先代大公

先代大公

ノーライスチャーハン


大霊峰の高山の頂、黒き鱗を陽光に照らさせる雄々しき龍が一体。そして、ひと回り小柄な体躯の子龍が二体。


「叔父上!」「叔父上殿!」

「グワッハハハ! よくぞ手柄を上げたな、承影、龍淵!」


大きな掌で、俺と承影の頭をがしがしと撫でるのは、黒い毛並みと鱗、長い髭を伸ばした誇り高き龍にして我らが首領だ。


「いいえ、叔父上の武の賜物です!」

「この霊峰を平定できたのも、叔父上の強さゆえです!」


先日、我ら龍の種族は、この霊峰に棲まう全ての種族を下し軍門に加えた。そして我等は今、霊峰の力の源泉である『氷水』との接触を果たした。


「そういえば叔父上、氷水の女王とやらが『契約』とやらを持ちかけておりました。なんでも、氷水の力を顕現させる術があると」

「さらなる武の高み……ハハ、唆られるな」


好戦的に呟く叔父上に首を振り、氷水が持ち出してきた契約とその条件とやらを話す。


「ですが叔父上殿……奴等はやたらと秩序とやらを重んじるのです。我ら龍族にも、正式な首魁を……大公、とやらを決めろと」

「だが龍淵、秩序は大事ではないか? せっかく戦乱が終わったのだ」

「ふむ……承影、龍淵、どちらか大公に就く気はあるか?」


俺と承影は顔を見合わせ、こくりと頷いた。


「いいえ、大公には叔父上が就くべきと愚考致します! 剛の者こそ、強者こそ大公に相応しい!」

「我も龍淵に同意します! 何より、叔父上は我らを導いてくれたではありませんか!」


俺と承影は口を揃える。ぽかんと、叔父上は口を開けたと思えば、牙の隙間からくっくっと笑い声が漏れ始めた。


「クク、ハーハハハ! この老いぼれをまだ働かせる気か! いいだろう、大公の座に就いてやろう! ……しかしだ、承影、龍淵」


叔父上は、いつものようにギラリと眼光を鋭くする。誇り高い、あの日から焦がれ続けた龍の瞳だ。


「吾輩の爪牙が全て抜け落ちるその日までに、後継者を決めておけ! 無論、今すぐ大公の座が欲しくば、吾輩の背中からいつでも斬りかかれい!」


そう快活に言い放つと、叔父上は氷水の帝と顔合わせに向かった。


――叔父上は、自身の慣れた爪や牙で充分だと、自らの相剣を握る事はなかった。

なぜなら、叔父上が生み出した相剣には、黒い『相』が映し出されたからだった。







「叔父ぅ……大公殿っ!」

「どうした承影。稽古か?」


叔父上は、普段と何ら変わらぬ態度であった。あの日から何も変わらぬ、誇り高き龍としての。


「ヒトやその他種族の住処を襲撃……。加えて、霊峰の外への侵攻を企てているというのは、誠ですか」


「ああ。度々霊峰に侵入するニンゲン共への牽制、我等龍族の活動領域の拡大の為だ」

「……納得できません。何故戦乱が終結したというのに、新たな敵を作るような真似を」

「霧を越え我等の地へと侵入する者は、何であろうとも我等の敵だ」

「いいえ、我等はこの地を平定し秩序を築いた! 戦禍に終止符を打ち、氷水の守護となりて生きる道を選んだ! ならば、この平和を護り続けることこそが……」


「――そうか、承影よ」


聞いたこともないような、重苦しい声。


「――我等は龍だ。その口は雄弁の為ではない、敵の喉笛を喰いちぎる為にあるのだ。貴様が平穏を望むのならば、吾輩は覇道を求める! 吾輩を止めたいか! なれば、貴様の全霊を尽くし、この大公を弑虐してみせよ!」

「叔父上……ッ!」


叔父上の巨体から絡みつくような殺気が放たれ、全身の毛と鱗が逆立つ。反射的に、我も相剣を構える。その姿を見て叔父上はギラリと歯を剥き出して笑い、唸り声を漏らした。


「久方振りだ……血が沸くぞ」


凶爪と相剣が、激突した。




霊峰の見張りと周辺の監視が終わり、氷水底近くの岩山で赤霄と合流する。ざあざあと、激しく雨が降りしきっていた。


「おお龍淵! 見張りご苦労!」

「ああ、南方から北方まで全域を視てきた。特に異常や敵影はなし……不自然な程にな。ム……?」


「ワフ、ワン!」


息せき切って駆け付けたのは、相剣が瑞獣、純鈞。その態度と急ぐ様子から、ただならぬ事態が起こったのだと思われる。


「おおどうした! 何事だ純鈞! 腹でも空いたのか!」

「ガルルルッ!!」

「待て赤霄。……純鈞がここまで騒ぐとは只事ではあるまい。……そうか、承影が戦っているのだ! 我が加勢に向かう!」

「まことか! しからば儂も同行しよう!」


純鈞の先導に同行するべく走ると、相剣を肩に担いだ赤霄も随行する。


「阿呆がっ! この時期での襲撃など、氷水の力を狙う残党共か何かに決まっておろうが! お前は霊峰の氷水底の守護に向かいつつ、他の相剣師に呼びかけろ!」

「お、応ッ! ……龍淵、氷水底はいづこに」

「西だ!! とっとと向かえっ!!」


赤霄に怒鳴り散らすように指示を飛ばしつつ、相剣門へと駆けた。――心中に、嫌な胸騒ぎを覚えながら。




「どこだ承影! 敵は何処にいる! ……承、影?」

「……龍淵」


そこに居たのは、普段の覇気など微塵も消え失せた、傷だらけの友の姿であった。


「何を腑抜けている! 勝利したのならば知らせよ、残党はおらんだろうな……叔父上は、何処に」

「……叔父上、か」


燦然と輝く相剣も、承影の相を映してかひどく澱んで見える。その鎧も兜も、傷付き壊れたまま直す事もなく、ただ俯くのみ。――まさか。


「叔父上はっ……討たれたのか、誰にだ」

「……いや、違う」


承影は、昏々と呟いた。


「叔父上とは……道を、違えた。もう二度と、相見えることはない」






「ハァ、ハァ……叔父上っ!」


車軸を流す様な土砂降りの雨の中、呼吸を乱すほど走る。大霊峰を覆い隠す霧の寸前、幼き日から追い続けてきた背中が眼に映った。


「……龍淵か。吾輩は相剣師でも、貴様らの首領でもなくなった。霊峰に、最早吾輩の居場所はない」

「何故っ……なぜですか、叔父上!」

「龍は雄弁に語らず。――言う気はない、吾輩は負けたのだ」


うるさい程の雨音が、叔父上の姿も声も掻き消すようだった。


「貴方の……あなたの信念は、必ずや俺が継ぐ事を誓います! 必ずや、俺は――」

「――龍淵」


その時初めて、叔父上は一瞬足を止めた。


「それでこそ龍だ。思うがままに生きろ」


後日、相剣師の中で後継たる大公を決める事となった。

大公の座は、承影が引き継いだ。


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