再教育
ミレニアムからのスパイが目を覚ました場所はアビドス高等学校の一角…アビドスに忠実な戦力の拡充のために設置され、浦和ハナコに任された"補習授業室"の中だった。
(頭が重い…)
私は曖昧な意識のまま自分の状態を推察し始める
(さっきは確か奴に薬を吸わされて…ボーッとするし気分が悪い…!その影響か?)
目を開き、周囲に誰かがいてもバレない程度に体を動かして理解できたこと、それは──
今、私は椅子に座った状態で拘束され目隠しをつけられているということだった
「おはようございます♡気分はどうですか?」
「触るな!!!!」
「やん♡」
頬に手を添えられる感覚と浦和ハナコの声
咄嗟に出た拒絶の言葉の勢いに自分でも少し驚くが、あの砂糖の離脱症状の凶暴化のせいだと理解して歯噛みする
「ふふ、そうは言っても目隠しをつけたままだと触らないと確認できませんから…♡
…ここ、何がついてるかわかりますか?」
顎を指で触れられる、そのまま指が首から鎖骨の上をなぞって左腕まで降り…前腕の一点で指が止まったとき、鈍痛と異物感が私の体に生じた
「わからないみたいですね…貴女のここには点滴の針が刺さってるんですよ♡お砂糖とお塩の点滴が一つずつ…♡
さて、ここで改めてお願いです
ミレニアムから寝返って、私たちに従ってください♡」
ゾクリと背筋を悪寒が支配する
血中への直接投与…ジャンキーしかいないようなアビドスでも、ほとんどの生徒は飲食やスニッフィングによって薬を摂取している
その方法を好んで行うのは、一応はアビドスに学籍を移していながらも登校すらせずに快楽に耽溺しているような一握りの廃人のみだ
だが、それでも
「私は脅しには屈しない!お前たちの薬にもだ…!」
「そうですか♡ごゆっくり♡」
彼女が点滴の弁を開けたのだろう、すぐに身体中の血管が冷やされるような感覚と共に蕩けるような浮遊感に精神を支配される
さっきの粉の吸入とは違い、意識があるままに現実感がなくなっていく感覚、おそらく投与されたのは鎮静剤である"塩"のほうであり…そして、その効果は先程の強制的な吸入とは比べ物にならないほど強かった
「…ぅ、あ……!!」
「C&Cを初めとした精鋭、戦闘用機械群、優秀な頭脳の持ち主達…ゲヘナ、トリニティに比べ被害の拡大していないミレニアムなら多少強引にでもこちらに攻め込めるかもしれない…なのにどうして貴女はこんな目にあってるんでしょうね?」
「……やめろ」
くすくすと笑いながら魔女は呪わしい言葉を吹き込んでくる
しばらくハナコの言葉責めに耐えていると、どこか現実感のない頭も落ち着いてきた
「ふふ…♡私たちとしては貴女の定期連絡の頻度とか、盗聴機を仕掛けたかとかも知りたいですね…♡」
「誰が言うか…!やめろ!弁を開けるな!!」
冷静になったはずの頭がすぐに弾け、高揚感と多幸感に包まれて不愉快なはずなのに笑いが堪えられない
ミレニアムの方針や作戦を決定している者達は私情と殺意で動いていること
三大校の連合を組んだものの、一般生徒は上層部と違い士気が低いこと
誰も私たちの存在など知らないこと
湯だった脳をくすぐるように囁かれる言葉から必死に意識を背け続ける
「喋ってくれればお仕置きは受けなくて済みますよ?」
「…わかった、もう話すから…だからもうやめて…」
これは本当にまずい、効果が強すぎる
正気を失う前に一旦価値のない情報をできるだけ選んで……
「ダメですよ♡まだ"言っていいこと"を考えてるじゃないですか♡これでもっと欲望に正直になってください♡」
「あ゛ぁぁぁっ⁉︎だめっなんで!なんで!!?やだ!!もう無理、なのにぃ………!」
見透かされている、絶望に叩き落とされてすぐにまた浮遊感がやってくる
まるで思い通りにならない自分を遠くから眺めているような奇妙な意識の中、私は興奮作用と鎮静作用が交互に働かせ続けられることの残酷さを理解した
ハナコの元にやってきた生徒の楽しげな笑い声
説得という名の精神をへし折る囁きの数々
既に寝返った一年生のスパイからかけられる憐憫
交互に繰り返される別種の酩酊と共に、優しく精神の柱がすりつぶされていく
怖い
投薬が繰り返されるたびに、彼女の声が聞こえる度に、自分の"自分"がおかしくなっていく、失われていくのがわかる
「やだ…やだぁ…もうこれ以上は…なんでもしますから、もう点滴やだ…!」
ぐすぐすと年甲斐もなく涙を溢し、砂糖漬けの花のような香りを漂わせる彼女に懇願する
そうして仕掛けた盗聴器も今までの連絡も、ミレニアムの知りうる限りの内情も吐き出し終えたころ
目隠しが外された
「ありがとうございました、怖かったですね〜♡よく頑張りました♡」
いつぶりかもわからない開けた視界に薄暗いが目に優しい部屋の様子が映る
そして目の前では彼女が慈母のような笑みを浮かべていて
「頑張った子にはご褒美が必要ですね♡」
彼女は慈母のような笑みのまま、二つの点滴の弁を開放した
「……え?」
脳が理解を拒む
そしてすぐに脳に今まで味わったことのない法悦が叩きつけられた
「ぅあ゛……!あ゛ぁ……!!やべっ、やべで!!!これ無理っほんとだめなやつだから!!!!!」
話したのに、協力したのに、なんで
まるで心臓が半分の大きさに縮み上がるような感覚、苦しいはずなのにどうしようもなく幸せの頂点に達したまま降りてこれない
乖離した心と体がぐちゃぐちゃになって、目を見開いて背を反らしても僅かに拘束が軋むだけ
「自分が消えちゃうような感覚が怖いんですね♡大丈夫、貴女はここにいますよ…♡
ちゃんと抱きしめていてあげますから…♡
だから身も心も委ねて…♡ここだけが貴女の居場所だって覚えて下さい♡」
「んぃあ゛あ゛〜〜〜……ッ!……」
言葉通りぎゅっと抱きしめられた体がわずかに輪郭を取り戻す
息が止まりかければ背を摩り、意識を失いかければ声を掛け…
二つの点滴の袋が空になるまで、ハナコ様はそうして下さっていた