凪と雪と鬣犬
「このかぜは――♪ どこからーきたのと――♪」
お姉ちゃんの歌を聞きながら、その膝に頭を預けて私は微睡んでいた。
時間は大体昼過ぎ。
ドレスローザで再会出来てからというもの、お姉ちゃんはいつもこうやって私を甘やかすのが恒例になって、私も甘えるのが癖になってしまった。
10年以上玩具だったせいか、その歌は少し舌足らずで幼さがある。
でもその歌はずっと昔に聞いたお姉ちゃんの歌そのままで、頭を撫でられながら聞いているとすぐに眠くなってしまう。
お姉ちゃんの歌に耳を傾け、睡魔に逆らわずゆっくりと瞼が落ちる。
すると不意に視界が広がった。
狭い船室だった場所が、青々とした草原へと変わる。
勿論、これは現実ではない。
ウタウタの能力によって作り出された精神世界、ウタワールドだ。
生まれた時から共にありながらホビホビの影響で10年以上操る事の出来なかったこの世界は、時折このように無意識で人を誘うことがある。
現実の彼女は妹の意識がここに来ていることにすら気付いていないだろう。
お姉ちゃんもうっかりしてるなぁ、と苦笑して、反射的に飛び起きた。
自分しかいないはずの世界に自分以外の気配がある。
お姉ちゃんはまだ自由にウタワールドに入れない。 共に乗船している船員の気配でもない。
武器はない。ゆるく拳を握り、この異常事態の原因に目を向け、ぎょっとして目を見開いた。
青白の長髪、黒いパンツスーツ、毎朝鏡で見る菫色の瞳。
二人の私が驚いた顔で立っていた。
・・・・・・
「どっどうぞ」
「ん、ありがと」
「ありがとうございます……」
草原には場違いな丸天板のテーブルにデザインの違う椅子が三脚。
腰かけた二人の自分に『アド』は紅茶の注がれたティーカップを渡した。
これらはすべてウタワールドの力で生みだされたものである。
主のいないウタワールドは、その権限のある程度が内部にいる者に譲渡される。
今までの経験で『アド』はそれを理解していた。
テーブルと紅茶は『アド』が出したものだが、椅子はそれぞれが実体化させた。
つまりここにいる三人は、少なくともウタワールドの仕組みを同程度には理解している、という事である。
紅茶で唇を湿らせながら二人を横目で観察する。
一人は『アド』よりも髪が短く、肩にかかる程度で切りそろえている。
身長は10cmほど高く、肉感的で女性らしい体つきだ。
ヘラヘラと笑みを浮かべ、楽観的な性格が見える。
もう一人は腰に届くほどの長髪で、前髪も左目がかろうじて見える程度。
あまり健康的とは言えない『アド』よりも小柄で、線も細い。
異様な青白さもあって不健康の極みの様な様相である。
「えっと、まず、質問なんだけど。
私はアド、あなた達の名前は?」
「えー偶然。私もアドだよ」
「アド、です。私も……」
『アド』は思わず天を仰いだ。
精神世界であるウタワールドを通じて異なる自分と出会ってしまった。
全く理解も納得もできないが、そう考えるしかない。
「それじゃ、えー、私たちの認識のすり合わせをしたいんだけど。
私の父親は赤髪海賊団の皆、お姉ちゃんのウタと双子の姉妹」
「私もそうだよ。お姉ちゃんは最近まで玩具だったけど」
「あ……それって、ホビホビの能力、ですよね……?」
「そうそれ。嫌な能力だよねー」
家族構成は--ついでに過去の出来事も--同じらしい。
楽観的なアドがヘラヘラと笑いながら、口をつけず手に持ったままのティーカップを『アド』に傾け、先を促した。
「えっと、じゃあ能力。シャンクス達が海賊から奪った宝箱に紛れてた悪魔の実を食べちゃった、だよね?」
「え、海賊……? 海岸で見つけた、けど……」
「私はシャンクス達といるときは食べてなかったな。賞金稼ぎしてる時に見つけて、お腹空いてたから食べちゃった」
あれ、と顔を見合わせる。
「私はナギナギの実を食べたんだけど、もしかして……」
「私は、ユキユキの実です。自然系の……」
「えー羨ましい。あ、私はネコネコの実を食べたんだ。モデルはハイエナ」
「ユキユキ、と、ネコネコ……あ、ひょっとして紅茶を飲んでないのって……」
『アド』改めナギナギアドはユキユキアドとハイエナアドのカップを見る。
ハイエナアドは先程と変わらず手に持ってはいるが口をつけてない。
そしてユキユキアドも両の指先で摘まむように持ち上げているだけで飲んではいない。
てっきり他の自分を警戒しての行動かと思ったのだが。
「そだよ、猫舌なんだ。熱いのダメなの」
「私も、熱いと溶けちゃって……」
同じ過去を持っているはずなのに、こうも分かりやすい違いがあるのか。
ナギナギアドは思わず驚嘆のため息をついた。
不意にハイエナアドが籠一杯のクッキーを出現させテーブルに置いた。
「多分だけど二人とも、お姉ちゃんが寝ないと戻れないんでしょ?
折角だから色々お話しようよ。 私も知りたいことあるし」
ハイエナアドの言葉にナギナギアドは小さく笑って、ユキユキアドははにかんでクッキーに手を伸ばす。
さて、次はどんな話をしようか