全ては怪異の掌の上

全ては怪異の掌の上


 

 重いものが崩れ落ちる音。手に握られたものの重み。

 男の心臓はやり遂げた歓喜とできてしまえたという驚愕で早鐘のように打ち鳴らされていた。


 その日、男は一体の怪物を殺した。


「ッハ、はぁ、あ、ゔ、」

 男は獣のような声を発しながらナイフを振るい続けている。おぞましくも美しい銀の怪物に何度も何度もナイフを振るう。首、腕、指、足。あらゆる所に刃は通る。見た目は人である怪物は見事に寸断され、ぶつ切りにされた肉の塊となっていった。


─────


 男はどこにでもいるような人物であった。退魔の家系というわけでもない。特殊な退魔の術が使えるわけでもなかった。

 家にたまたま人ならざるものに効果がある古めかしいナイフがあるだけの、たまたま人ならざるモノが見えわかるだけの、たまたま人ならざるモノにどう切り口を入れたらいいか直感でわかるだけの、そうやって人ならざるモノにナイフを刺し込むことに悦びを覚えるだけの、

「そんなどこにでも、いる、だけの、男」

 男はそう自己を定義しながら、日々の生活の合間に『悦び』を行った。ナイフを刺し込み口角を上げながら、男はあぁ良かったと思う。人にこれをやって悦びを覚える人間でなくてよかった。人に害をなすモノを相手どっているのだから、これはきっと良いことだ。この行為に『悦び』を覚えることはなんの間違いでもない。男はそう思っていた。

 男はそれでも自らの実力を弁えていた。自分は結局のところその道のプロではない。あくまで道楽の範疇を出ない。だから。本当に存在する、本当に恐ろしいモノは殺せない。相手どることさえできないだろう。直感に優れている男だからこそ、そのラインは理解していた。


 そのように確かにあった線引きを超えてしまったのは、チャンスが来てしまったから。

「君には良い才能がある」

 世に隠れ住む人ならざるモノを退けることを生業とする組織。それに目をつけられて、本来であれば踏み込むことのないチャンスを与えられてしまったから。

「バックアップは我々がしよう」「場所も我々が整える」「強大で恐ろしい、銀の怪物」「君のその手で」

「殺してみたくは、ないかね」

 こうして男は超えてはならない線を越えた。


─────


 男は走っていた。逃げていた。どこに逃げればいいのかもわからないまま、ただひたすらに走っていた。

 結論から言うと男は怪物を殺すことに失敗した。違う。確かに殺したのだ。殺したけれど、殺せなかった。そうとしか言いようがない有様であった。

 男は大きなものを手にかけたという満足感のまま笑っていた。男を差し向けた協力者も遠隔から式神を使いそれを見ていた。近くで物音が鳴り両者がふと目を離したその一瞬。両者が怪物だったモノから目を離したその一瞬。その一瞬の合間に、


 ぶつ切りになっていた肉塊と周辺の血痕は、一切残らずその場から消えていた。


 男は動揺した。理解ができなかった。式神の形をした協力者に助けを求めた。式神の向こうの声は少し唸った後考え込み、「ご苦労だった」と言い残して一瞬で燃え尽き灰となった。

 男はこの瞬間、自らは捨て駒として利用されていたのだと理解した。この場所へ来るまでの手助けや誘導はあれど、今この場には誰もおらず援助が遠隔で行われていたのはそういうことだったのだとこの瞬間に気づいた。全て手遅れのことであった。


 男は逃げ出した。

 死にたくないと泣き喚きながら、逃げられるわけがないと理解しながら、利用した相手を心底憎みながら、今まで引いていた一線を越えてしまった自分に今更気づきながら、ただただ帰りたいと願ってひたすら走った。

 これは夢だ。悪い夢だ。帰ってただ眠りたい。そうすればいつもの朝が来てくれる。そうして日常に戻れる。男は現実逃避の戯言を思った。


 『仕事』の始まりだった頃黄昏色だった空は暗くなり、すっかり夜となっている。空には星が瞬いていた。この時間はまずい。良くない。男はそう焦りながら息を切らせて走り続ける。

 ばちばち、と音を立てて街灯が点滅した。ガードレールが道なりに続いている。ふと見ると、白く続くガードレールの途中が不自然に途切れていた。

「………?」

 途切れているのではない。誰かがガードレールに軽く寄りかかるような形で立っている。黒い服を着たそのシルエットが夜の闇に溶けていて、途切れてしまっているように見えただけだった。

「………………ぁ、」

 男は息を呑んだ。心臓があの時のように早鐘の如く打ち鳴らされる。だが、そこに歓喜は一切なかった。呼吸が浅くなる。音を立ててはいけないのに全身がうるさい。冷や汗が止まらない。

 いるわけがない。あそこにいるわけがない。だってアレは自分が殺したのだ。自分が殺した。楽しかった。嬉しかった。人生で一番気持ちが良かった。だってあんな強大な人ならざるモノを手にかけるなんて、この世の中で最大の快楽に決まっている!それを自分は確かに味わったのだ!!

