優しい嘘の夢を見る
ああ、そのためにここに居るのだ―――。
六車拳西の死神としての魂魄は脆い。
いや、脆いというと語弊がある。非常に不安定なのだ。
先の大戦の負傷者は筆舌に尽くしがたい数であり、言うまでも無いが四番隊とて犠牲者を出している。
だから仕方がないのだ。通常時なら未だ四番隊で療養するような状態でも一定以上に落ち着けば退院させられるのは。
現在、六車は四番隊を退院後、復帰に向けて自宅療養中である。檜佐木は昼は仕事があるため六車は一人で過ごし、夜は檜佐木が六車の体調管理をする。
ゾンビ化した状態からの大まかな回復は終え退院はした。しかしこれは治療、というよりもこれからずっと付き合っていくことになるのだろうが、六車の場合、日番谷や松本の場合とは些か状況が違う。
生来は通常の魂魄であり死神でしかなかったものを、彼は内に虚を飼っている。
この点は鳳橋も同じなのであるが、ここともまた状況が違うのだ。
六車と久南のふたりは他の仮面の軍勢(ヴァイザード)とは違い、虚になりかけたのではなく、他の者が駆けつけるまでの間、虚となってしまっていたため、鳳橋らよりもずっと死神としての魂魄に、色濃く虚が混じり込んでいる。
久南が訓練無しで15時間も虚化できたというのも、物事を深く考えずにあるまま受け入れる彼女の性質ももちろんあるにはあるが、ある意味で虚化が進んでいたからだろう。
そんな不安定な魂魄の状態を周囲に全く感じさせずに堂々と振る舞い虚を御して虚化を使いこなす六車の姿はむしろ、檜佐木にとっては自慢の隊長であったし、憧れを強くする要素でしかなかった。
ただ元々そんな複雑な魂魄であったところに、大戦によって、死亡→ゾンビ化→ゾンビ解除と非常に短期間のアイダに幾度もの変質が加わった結果、六車の死神としての魂魄は現在、非常に脆く不安定だ。
これはもちろん彼の戦闘的な強さの意味でもなければ精神的な意味でもない。
―――― 「拳西さん、失礼します」
「修兵…、か…。」
「はい。ただいま拳西さん。お加減はいかがです?昼間、眠れてますか」
「…………わからねぇ。」
平素、泰然自若という言葉の似合う瞳に、不安の影が落ちる。
わからない、というのも誤魔化しているわけではなく自我が曖昧になる瞬間がまだあるからだ。
檜佐木は体が触れ合うまで傍に寄って、拳西の頬に手を添えて微笑う。
「大丈夫です。一緒に眠りましょう」
元来死神である六車に打たれたゾンビ解除の薬は、ゾンビ化した魂魄を《死神としてのそれ》に戻すものだが、内なる虚に対応してくれるものではない。
それ故に六車と、程度は六車とは違うが鳳橋は、ゾンビ解除後、内なる虚と、そこに残るゾンビ化の影響に苦しんでいる。
今はもう死神としての自我を取り戻しているため、大戦以前に御されていた虚は時間経過で以前と同じように御せるようになると言われている。そうすれば内なる虚に残るゾンビ化の影響も感じにくくはなるだろうと言われているため、先の見えないことではないのだが、現在の六車は本当に危うい。
「眠ってください」
ゆるりと六車の背を撫でる
幼子扱いのようだがあえて。
そうすることがいちばん安心することを、俺は昔、この人に教えてもらった。
「修兵……」
「はい?」
「修兵…」
「ここにいます。だから大丈夫です。」
「…………。」
現在六車があまり眠ろうとしないのは、眠ることと、知らぬ間に自我を失っている間との区別が、本人の中で不明瞭なためだろう。
あれほど強い人が、これほど苦しんでいる。
そう思うと、今は支える立場だと解っているのに涙が出てきた。
「拳西さん……、」
「ン…、」
「ごめんなさい。……俺が言う事じゃないけど…、ごめんなさい。虚化の影響で今になってまた拳西さんが苦しむなんて…っ、」
あの人の、罪深さを思い知る。
尊敬は棄てられない。憎みきることもできない。
でもあの人のせいで、いちばん大切な人が今も苦しんでいる。この先もこの苦しみが本当に完全に解除されるのかは解らない。
六車の腕の中で、檜佐木は泣くことしかできない。
