優しい絶望の終着点

優しい絶望の終着点


「うへ〜……まさか本当に捕まえられるとは思わなかったな〜」


「ハナコの作戦と、私の部下たちが優秀だったわ。……先生が甘いのもあったんでしょうけど」


「うふふ♪……ああ、落ち着いてください先生。私たちは先生を害したいというわけではないんです。私たち、誰彼構わずこのお薬の中毒にしてるわけじゃないんですよ?」


「ハナコちゃ〜ん」


「あ、ごめんなさい。お砂糖とお塩、でしたね☆」



サオリたちの応戦も虚しく、どうやら私はヒナたちに捕まったようだ。私を置いて撤退して欲しいと伝えたから、きっとアリウススクワッドのみんなは無事だろうけれど……それにしても、なんだか薄暗い場所に閉じ込められている。けれど不思議と嫌な感じはしない。拷問部屋とか、そういう類の暗さではなく、生活のしやすい薄暗さだ。拘束されている椅子もなんだか座り心地は良いし。



「ハナコの言った言葉は事実。現に、RABBIT小隊の月雪小隊長は服用していないの。他の隊員が中毒者になっているから、というのはあるかもしれないけれど、彼女は依然素面のまま」


「対策委員会の皆さんも、ですよね。ホシノさん」


「先生には言わないで欲しかったよ〜。うん、でも、そうだねぇ。おじさん達もキヴォトスのみんなを中毒にしたいわけじゃないから、使わないまま大人しくいてくれる人たちには使ってないんだ〜」


“………ここで、私をずっと縛っておくのかな”


「身体を痛めるだろうからお話が済んだら解放する。どうせ部屋の外には出られないし、先生の力じゃ私たちには対抗できないでしょ?」



こうやって話している途中でも、三人から私に向けて何一つ嫌悪や憎悪の感情がないことがわかる。彼女たちはみんな私を疎むことすらなく、私を嫌うことすらなく、むしろずっと好きでいてくれている。それは嬉しいことだが、同時にひどく悲しい事実でもある。私も三人が好きで、三人も私を好いてくれる。なのにすれ違い、話が通じないということだから。

でも、そんなことで諦めてはいけない。こうやって顔を合わせて会話をしているのだから、諦めなければ可能性はあるはずだ。対話を重ねて、わかりあおう。私たちの間の絆を、いつか、誰かが言っていたように、信じるんだ。



“ハナコ”


「はい、なんでしょう?」


“ごめん。私はハナコの苦しみを受け止めることができなかった。あの時、補習授業部の活動で、勝手に受け止めた気になっていた。ハナコはまだ苦しんでいたのに。ハナコのことをわかった気になっていたんだ”


「……先生……」



ハナコはずっと苦しんでいた。私と出会う前からも、私と出会った後も、ずっと。それを勝手に解決した気になっていたけれど、そんなことはない。どこかでずっと苦しんでいて、それを見抜けずこうなった。それは間違い無く私の責任だ。私は大人で、ハナコの先生なのだから。だから、謝る。ハナコの苦しみに気づけなかったそれは、間違いのない私の罪だ。



“ヒナ”


「どうしたの、先生」


“本当にごめん。私は、先生としてヒナの頑張りをちゃんと見てあげないといけなかった。ヒナが頑張った分、私がその頑張りに応えないといけなかった。前に話して、私はヒナにちゃんと、そのお願いを聞いたのに……”


「…………」



ヒナもそうだ。あの時、ヒナは私に苦しみを訴えてくれたじゃないか。頑張っているのだと、褒められたいのだと。それは当然のものでは無く、称賛があって然るべきもの。なのに私は、ヒナの心に触れることができなかった。ヒナが求める大人への期待に、応えることができなかった。抱え込むのではなく、苦しみを曝け出してくれた。そんなヒナに対して誠意がない態度だと、今思えば後悔しかない。



“ホシノ”


「……なぁに〜?」


“ごめん。私も、アビドスのために頑張るって言ったのに……最近はずっと、忙しいって理由でアビドスに目を向けることがなかった。ホシノは悩んで、考えて、苦しんで、私が見てないときも一生懸命、アビドスのために頑張ってたのに……”