 ……でも、アレは、殺してバラしたのに、ぶつ切りの肉塊にしたのに、何故か姿を消して、そこに、居てもおかしくなくて。そこに。今、そこに。

 一人の人影が、男を待っている。

「あ、あぁあ………」


 すらりと長く伸びた漆黒の影。

 頭から足まで純黒の姿。

 闇に混じる銀は黒鉄のようで、


「……………銀の、怪物…………」

 男がその手で確かに殺したモノが、道の先で男を待っていた。


「………あァ」

 銀の怪物は気怠そうに、しかし確かに獲物を狙う目を男に向けた。ガードレールから身を離し、足音を立てて男へと歩んでいく。頭、腕、足。その姿形に何一つ欠けはなかった。

 男は声も出せぬまま銀の怪物から離れようとして身を翻して───自らの背後に、もう一人別の男が立っていたことに気がついた。瞬間、弾けるような音がする。

「………………え、」

 男は地面に崩れ落ちていた。漂う火薬の匂い。男の手の中の鈍い光。そこからうっすらと漂うもの。熱を帯びていく自らの足。銃で撃たれたのだと、男は理解した。

「ひ、あ、ああぁあ、ああッ……!!!」

「……情けねえ声上げてるんじゃねえよ」

 引き攣った声を上げる男に、発砲した怪物の相方はどこまでも冷えた目を向けた。サングラスで目は見えないはずなのに、そうであると感じるほどに怪物の相方の纏う空気は冷え切っていた。怪物の相方は雑に男を蹴り仰向けに引っくり返す。兄貴、と呼びかけると銀の怪物はそれに応じて近寄り、男が隠し持っていたものを初めから場所がわかっていたかのように取り出した。

「あ、あ、それ、は」

「…………成程。よくもまあこんな古いモノが残っていたもんだ。これなら確かに治りにくい」

 銀の怪物は男が隠し持っていたもの───男が愛用していた血のついたナイフをじっくりと見つめる。治りにくい、と言った通りナイフを持つその手首にはぐるりと巻くように薄く傷跡が残っていた。

 男は戦慄する。治りにくいと自認した上であのバラバラの状態から、この怪物は一日にも満たない時間でほとんど回復してきたのだ。


 銀の怪物はナイフを持つ手に僅かに力を込める。翡翠の色をした目が焔の色に変わるのと同時に、ナイフは黒い炭となりぼろぼろと崩れ落ちた。焔の目が笑みを模る。呆けたようにそれをただ見ていた男を、怪物の相方が踏みつけた。

「何ぼんやりしてやがる。自分が何したか、わかってないわけじゃねえだろうな」

「お前はその道の者じゃねえ、とんだド素人だ。……お前の背後には必ず誰かがいる。俺を殺す時にもハエを一匹連れていただろう?見捨てられたようだが」

 男は全身を覆う恐怖に気が狂いそうになりながら、せめて目を逸らそうとして空に目を向ける。そして気づいてしまった。


 ───空にひとつも、星がない。

 確かに瞬いていた星が全く存在していない。黒のペンキで塗りたくられたように一色の闇が広がり、街を走っていたはずだったのに男と怪物達以外の音は一切存在していなかった。

 まるでこの世界には他に何も存在していないよう。


「気付いたか」

 銀の怪物が嗤う。気づかなければまだ夢を見られていただろう、と嘲笑うように。

 そう。男は、全てに絶望し諦めながらも一抹の夢を見ていたのだ。


(街中で銃の音がしたなら、もしかしたら誰かが気付いたかもしれない)

(音に気付いて、誰かが駆けつけてくれるかもしれない)

(警察を呼んでくれるかもしれない)

(もしかしたら、もしかしたら、)


