅん……柔らかい……あ、さらさらしてる」


 ほっぺたをつつく。皮膚は少し硬いようだが、つんつんと押し込むと柔らかく指が沈み込む。今度はさらさらの赤毛を触る。

 彼が自分の細かいお手入れをしているとは思えない。が、ドラゴンは人間と代謝が異なるのか、汗がベタついたり臭ったりはまったくない。


「むぅ……ズルいわよ。私なんて、毎日毎日お手入れ大変なのに」


 不満を込めてほっぺたをむにーと引っ張る。よく伸びるが、私の筋力では寝ているアルベルに気づかれもしない。


 初めて会った時も、アルベルは竜の姿で眠っていた。が、私が近づいた瞬間すぐに目を覚まし、仰々しい言葉で脅かしてきたのだ。

 人の姿でも、彼の五感が鈍っている様子はない。彼はこんなに鈍感だったろうか――


「……もしかして、私に心を許してくれてるの……?」


 意識した瞬間、頬がかーっと熱くなるのを感じた。


「ないないない、第一あのアルベルよ、あのアルベルがそんなわけ……」


――きっと疲れが溜まりすぎてただけ、きっとそう。

 自分なりに結論をつけて、鼓動の速くなった心臓を落ち着かせる。すーっと息を吸い、はーっと吐き出して深呼吸。


「……ねえ、アルベル。今日言ってたわよね、何でいつも話しかけるのか、どうしてそんなに自分に構うのかって……」


 すやすやと眠る誇り高き竜に、私はぽつりぽつりと言葉を続ける。アルベルは目を覚ます気配なんてちっともなく、ただゆっくりと呼吸を繰り返すのみである。


「もし、一目惚れだったなんて言ったら……あなたは驚いてくれるかしら」




 コンコン、と扉をノックする人影がひとつ。


「クエム様……クエム様? 確認したい件がございまして、少々お時間よろしいでしょうか……?」


 ドラグマの住民が目撃したのは、眠りに落ちたアルベルと、彼に寄りかかるように眠るクエムだった。

 たちまちドラグマ中の噂になったのは、言うまでもない。


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