「……先生のせいじゃないよ」



ホシノの努力は、苦痛は、今も、昔も、ずっとずっと、絶えることのないものだった。金利が楽になった?アビドスを奪われる心配がなくなった?それがなんだというのだろう。以前、アビドスは奪われたままで、だからこそ取り返したいと足掻き苦しむことは当然だろう。ホシノのような立派な生徒が、そのためにやってはいけないことに手を出すのも、あり得ない話じゃないんだ。それを、考えられなかった。ホシノは強くて優しい子だという私の決めつけから、気づけなかった。



“みんな、ごめん。大人で、先生である私の責任だ。私に言いたいことは山ほどあると思うし、私はそれを全て受け入れるよ”


「………」


“でも、それは別として、みんなやりすぎだよ。これはやってはいけなかった。そして、させてしまったのは先生である私の責任でもある。だからね?みんな、もうこんなことはやめて私と一緒に……”


「先生、勘違いしないで。先生は何も悪くないの。これは先生の責任じゃなくて、私たちの責任」


「その通りです。大人だから、先生だから、先生は全てを背負ってくれるのでしょうけれど……これは背負ってはいけないことです。私たちも一人の人間。善悪の区別はつきますので」



なんだか、背筋がそっと冷たくなるほどに。ホシノたちの表情は優しいままだ。優しい顔で、哀しい顔で、こちらをずっと見続けている。というか、さっきから何かおかしい。頭を撫でられたり、肩を撫で揉みされたり、微笑まれたり。というか、先ほどの言葉を信じるなら、私の拘束を解いてもみんなの身体能力なら何も支障はないはずだ。なのに私は拘束されたままなのは、なぜ?



「おじさん達ね、さっき先生に無理に中毒にしないよ〜ってお話ししたよね?」


“……うん”


「えへへ〜……ごめんね、先生。それは先生以外の話。先生は、絶対に堕としてあげる。それがおじさん……“私たち”の決意なんだぁ〜」


“……!うわっ……”



本当に申し訳なさそうな、けれど何処か期待の宿った声でホシノはそう呟く。それと同時にハナコが眼前に、ヒナが背後に歩み寄る。二人に囲まれた形になるし、なんだか二人とも様子が変だ。表情が妙に喜びを帯びている……というか。



「はい、先生。あ〜ん♡甘くて蕩ける美味しさですよ」


“これ、ホース……”


「ちゃんと綺麗に、人がお口を開けて飲む用のものですから♡大丈夫。ちょっと大きいし、勢いもすごいけど、ちゃんとお口に入りますから……ね♡」


“…………”


「あらあら。口を閉じてしまわれたのですか?せんせ〜い?そんなことをしてもお鼻を摘んだら、呼吸がしたくてお口が開いてしまいますよ〜?無駄な抵抗はやめて、気持ちよくなりましょう♡……仕方ありませんね」



そっと、目の前に差し出される液晶画面。そこに映し出されていたのは、今にも首筋に注射をされそうなサオリの姿で────



“っ、サオ……ん、ぐぅっ!!???”


「はーい、ごっくん♡」


“ん゛〜!……っ、ぅ……ッ………♡♡♡”


「うふふっ……先生のお目目がとろ〜んとしてきましたね♡甘くて美味しいでしょう?ほら、まだたくさんありますからもーっと飲んじゃいましょう♪」



頭がバカになる、ということはおそらくこういうことなのだろう。舌に触れた優しい甘さが、喉を通ると化けの皮を剥がしてくる。強烈な甘さとなって即効性で脳に届く。まるで電流に脳を灼かれているみたいだ。一瞬頭が真っ白になったし、体がガクガクと震えて止まらない。人生で初めて、感じたことのないレベルの幸せが脳を、心を打ち据えていく。わけのわからない感覚に、身体が言うことを聞いてくれない。飲んじゃいけないとわかっているのに、喉がごくごくとなっている。



「はい。おーしまい♡先生、どうでした?美味しかったですか?」


“……はぁー……っ……私に、薬は効かないよ……っ……だから……っっ”


