僕針32話を読んだカルセド

僕針32話を読んだカルセド

クリぼっちエルフ



 帝国領にある炭鉱からクオンツの里へ帰る途中の森の広場で、カルセドとマヌルは二匹のシャドウフォックスに襲撃された。個々のレベルはカルセド・マヌルを下回っていたが、深刻な事情により車椅子を使用しているカルセドは戦闘に参加できない。そのため、マヌル一人で影狐二匹を相手することになった。

 一対二という不利な状況ながら、マヌルは影狐を一匹は倒してみせた。しかしその一匹を倒して緊張の糸が切れたのか、もう一匹の影狐に背後から後頭部をブン殴られて戦闘不能になってしまった。

「マヌルーーーーーーーー!!」

 カルセドは絶望感に駆られて叫びながら、車椅子を走らせた。片割れを殺された怒りか、全身の筋肉をパンプアップさせた影狐は、倒れているマヌルにとどめの一撃を浴びせようとしていた。

「待ちやがれッ!」

 カルセドは車椅子の勢いにまかせ、影狐の背後から肩でタックルを食らわせた。不意を打たれて仰け反った影狐だったが、転倒には至らない。体勢を立て直すついでに振り回した腕が、車椅子に乗ったカルセドに直撃した。

「ぐあッ!」

 ただの一撃で、カルセドは車椅子ごとなぎ倒された。倒れる勢いでカルセドの身体は車椅子から投げ出され、草の地面に打ち付けられる。森の地面は湿り気を帯びており、転がされたことによるダメージはさしたるものではない。しかし不幸にも、カルセドが投げ出されたそこには石が一つ落ちていた。

「ごッ……!」

 衝撃を殺しきれず地面を転がったカルセドの側頭部に、別種の衝撃が走った。草と土に半ば埋もれかけていた、枕めいた形状の石。その上に頭を乗せたことによる衝撃だった。



「…なんだこりゃ?」

 周囲を闇が包んだ空間の中に、一人カルセドは座っていた。座っている椅子は、炭鉱を出てから使っていた車椅子である。膝には書物のようなものが乗っていた。森の地面に投げ出された記憶とはつながらない状況に、カルセドは困惑していた。

「こんなとこにいる場合じゃねえ…!」

 立ち上がろうとするも、石化した右半身の重みは先ほどまでのそれと変わらない。じわじわと姿勢を変えるので精いっぱいだった。立ち上がる動作の途中、膝から書物が落ちた。そこでようやく、カルセドはその存在に気づいた。右半身の石化は、腕や足だけではなく胸や脇腹にも及んでいる。内臓や筋肉までは石化していないため、重量と苦痛さえ考慮しなければ、動かすこと自体は可能だった。拾い上げた書物は、数十枚の紙が綴じられたものだった。枠線で区切られた絵と、その説明のような文字が書き込まれている。

「これはマヌル…それに俺か…?」

 里での修行中に読まされた、人体のツボ『経絡』にまつわる書物に似ていた。大きく違うのは、マヌルやカルセドを第三者の目線から捉えた絵が描きこまれていることである。カルセドは車椅子に座り直し、書物を読み始めた。

「なんだこりゃあ……俺はこんなガタイよくねえぞ」

 ツッコミを入れつつも、カルセドはその内容に引き込まれていた。見覚えのある背景から、影狐と戦って負傷したときの光景を写した絵なのだろうとカルセドは考えた。ページをめくっていくと、自分と思われる男がマヌルと共にシャドウフォックスに襲われている場面が目に入った。影狐二匹との戦闘中である。カルセド自身にも覚えがあった。マヌルに与えたアドバイス、そしてマヌルの立ち回り。途中で不自然なほど動きのよくなったマヌルを称して『超集中(ゾーン)』、『推閃思考(イマジン)』と表現されていた。

「…集中力が高くなってたから勝てた…のか?」

 それから少しページを繰ると、集中力を切らしたマヌルが影狐に後頭部を殴られて倒れるシーンが書かれていた。先ほどまでカルセドが見ていた通りの光景だった。そして絶望に駆られて叫んだシーン。車椅子で突進したものの反撃されたシーン。カルセドはため息を吐いた。

「間抜けだな、俺は」

 苦笑したのもつかの間、影狐からの反撃を受け車椅子から放り出された『その次のシーン』が描かれていることに、カルセドは気づいた。

「なんだこりゃ…『そうだ来いよ…お前の相手は俺だ…! 今度は…俺が守る番だ!』? どういうことだ?」

 自分であれば言いそうなセリフであると同時に、『まだ言っていないセリフ』でもあった。そしてカルセドはさらなる違和感に気づく。

「俺たちのことが書かれてるのに、今の…この書物を読んでる俺が描かれていない…?」

 書物の中の、シャドウフォックスに殴られたカルセドは転がってすぐさま起き上がり、啖呵を切っている。このような謎の空間にいなければ、自分でもそうしているだろうとカルセドは思った。

「…未来が、書いてあるのか…!」

 ページ残量から、まだ続きがあることを把握した。次のページを繰る。繰る。繰る。カルセドがページを繰る手は止まらない。眼球は目まぐるしく動きまわり、開かれたページを隅から隅まで読み込んでいく。そしてカルセドはある絵を見つけた。

「『カルセドはこの地を去った…』…?」

 文面にはそう書かれていた。その先の絵には、森を出ていくマヌルの姿が描かれていた。カルセドの血にまみれたゴーグルと、何かの詰まった袋を片手に持っている。袋の中身は、カルセドの石化したパーツの破片である。カルセドはその内容に愕然としていた。

「なんだよこれ……なんで俺は死ぬんだよ……!? 死んでんじゃねえ! 死んだらなにもできねえだろ!?」

 書物の内容自体は理解できていた。しかし、その展開には文句を言うことしかできなかった。一人取り残されたような空間で、カルセドは思考を巡らせる。

(マヌルがやられた以上、俺がどうにかしないと全員死ぬのは間違いねえ。でも俺が奴らを相手にすると、途中でオニキスが出てくる。オニキスが出てくると、俺はあの場で爆弾を使わざるを得ない。…だがオニキスが出てこなかったら、もしかすると俺は爆破をしくじって、敵を倒せなかったかもしれない。…あの場の俺はどうすればよかったんだ…?)

