兄心弟知らず

兄心弟知らず


ドジった。それも盛大に。

まあドジはどうやっても治らないしいつものことだ。問題は、何をどうドジったためにこんな事になったのかがさっぱり分からないということだった。

兄に細切れにされ床に散らばった哀れなメモを、緊張が途切れてぼんやりとした頭のまま拾い集める。箒か何かがあればよかったのだが、あいにくおれはそれらがアジトのどこにあるのかすら知らなかった。

イエスの合図はノック3回、ノーは2回、それ以上の意志疎通が必要なら筆談で行うこと。

この部屋を私室として与えること。アジトからは出てはならないこと。

それらが、再会した兄に命じられたことだった。

CPを始末した後、兄の後ろをすっ転びながらもついていったおれを待っていたのは、たったそれだけの言葉だった。それから待てど暮らせど立ち去った兄が戻ってくることも追加の説明もなく、与えられたらしい部屋に小さな女の子が食事を運んでくるまでは様々な最悪の想像が脳裏を駆け巡っていた。

実際のところ食事に薬が盛られているなんてこともなく、食器を下げに来た女の子は血汚れた服までにこにこと笑顔で回収していった。慣れとは恐ろしいものである。

今のおれの手元にあるのは、何故か回収されなかった武器一式にペンとメモ。

用意された少しだけ丈の長いシャツに袖を通し、軽く腕まくりをして考える。

兄の傘下だったらしい賞金稼ぎの組合では、能力を把握するための多少の面接のようなものはあったが素性の詮索などはされなかった。ならばまずは、なぜ今になっておれが兄のもとに現れたのかの説明くらいは必要だろう。

気を取り直し、支給されたメモに"これまでのあらすじ"を書き込んでいく。長文を書き込むには不向きな小ぶりの紙には、あの時、養父の手を取れなかった己の道行きが端的な事実の顔で記されていった。

あの状況から自分が生き残る道があったとすれば、珍しい色のガキだから人間屋に売られたとかそんな所だろう。父も兄も居なくなり、最も幼かったおれ一人を甚振るのは気が引けたのかもしれない。にんげんには基本的に、そういうブレーキが生まれつき備わっているようだから。幼い時分の見目がどうだったかは分からないが、いや、全然分かんねえわ。家族や奴隷たちやセンゴクさんたちの可愛いは信用ならねえ。

そっからあっちこっち転々として、成長するとともに戦い方を覚え賞金首を狩るようになった。にんげんを初めて殺したのは、12の時。これは兄相手にごまかすのは難しいと判断した。それで気味悪がったご主人様に売り飛ばされた、なんてのが丁度都合が良いだろう。

前の"職場"がなくなっちまって困ってたとこに、大手の賞金稼ぎ組合の情報を手に入れて、しばらく厄介になるつもりで支部を尋ねた。兄の海賊団の傘下であることは知らずにだ。これに関しては実際おれも知らなかった。非加盟国の情報は本部でも掴みにくい。周辺の情報をざっくり得られるまでのつなぎのはずが、蓋を開けて見ればこの通りである。万年人手不足の海軍も頼りにしている北の海の治安維持組織の一つが海賊とマッチポンプやらかしてるってのは、正直堪えた。

兄の組織は想定よりも余程大きい。付近に潜伏している同僚たちは、上手くやれているだろうか。

どうにも刺客に狙われているらしい兄とそのついでとばかりに狙われたおれ。アジトで迎えた最初の夜は、眠りにつかないままで過ぎていった。


しかし、用意したメモは翌日、おれの部屋を訪れた兄の手により指先で摘まんだ部分を残して紙吹雪もかくやのサイズにまで切り刻まれた。

やっべえ。兄上超怒ってる。

おれは久々に、背中を汗が伝うのを感じていた。子供の頃から変わらない、あの黒々とした稲妻のような怒りがおれに向けられるのは初めてのことだった。

結局おれの目を覗き込んで立ち去った兄が、何を感じ考えていたのかは分からない。潜入捜査でお邪魔する海賊団の中には独特のルールを持つものも多いが、流石にどこでも最低限の説明くらいはあったと思うのだが。

かき集めた紙クズを、まとめてゴミ箱に放り込む。無性に煙草が吸いたい気分だ。

手持ち無沙汰でベッドの上に腰を下ろして、おれはとりあえず決意した。

メモで伝えるのも、もう絶対向こうから訊いてきたことだけにしよう。そうしよう。

一晩かけて用意したあの紙切れの末路は、明日のおれの末路かもしれないのだ。

次はもうちょっとイトが近付いて指が飛ぶかもしれないし、もっと言えば、そのまま首が飛んだっておかしくはないのだから。

肺の中の空気を、絞り出すように吐き出す。

おれはちょっと、浮かれてたのかもしれないな。

あの人がおれを、おれにかけた言葉ごと覚えていたというただそれだけで。

兄が本当に、おれが喋れないと思っているのかは分からない。14年の空白があってなお、昨日あの人はおれに何も訊かなかった。

ただ"喋らない"と定められたのなら、少なくとも兄の前のおれに選択肢はないのだ。

そもそも、と殺風景ではあるが掃除の行き届いた部屋を見回し溜息をひとつ。

喋れるかどうかなど、あの兄が知りたいと少しでも思えばすぐに分かることだ。

賞金稼ぎ組合の、特に面接を担当したあの独特な、妙に"G"を強調した喋り方をする男は、おれが話せることなんて知っているのだから。






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