「残念です。……先生のことですもの。たとえ窒息死することになってももう二度と口を開きそうにありませんね……あら、ヒナさん?」


「ここからは私の番。先生にもっと色々なものを味わってもらうから。私、我儘だし」



後ろから、優しくヒナに抱きしめられる。震える身体を宥めるように、そっと撫でられ落ち着かされる。まだ幸福感で頭がまとまらないが、ひんやりとしたヒナの指先が心地良い。……ただ、私の体を指で叩いて、そしてそのままそっと指先で指し示した先にあるものが、それが、何よりも悍ましいもので……



「先生。あれはね、温泉開発部とミレニアムの子が作ってくれた特注品の遠隔射撃の機関銃。弾薬に塩か砂糖のどっちを使うかは自由だけど……今は塩をたくさん入れてる。さっきのハナコの液体で、甘ったるくて頭が煮えたぎってるでしょ?冷やしてあげるよ。大丈夫、外さないわ」


“だ、ダメだよヒナ。そんなの……っ”


「しょっぱいものを体に取り入れて、冷静になろう?大丈夫、痛くないよ。そういう風に作られてるの。身体中に撃たれても傷ひとつないんだから。ただ、頭がひんやりして幸せになれるだけ。ちょっと衝撃はあるけど、それも激しいものじゃないし。私が抱きしめて支えてあげるから。……さーん、にーい、いーち……」


“………本当に、やめっ”


「だーめ、待たない。ゼロ」



やけにポップでファンシーな銃撃音と共に、身体に何十発はくだらない塩の弾丸が撃ち込まれる。言われた通りに痛くはない。衝撃もそこまで激しくない。本当に不思議なもので、肌はおろか服にも傷ひとつつくことなく、本当に吸収されたのかと疑うほどで……直ぐにしっかりと吸収したことをわからされた。

暑くてたまらなかった体が急速に冷やされていく。あまりの熱で上手く回らなかった脳が急激に冷やされて、何処か俯瞰した様子で自分の姿を見れるようになっている。頭が急に冷静になったはいいものの、不思議と焦燥感や苦痛はない。麻薬の本質である“多幸感”はどちらの性質でも共通するもののようで、今の自分を包んでいる幸せの総量で言えば単純計算で二倍である。

あまりの幸福感に、冷えた頭とは別で体がまた動き出す。涙が溢れ、涎がたらりと溢れる。ヒナにハンカチで拭かれている状況に恥ずかしさを覚えるのに、幸せすぎて体が動かない。先ほどよりも痙攣が止まらない。それでも正気でいるのは、私自身の意地だ。狂ってしまったほうが楽かもしれないが、ここで狂えばホシノたちを助けられなくなるから。そんな理由で私は耐えている。



「すごいねぇ〜……ね、先生。おじさんたちを助けてよ。アビドスを助けてよ。おじさんね、先生に手伝ってもらえたらすっごい助かるんだぁ。お仕事が楽になるのもそうだけど。それよりも……心が楽になる。先生も味方でいてくれるんだなぁ〜って思うと、うへ〜ってなってた気持ちが弾むんだ」


“………ダメ、だよ。ダ、メ………”


「うへ〜……やっぱりおじさんだからかなぁ、耳元で囁いてもご褒美じゃなくてお仕置きになっちゃうかなぁ〜?………ね、先生。これ見て」



鮮やかな二つの色が混ざり合った飴玉。それはホシノの瞳の色にそっくりで、ホシノを想起させるようなものだ。見事に半々、別々の色で構成されている。



「片方は砂糖で、片方は塩なんだよ。アビドスの砂漠で作ったやつ。甘じょっぱくて美味しいよ〜。……えへへ〜。これね、私が作ったんだ。先生に食べてもらいたくて、私が作ったの」


“………うれ、しい、けど………”


「もう、口をしっかり閉じる元気もないね。これ食べさせられたら、きっと先生は堕ちちゃうね。もう、戻れないね」


“ホシノ……わ、たし、は………こん、な……”


「ごめんね。許さなくて、いいよ」



ホシノの指ごと飴玉を突っ込まれた瞬間、私の世界は暗転した。


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