"元モルモット"だった

"元モルモット"だった

マンハッタフ・タフェ


天才がミスをする時は、決まって驚くほど根本的な部分を間違える。

どうやら私も──その一人だったらしい。


もはや自分の帰るべきところですらない、

誰もいなくなったトレーナー室で、

誰にも届かない言葉を無駄に呟く。



「一体私はどこで間違えたんだろうね──」



「トレーナー君」






元モルモットの独白(1)


アグネスタキオンと共に過ごして1年余り──。

そして、日本ダービーまであと数週間。

皐月賞では見事な勝利を収めてみせたアグネスタキオン。

クラシック路線で頂点を目指すウマ娘なら、誰もが渇望するその冠。

だがタキオンにとっては『まず一冠目』と言ったところだろう。

これから先、彼女はきっと何度もレースで活躍することになるはずだ!


「──君、トレーナー君」

「え!?あ!うん!!」

「何か物想いに耽っていたようだが」

「ああ、ごめんごめん……」


彼女の輝かしい未来を想像して、遠いところへ行っていた意識が、本人の声によって呼び戻される。

俺はアグネスタキオンに呼び出され、彼女の研究室を訪れていた。


「それで話って?」


タキオンの顔を見ながらそう尋ねる。

すると彼女は、俺の顔を見ながら呆れたように笑った。


「……相変わらず狂った目をしているねぇ、君は。

まるで私の為になら、なんだってすると言わんばかりだ」

「もちろん!」


彼女の走りは呼吸を忘れるほど美しく、ため息が出るほど素晴らしい。

だが彼女はそれを未完成だと言う。

もしも彼女がこれから先、今以上の走りを見せてくれるというのなら──!


「君の為なら俺はなんだってする!!」

「そうかい、じゃあ私のトレーナーを辞めてくれないか?」

「……はい?」


「トレーナー君。本日をもって君とのトレーナー契約は『解消』だ」







ヒマ娘の独白(1)


プランAが完全に廃案になったその日。

私は自身の活動休止を世に知らしめるために、早速トレーナー君……いや、"元"トレーナー君に記者会見を開くよう命じた。

彼は予測通り狼狽え、戸惑っていたが、まぁ私の言うことならなんでも聞くのが彼の良いところだ。

最終的に苦虫を噛み殺すような顔をして、連絡を取り次ぎ、会場のセッティングをしてくれた。


さて、私の推測が正しければ、彼はおそらく『何故アグネスタキオンは走らなくなったのか』で頭がいっぱいの筈だ。

その問題には答えがあり、それを伝えることは簡単だ。

しかしながら、それをありのまま伝えるのは彼にとって余りにも残酷だろう。


元から丈夫ではなかったとはいえ──"皐月賞を走ったことが致命傷だった"と言うのは。


そこだけ伏せて伝える案もあるにはあるのだが、まぁ彼もトレーナーの一人だ。

おそらく私の脚のことを知ったなら、すぐさま病院へ私を連れていき精密検査やらなんやら……なんにせよ、勝手に調べて勝手に理解してしまう様子が目に浮かぶ。


それならば私は悪役に徹するさ!

詳しく説明しなかったなら、彼は罪悪感を抱くことなく私にヘイトを向けるだろう。

私は優しいからね。大切なモルモットの為なら、それぐらい我慢できるとも。

出来ることなら彼には私以外の担当ウマ娘を見つけて、新しい夢を追いかけてほしいものだ。


……そうだ、それでいい。それで。


薄暗い部屋の中、晴れてマンハッタンカフェの『アドバイザー』になった私は、予定の調和に歓喜し高らかに笑う。


「『プランB』──開始だよ!ハハハハハハッ!」







元モルモットの独白(2)


トレーナーがウマ娘側からの申し出で契約を打ち切られることは、全く有り得ないという話ではないらしい。

らしいのだが──。


「まさか自分がこうなるとは……」

「あはは……」


タキオンの居なくなったトレーナー室で、たづなさんが苦笑いを浮かべていた。


「えーと……大変でしたね、色々と」

「はい……」


心を殺して取り付けた記者会見のセッティング、その後の記者達への対応、正直なところ地獄だった。

今まで飲んだどんな薬よりも苦い思いをした。


『アグネスタキオンのトレーナーさん!彼女はどのような考えで活動を休止なさったのですか!?』


数え切れないほどの記者から受けた質問の残響が、頭の中で頭痛に変換され鳴り喚く。


そんなもの──自分が一番知りたい。


あれからタキオンに何度も理由を尋ねても『私の都合だ』『君は悪くない』『また新しい担当ウマ娘でも探したまえ』の三点張りでまともに取り合ってもらえない。

一年以上連れ添った仲だと言うのに、理由すら聞かせてもらえないのは、あんまりにもあんまりだ。

どうやら俺は、本当に彼女にとって単なるモルモットでしかなかったらしい。

だが──


「……タキオンは、あくまで『無期限休止』なんです」

「そうですね、手続き上でもそうなってます」

「もしかしたら……もしかしたら、また走ってくれるかもしれません……」


そうだ、決して『引退』ではない。

だとしたら俺はその可能性に賭けていたい。

それなら俺は、タキオンがまた走ってくれるその日まで気長に待つしかない!

