冷たい唇

冷たい唇


女が死んだ。忍界最速と謳われた千手扉間という女傑も多勢に無勢だった。平和の為に赴いた雲隠れで命を落とすことになるとは何ともあの女も報われないものだと思う。弟子を逃がす為に囮となったらしいが彼女一人であれば俺の弟を屠った術で逃げ遂せることも簡単だったろうに。兄の柱間に似てなんとも身内に甘い女だった。死にかけの体で何とか里に帰ってきたあの女は弟子に火影としての引き継ぎをし、それらが終わった瞬間力尽きるように亡くなったらしい。何とも仕事人間だったあの女らしいことだ。ふと、女の顔が見たくなった。柱間の妹で弟の仇で、短い間だったが俺の妻だった女の死に顔を見てやりたくなった。その顔は夢半ばで命潰える絶望に満ちた顔だろうか。それとも弟子に全てを託せた安堵に満ちた顔だろうか。捨てては行ったが女は自分のものである。最後の顔くらい拝みに行ってやろうと思った。


棺の中からは生命力に溢れた千手らしいチャクラの流れは最早感じられない。ただ冷たい骸が入っているだけだった。彼女の弟子達が代わる代わる遺品整理をしながら葬式の準備を進めていた。里の混乱が落ち着いてから式を執り行うつもりのようだ。その日は丁度うちはのカガミの番であった。カガミはイズナが可愛がっていた部下の倅だった。うちは嫌いの気があったあの女がカガミを取り立てたのはあの女なりの贖罪だったのかもしれない。生きていたらイズナがしたであろうことを女なりに代行しようとしたのだろう。生きてさえいれば弟はカガミを可愛がったに違いないのだから。そういうところが腹立たしい。俺が里を抜けた時にはまだ幼さの残る顔をしていたがすっかり精悍な青年になったカガミに気付かれないように幻術をかける。勝手知ったる屋敷に忍び込むのは簡単なことだった。元々ここは自分の屋敷なのだから。


庭の蝋梅も屋敷の中も手が行き届いていた。イズナや父様の為の仏壇も絶えず供養してくれていたようで女の几帳面な性格が垣間見えるようだった。女は稀代の術の開発者でもあった。無限月読の計画に使えるものも何かしらあるかもしれない。棺の中の死に顔を拝む前に女の私物を漁ることにした。女の禁術の類は兄柱間の手によって厳重に保管されている。屋敷に残っているものはそう危険性のないものばかりだった。その中にはいくらか優良な術もありそれらを写輪眼で写し取っていく。そうやって女の部屋の隅々を漁ると月をあしらった箱を見つけた。箱を開けるとそこには弟子が描いたであろう女の似顔絵や兄嫁のミトが贈ったであろう渦潮の螺鈿細工の首飾りが入っていた。幼い頃に亡くなったと聞いていた柱間と彼女の弟達の遺品らしきものも入っている。女の大切な物をここに入れていたのであろう。箱を探っていくと箱の一番底に封じ込めるように更に小さな螺鈿細工の文箱が入っているのを見つけた。文箱の中には取るに足りないものばかり入っていた。


ボロボロの塗り薬の缶に古びた書き置き、口紅、そして彼女の日記。「夕飯前には帰る」、ただそれだけの取るに足りない書き置きを女はどんな気持ちで保管していたのだろうか。何度も何度も帰る、ただそれだけの一文をなぞっていたのだろう。そこだけ傷んでいた。ボロボロの塗り薬はよく見ると気まぐれに自分が女に贈ったものだった。冬場の水仕事で傷んだ女の手が見るだけで痛々しかったから贈っただけのもので特別なものなどでは無い。口紅だって政略結婚の折に義務的に贈っただけのものだ。取っておく価値など無い。ガラクタばかりだ。


彼女の日記を開く。淡々とその日あったことばかり書かれている。庭の蝋梅が咲いたとか弟子が大きな任務から無事に帰ってきただとか本当に面白みの欠片もない日記だった。それでも時折筆が震えていることがある。それは柱間の命日だったり、可愛がっていたアカデミーの生徒の若すぎる死を惜しむ一文で。あの女ときたら忍らしく感情を押し殺すのは文章でも変わらないらしい。自分だけの日記なのだから紙の上だけでも思い切り悲しめばいいのに何とも不器用な女だった。日記を捲るうちに毎年空白の一日があることに気づいた。 気づいて後悔した。毎年空白のその日はうちはマダラが公では死んだとされる日だった。女の愚かな健気さに形容し難い感情が込み上げてくる。お前はそんなにいじらしい女じゃないだろう。感情の乱れでチャクラが荒立つ、それに反応したのか日記がパラパラと勝手にめくれていく。そうして開いたページにはいつだったか贈った蝋梅の押し花の栞が挟まれていた。白紙のそのページに女の慣れ親しんだ字が綴られていく。俺のチャクラに反応しているらしい。白いページには女らしくない、感情的な書き殴ったような字でこう綴られた。


大バカ者


日記を握りしめ棺のある部屋へ向かう。庭の蝋梅がよく見える部屋だった。女の入った棺を開く。傷だらけで未だ死化粧だって施されていない女の顔はやはり志半ばで潰えた後悔の顔ではなく満足気な顔をしていた。傍から見れば報われない最期だというのに後悔なんて何一つありませんと言った誇らしげな顔だった。女のボロボロの髪を整え、白粉を塗り文箱から取り出した紅を女に塗ってやる。


「馬鹿はお前だ」


唇は酷く冷たかった。

Report Page