(凛ちゃんくらいの歳の頃の兄ちゃが雨の中で落ち込んでるやつ。なおこの女の人はガチで入水をしに海に行くんだけど、そこで新しい男に命を助けられて色々あり真実の愛をゲットするので大丈夫です)
ざあざあと雫が降っている。
スペインにも雨季はあり、地方にもよるが主に春先がそうだ。
水で濁った視界はまるで空間を丸ごとアクアリウムに作り替えられたようで、思わず、自分の脚が魚の尾鰭になっていないか確かめてしまった。
人魚がこの世にいたとして、海の暮らしでもサッカーの文化は産まれているのだろうか?
「“貴方のせいで私は王子様と離れ離れになって、これから海の中で泡として消えるの”……か。女王様と呼ばれちゃいるが、『隣の国のお姫様』なんて配役を押し付けられたのは初めてだったな」
濡れ鼠ならぬ濡れ女王様になるのも気にせず、冴は公園の石でできた階段に座り込み呟く。
思い返すのは数十分前の出来事だ。冴に愛しい男の心を奪われてしまったという哀れな女が、死装束を思わせる真っ白なワンピース姿で傘もささず別れを告げに来た。
男との別れ、ではない。人生との別れ。即ちこれから死ぬのだとわざわざ言いに来たのだ。
あるいは小憎たらしい恋敵へ怨嗟の1つでも吐いておきたかっただけで、本当に身投げするつもりなど無いのかもしれない。
それでも貴方のせいで死ぬのだと微笑みながら言った女が背を向けた時、冴はもう2度とこの女と会うことがないのを感じ取ってしまった。
女は泣いていなかったけれど。代わりに無数の水滴が、まるで涙のように地面を叩いて──。
「──あぁもう、ほんとウゼェ」
それ以上を思い出したくないから、冴は体が雨に打たれる面積を広げるように両手を横へ伸ばして寝そべった。
階段はベッドじゃない。当然背中が痛いし、水溜りがなみなみと衣服に吸い込まれて不快だ。そういった体の気持ち悪さが、心の消化不良を誤魔化してくれて結果的には心地良い。
曇天を見上げる。酸性雨が全身にへばりついてくる。体の芯から冷える感覚。だが頭はもっと冷えていて、その温度に早く体も追いついて欲しいと思った。
そうなってしまえば、体を温めた時に心の冷たさも解消できる気がするから。
ちゃぷん、と耳元で幻聴が鳴る。
きっと今この瞬間、王子様を失った人魚姫が海に還ったのだ。
誰も刺し殺せぬ優しさ故に。