そしてその時、もう一度……俺をトレーナーにしてくれたなら……。


自分にそう言い聞かせて、その日はたづなさんが回してくれた雑務をこなしたのだった。







ヒマ娘の独白(2)


私がカフェのアドバイザーになってから、数日が経った。

そして改めて思ったことだが、カフェの才能は実に素晴らしい!激変する体調、体重にいささか不安が残りはするが、まぁどうとでもなる範囲だ。彼女からは、そんな懸念材料すら吹き飛ばす程のギフトを感じる。

それに、担当トレーナーも悪くない。荒削りだが新人にしてはよく磨かれている。医療技術も及第点だ。

いやぁ、あのコミュニケーション能力が乏しいマンハッタンカフェがあれだけ優秀なトレーナーを連れてくるとは、友人として素直に喜ばしいね。

非凡な才を秘めるウマ娘、優秀なトレーナー、そこに私の知性が加われば、まず間違いなく私の目指す目標、いや夢と言っていい──"スピードの向こう側"へ到達するだろう!

喜べ私の全細胞達よ!未来は明るい!だから安心して死んでゆけ!


──さて。

そういうわけで、アドバイザーになった私はカフェのデータを計測し、検証し、実行させる毎日である。

練習時間も無い、レースのスケジュールも確認しなくて良い、睡眠時間に融通が効く。流石に現役だった頃とは比べものにならないほど時間がある。

おっと、一応私はまだ現役だったか。


あくまで私は『引退』ではなく、『無期限休止』である。

引退しなかった理由は、まだ走ることに未練があるから……などでは断じてない。

だって『引退』するとなると、この学園にいられなくなってしまうからね。

一応、元競技ウマ娘として広報活動に徹する道や、トレセン学園のサポート研修生になる試験を受けてそちらへ編入する道などもあるにはあるが……当然私はそんな真似をするウマ娘ではない。面倒だし。


なので私はあくまで活動を休止している体で、カフェのサポートに徹する。

有り余った時間を持つ"ヒマ娘"は、マンハッタンカフェのアドバイザーとして毎日毎日ヒマを潰すのだ。

仮に正式に引退する時が来るとしたら、カフェにプランBを完遂してもらった時だろう。

それまでは、このヒマ娘ライフをせいぜい謳歌させてもらうとするかな。

……世間体?今更だねぇ。







元モルモットの独白(3)


今日の夕方、学園内の廊下でタキオンを見かけた。いつも通りの変わらない顔で、前だけ見据えて廊下を闊歩している。

どうやらタキオンは活動を休止してから、マンハッタンカフェの『アドバイザー』をやっているらしい。

どういう理由でそんなことをしているのかは分からないが……もしかしたら、俺にも手伝えることがあるかもしれない!

まずは、こちらに向かって歩いてくるタキオンに話しかけてみることにした。


久しぶり、タキオン。


……ただそう言うだけのつもりだったのだが、言葉として発することは出来なかった。

彼女の顔を見るだけで、心臓が締め付けられるような感覚が襲ってくる。

なんとも情けないことに、自分の心は相当やられているらしい。


その上、タキオンもまるで俺に気付いていないかのように隣を通り過ぎていった。

何もできないままタキオンの背中を見送った後、俺は思わずその場にへたり込んで濁った溜め息を吐いた。


「はぁぁぁぁ〜〜〜〜………………」

「トレーナーさん、大丈夫ですか?」


声のする方を見上げると、たづなさんが心配そうな顔を浮かべながら、自分に手を差し伸べてくれていた。

傷付いた心には、たづなさんの優しさがよく染みる。

俺は彼女の手を借りて、どうにかこうにか立ち上がるのだった。


「たづなさん……俺はもう、ダメかもしれません……」

「そんなこと言わないでください……私、貴方には期待しているんですから……」

「そう言われましても……」


担当ウマ娘のいないトレーナーに何を期待していると言うのか。

気力を失くしてしまった俺に、たづなさんは優しく話を続ける。


「せっかく未来の教官候補として、直々に指名されたんですから」

「……教官?」






ヒマ娘の独白(3)