 そんな、最初から叶うはずもない夢を。


「此処には他に誰もいない」

 銀の怪物を再び見てしまったあの瞬間から、全ては怪物の掌中にあったのだ。


 此処は銀の怪物の世界。

 黒に沈み、黒に染まり、引き摺り込まれた者以外何ひとつ存在しない。

 助けは来ない。そんなものは無い。

 声は届かない。聞く者がいない。

 此処はただの終焉の地だ。


「兄貴の世界は色々違うものが多くてなァ。………例えばホラ、時間の流れとか」

 怪物の相方が笑いながら男の撃たれた足を叩いた。男は痛みと恐怖に呻く。

「失血死できると思ったか?せめて終わりに逃げられると思ったか?残念だったなあ。まだまァだ時間がかかるのさ。ここでは、な」

 怪物の相方は実に楽しそうに───そしてただただ憎いと言わんばかりに、倒れた男の脇に屈み込み笑いかける。

 銀の怪物は立ったままその光景を見下ろしていた。聳え立つ影の如く、冷え切った翡翠の目を向ける。


「たっぷり俺たちと、話をしようじゃねえか。聞かせてくれるよな?お前と、お前の後ろのモノ。知っていること、全てだ」


 今宵の宴はどこまでもどこまでも長く。

 まだ暫く、終わりそうにはなかった。


─────


 日常の側には怪異が潜む。

 もしそれに気付いているのなら、もしそれを認識しているのなら、ある一線だけは越えてはならない。


 それを越えたら奈落の底。

 生きては戻ることはない、全ては怪異の掌の上。








─ ─ ─ ─ ─


おまけ

(長いので時間ある時にでも)


・ジンはどんな怪異だったか

→スレ最序盤の方の特定の怪異の名称が付いてないあの時のイメージ。それにプラスして生死の境目が殆ど無いに近いような印象。殺すことはできるけど、生死のラインが無いに近いので死→生に一足跳びで即座に戻れるような感じ。なので劇中のジンは一度死んではいるけど、肉塊の状態の時には普通に生の状態になっている。


・ジンが殺されたこと

→このジンは生死の境が無くほぼ不死みたいなものなので、あえて殺されて相手の出方見るという行動をとる。今回も自分を殺そうとしてる奴いるなと認識した上でわざと相手の舞台に乗ってるし、男のバラし方見ながらこれはプロではないなとか近くにいる式神の作りの癖とか見てどのへんの退魔組織か考えたりしている。殺したと思いこんでる時間は安心して油断してるので情報収集に良い。ウォッカはジンがこの手段取るのが凄く嫌。

この手段はジンが人外であると認識してる相手のみにとるので基本捜査機関相手にはとらない。赤井さんあたりはただ殺しても意味のない相手だとなんとなく察してるかも。


・肉塊ワープの裏事情

ナイフが特殊なためすぐ再生できない→即回復尋問予定から切り替えて一時待避を選ぶ→ジン(肉塊状態)がポルターガイスト的なことして音を立て目を逸らさせ、無観測者状態にして場所転移→近くのウォッカ待機させてるセーフハウスの一室に移動→別室から物音がしたのでウォッカ警戒しながら様子見にくる→部屋に散らばる一面のぶつ切り兄貴

この後ぶつ切り兄貴が50%兄貴とかになって再生する過程(なおまだ少し傷残ってる)とか見てるのでウォッカは心底キレている。なので一際じっくり時間かけてお話しする。


・男

人外殺しの才はあった。あっただけの男。

良い感じの切り口の直感は人外の人間における頸動脈的なもののポジションを直感で掴めるようなそんな感じ。

此処で一線越えなくてもどっかで踏み外してやっぱり死にそう。危うい。


・ナイフ

男が本当にたまたま手に入れた極上の古いアーティファクト。切れ味はいいが何よりの嫌らしさは回復をひたすらに遅らせること。兄貴レベルの怪異じゃなかったら二つに分かれた体がそれぞれ生きてるのに断面が再生しなくてくっ付かないとかそんな感じになる。

ちなみにナイフにがっつり血が残ってたのでジンはそれを追跡して来た。男がジンの一部を身につけていたようなものなので、ジンの領域にも簡単に引き摺り込むこともできたのである。普通はもう少し手間がかかる。


・男を使った組織

退魔組織。歴史が浅く若く愚か。

なかなか良い感じに育ってきたから名高い銀の怪物倒してみようぜ!試しに組織外のやつ使って様子見してみようぜ!とか調子乗ってた。この後全滅する。当然の末路。


・怪物

男も組織もジンがどういうものか認識しきれていないので呼び方がズレている。兄貴は怪異。最初から全てを見誤っていた証。



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