当然ながら六車の死神としての魂魄もダメージを受けているのだから本来の力強さはまだなく、その状態であらためて、いしきてきに虚を御していく必要にかられた。一度は経験のあることだが、ゾンビ化というのはそもそも、魂魄が死んだ状態のことであり、つまり今の六車は、生きかえり、生きているのに、自分の中に取り込んだ異物(虚)は死んだ魂の影響を残している、ということ。
故に今の六車は時々、虚やゾンビの部分が少し強くなった時、檜佐木が話しかけてもこたえてくれない時がある
とはいえ、治療開始当初よりはこれでもかなり治療が進み、幸いなのは表に虚やゾンビの影響が出ている場合でも死神としての自我がゼロになるわけではなく、檜佐木を檜佐木と認識してはいるようで襲ってはこないからこうして一緒に眠ることはできる。けれど余裕がないのだろう。
死神としての通常の自我を保っている時もあまり快活に笑ってくれることは今は少ない。
おそらく苦しみをなるべくこちらには見せないようにしていてそうなのだからひとりの時は……。
苦しまないで、苦しまないで、いかないで、逝かないで、逝かないで…。
「修、兵…」
ギュッ、と抱きしめられる
「泣くな…。」
「けんせ、さん…」
目を閉じたまま、檜佐木を抱きしめて拳西が言う。
「東仙に泣かされるお前を、見たいわけじゃねぇ」
「ちがっ、俺は、「解ってる。アイツのために泣いてるわけじゃないことはな。だから、泣くな、修兵」
俺は俺のことで、アイツに泣かされるお前を見るのがいちばん苦しい…。
静かに、いっそ儚く、けれど確かに六車はそう言って。
檜佐木を抱きしめて、微笑うのだ。
「虚が求めるのはいちばん愛しい者だろう。だったらお前が“ここ”にお前がいればそれでいい」
虚であれば穴が空いている胸(そこ)に、檜佐木の顔を寄せさせて。
ああ、敵わないと思い知る。
支えるために共に眠っているはずでも、こうして自分のほうが救われてしまうのだ。
「俺と東仙のバカの間にあるモンはな。絶対、ゼロにはならねぇ。…俺は今更、俺の方からアイツに歩み寄るわけにもいかねぇ。死んだ部下のことがあるからな。だからきっと、お前が居るんだろう。ここにな……。」
「いいか修兵、埋めるのは…、埋められるのは、お前だ。俺の、『穴』も、俺と東仙の間にあるモノも。だからお前は笑ってろ。きっとそのために…」
お前はあの日、俺に出逢ってくれたんだ。俺と東仙が、憎しみだけで終わらないように……。
告げて、やはり体調があまり良くなかったのか六車は意識を落とし、眠った。
抱く腕の力が緩んでも、檜佐木は六車の胸から顔を離さず六車の着物を濡らして泣いた。
悲しいのではない。
檜佐木はずっと無力だった。
虚から逃げ惑うことしかできなかった子供の頃。
同期を失った院生のあの時。
東仙を、あんな形でしか止められなかった時。
六車が死亡し、ゾンビ化した時。
何ひとつ成し得たことはない。
悲しみを取り払えたことなどない。
六車は時間を割いて卍解の修行までつけてくれたというのにそれを形にできず力になれないままだった。
それでも…
「ここに、居る。……ずっと、ここに居て、強く…なる」
そしてあなたを支えて、人を恨むことが嫌いなあなたを、いつか救えますように。
ゼロになんかならなくていい。
いつか優しくて強いあなたが、あの人のことなんて恨んでないって、そんな嘘を言えるくらいの痛みに変えられたらと思う。
嘘は永遠に本当にならなくていいから。
そんなことが自分にできるなんて信じられないけれど、
ああ、解った。
どうしてあの人が、この人を手にかけたのか。
この大きすぎる優しさが、あの人はきっと怖かったのだ。
まだまだ子供扱いされて、素直に甘えることができる俺と違って。
「本当はね、あなたも、怖いって泣いてしまえばよかったんです。きっと…。」
もう言葉は届かない。
けれど、この人は優しいから。
「きっといつか、嘘を吐いてくれますよね…?拳西さん」
甘えるように言って、いちばん愛しい人の胸に改めて頬を寄せて、檜佐木は目を閉じた。
温もりを与えてくれるこの人がいつか、嘘つきになる日の夢を見るために―――。
END