カフェのトレーナーから聞いた話だが、私の元トレーナー君は、どうやら合同トレーニングの教官補佐になったらしい。

担当のついていないウマ娘達は、専門の教官達によって数十人ごとに合同トレーニングを行うことになっている。

教官というのは引退した元競技ウマ娘だったり、元トレーナーだったり、外部からスカウトされた優秀な指導員だったり……。

そして彼は、その教官の一人に『あのアグネスタキオンのトレーナーをしていた』という指導能力を買われ、直々にスカウトされたらしいのだ。

私との経験が役に立ち、それを用いて彼が新しい生きる道を見つけられたのなら、それは素晴らしいことじゃないか。


「いやぁ良かった良かった!」

「……何がですか?」


トレーニング後の空いた時間、カフェと二人部屋で寛いでいると、珍しくカフェが私の独り言に返答を返した。

いつもなら私が呼びかけないとそっぽ向いたままだというのに。


「私の元トレーナー君が、どうやら新しい生きる道を見つけたらしい」

「……まあ……アナタが元の道を絶ったんですけど」

「おや、そのおかげで今こうしてカフェのサポートができているのだから、カフェは感謝するべきではないのかい?」


そう言うと、カフェは少し眉間にシワを寄せた。


「タキオンさんは……罪悪感とか無いんですか……?」

「……罪悪感とは非難されるような行動をした者が精神的負荷を抱えることだが?」

「今日……廊下であのトレーナーさんとすれ違ったのに……無視したでしょう」

「……見ていたのかい」


湿度すら感じる彼女のジットリとした目つきに、思わず目を逸らしてしまった。

砂糖が溶け切らず、個体を残したまま飽和した紅茶を、意味も無くスプーンでかき混ぜる。


「話しかけられた時の返事くらいは用意していたがね……私は話しかけられなかった。まぁ……そういうことだろう。ほら、私は嫌われても仕方ないことをしたわけだし」

「…………まあ……アナタ達の問題なので……私はいいんですけど」


それなら始めから言わないでほしかったな〜!


「それに、別に永遠のお別れというわけでもないからねぇ。だってほら、これからも学園内で幾度となく顔を合わせることになるだろうし。その気になればいつだって、彼は私の忠実なモルモットに戻るだろうさ」

「そうでしょうか……でも、もしその気があるなら、なるべく早い方が良いと思います…… 」

「ほう?その心は?」

「実験動物である以上、試験体にされたモルモットは──


いずれ、死ぬんですから」








元モルモットの独白(4)


あれから俺は、合同トレーニングの教官補佐としての仕事に精を出していた。

机仕事だと、どうにも余計なことを考えてしまうので、目の前のウマ娘達に集中できるこの仕事は、今の自分に丁度良かった。


「仕事は慣れてきた?"期待の新人トレーナー"君」

「あ、はい!」


今日の合同トレーニングが終わり、自室へ行くまでの廊下で先輩に声をかけられる。

彼女は俺を直々に指名してくださった、合同トレーニングの指導教官の一人だ。


「でもそろそろ新人トレーナー呼びは……」

「あはは、ごめんごめん。もう少しして慣れてきたら、正式に教官の一人として仕事できるようになるから。それまでは補佐としてお手伝いよろしくね!」

「はい!頑張ります!」


そう言って頭を下げると、先輩はまた明日、と笑顔で手を振りながら自室へと戻っていった。

それを見送り、俺は自分の頬を叩いて気合いを入れる。

いつか、再びタキオンのトレーナーになれるまで、自分は自分なりに頑張らなければ!

……そう、いつか。きっと。

いつか──


(いつかって、いつだ?)


脳裏にそんな考えがよぎった時、どこからか生徒達の声が聞こえてきた。


「ちょっとウオッカ!あんた今日も合同トレーニングサボったでしょ!」

「うっせーなー!周りと同じトレーニングなんかしてたら、いつまで経っても強くなれねーだろ!」


何気なく耳に届いた、まだ担当トレーナーのついていないであろうウマ娘の不満。

たしかに、教官の指導による合同トレーニングは、基礎能力訓練がほとんどである。

そのため、個人の能力や傾向にあったトレーニングが行われているとは決して言い難い。

実際に会議でもその問題については何度も議論されていたのだが──


その時、ふと閃いた。

このアイディアは、指導しているウマ娘達との合同トレーニングに活かせるかもしれない。


──少しだけ、無茶がしたくなった。

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