優しさを知る人へ
とある日の午前。穿界門が開いていることを知らせる光が空を貫くのを、檜佐木と吉良は屋根の上に立って見つめていた。その門を通る人物を知っているから。幼い日、ほんの一時だけ共に過した人だった。今は十一番隊に所属していて、檜佐木と吉良とは疎遠になっている。それでも見送りがしたい、と望んだのは檜佐木だった。
「その見送りがここっていうのもどうかと思いますが」
「なんだよ、いきなり。いいだろ、あの人は多分直接の見送りなんて望まねえよ」
風に乱れた髪をぐいと掻き上げることで整え、檜佐木は苦笑を浮かべて光の柱を見つめる。その門の向こうにはきっと、ほんの少しの間彼を手元で育てた人がいるのだろう。愛川隊長、とかつて呼ばれた人。あの人は羅武さん、と呼ばれることを許されていたとなんとなく記憶している。
流魂街から貴族の気紛れのように拾って来られ、六車の元で過ごし、その後愛川に引き取られそれから幸せになるはずだった彼は檜佐木がそうだったように突然親という拠り所を失って歪んでしまった。歪ませたのは自分にも責がある、と檜佐木は思っていて、吉良も僅かに彼の存在がいつも引っかかっていた。酷く険悪になっても尚、いつもどこか緊張している横顔を気にしてしまう程度には。
「お前がどう思ってるかは知らないけどさ、吉良」
「はい」
「俺はあの人のこと、兄貴だと思ってるよ。好きだとは……まあ言えねえけど、憎いとは思えない。怒らせたのも、俺を嫌う方向に持っていったのも俺だ」
「……優しすぎますよ」
はは、と檜佐木は困ったような笑いを零して目を閉じる。
「わかってるだろ、俺らは運が良かっただけだ。六車隊長達が消えた俺にはお前がいてくれたけど、あの人はそうじゃなかった。今もそうだ。鳳橋隊長も六車隊長も戻ってきて下さったけど、愛川元隊長はそうじゃない」
それは、一歩何かが違えば檜佐木が、もしくは吉良がそうなっていたかもしれない可能性だ。拠り所のない心細さ。檜佐木はそれをよく知っている。
――今ならわかる。あの人はきっと、誰かに自分を見ていて欲しかったのだ。ずっとそばにいなくても良い。ただ、心の中にはいつもいるような位置に置いて欲しかった。
「世界は優しくねえんだよ。だから誰かに優しくしてもらわないと人間は生きられねえ」
あの人はその優しさをこれから二ヶ月かけて注いでもらいにいくのだ。それからもずっと、絆というもので繋がっていけると知るために。
「……そうですね」
「偉そうに何を、って怒られるかもしれないけどなあ」
「………」
吉良はひとつため息を吐いて、檜佐木の隣に並んだ。光の柱は少しずつ細くなり始めていて、「彼」は発ったのだろうと察せられる。
帰ってくる時はあそこで出迎えられるだろうか、とふと考えながら、吉良は檜佐木に冷えますよ、と促した。
檜佐木はああ、と生返事を返しただけで動こうとしない。完全に門が閉じるその時まで、檜佐木の目は遠くを見つめたままだった。
――優しさを(これから)知る人へ。