 カルセドは思わず頭を抱える。膝の上で開かれたページが目に入った。オニキスが登場する、少し前のシーン。カルセドがひたすら影狐に嬲られるばかりの場面である。

(…こんな光景を見せたから、オニキスが見かねて出てきたんじゃねえか?)

 石化した右腕で攻撃を受けると、伝播した衝撃が頭にまで響く。作中ではそう書いてある。これを繰り返した結果、作中のカルセドは防御をし損ねたのだ。

(まぁそれでナイフの…荷物のおいてあるところまで吹っ飛べたのは確かなんだが)

 作中の状態は考えられるかぎり最悪の状況…ではない。オニキス含め全滅していない以上、カルセドにとっては御の字とも言える。しかし、第三者の目で自分の死亡シーンを、そして自分の死を目にした者たちの様子を見てしまったカルセドは、思わず呟いた。

「死にたくねえなぁ…」



「…ッ!」

 闇の中に放り込まれたのと同じくらい唐突に、カルセドは光の中で目を覚ます。薄暗い木漏れ日が差す森の中。視界の先に、近寄ってくる影があった。シャドウフォックス、それも仲間を殺されて怒り狂った個体である。地面に転がったまま起き上がらないカルセドに、容赦なく追撃を与えんと駆け寄ってくる。対してカルセドは、枕めいた石に頭を乗せたまま、立ち上がることさえできていない。

(さっき読んだのとも違う展開…!)

「クソッ!」

 振り下ろされる爪に応じるように、石化した右肘を向けた。ガキン、と硬質な音が鳴った。そして悲鳴。

「…どういうことだ…?」

 攻撃される瞬間、思わず目を閉じていたカルセドは遅れて状況を理解した。影狐が、カルセドから距離をとって右手の先を振り回していた。カルセドが自身の右腕を見直すと、右腕の袖に大きな穴が開いていた。……そしてその下からは、青い煌めきが見て取れた。影狐の振り回す右手の先、鉤爪がいびつに変形していた。

(『クオンツ鉱石は死ぬほど硬い』! ヤツの爪のほうが砕けたのか!)

 いつしか、カルセドの頬には笑みが浮かんでいた。

「…戦術を、組み直さねえとな」

 右手の爪の痛みが治まったのか、影狐は再び、カルセドを正面から睨みつけていた。カルセドはその視線を正面から受け止めて、なおも笑っていた。若き獣たちの正面衝突は間近だった。

「来いよ」

 影狐の左腕が振りかぶられ、すぐさまカルセドに迫った。手のひらが開かれているのを見て、カルセドは右腕を挙げて応じた。強化された影狐の膂力と、クオンツ鉱石の塊がぶつかり合う。指が爪が砕けそうなほどの硬度、それをはじき飛ばそうと影狐は左腕を振り切った。

「~~~ッ!」

 押し殺したような悲鳴はどちらのものか。左手指があってはならない向きに曲がった影狐か、右腕一本を盾にその場を動かず耐えきったカルセドか。カルセドの額から一滴、汗が滴る。笑っていた。

「来いよ」

 右手を握りしめた影狐が、流星を思わせる速度で拳を振り下ろす。カルセドは石化した右腕を盾に…せず、石化した右足を軸に身体を捻ってその一撃を回避した。風圧でカルセドの頬から、汗が飛沫となって飛んだ。笑っていた。

「こっちの番だぜ?」

 影狐の空ぶった右腕に、カルセドは右肘を落とした。ゴツ、と硬い感触があった。すぐさまカルセドは右腕を胸元に引き戻す。そして左足のみで身体を蹴り出し、影狐に右肩からぶつかった。

 超至近距離の、ゴシン術の応用。

 全身を強化した結果体躯までも大きくなった影狐にとって、相対的に小さくなったカルセドによる超至近距離の攻撃は、防御しようのないものだった。肋骨が砕ける音が森の中に響き渡った。

「~~ッ!」

 影狐が声にならない悲鳴を上げる。カルセドは勢いのままに影狐を押し出す。受け身も取れずに地面を転がった影狐を、追い打ちをかけんと駆け出した……その瞬間、左足が地面を蹴った瞬間に膝から崩れ落ちた。石化した右足から痛みが伝わり脳まで達したのだ。

「グッ……」

(まだだ…まだ倒せちゃいねえ…)

 暗い空間の中で見たものを思い出す。展開を変えてしまった以上、書物に書かれていた作戦をそのまま実行することはできない。先ほどまで一方的に押すことができていたのも、作戦がたまたま上手くいったに過ぎない。一対一、かつ冷静でない相手だったからこそ成立した戦法である。相手が冷静になったり仲間を呼んだりした場合、カルセドはマヌルもろとも終わる。

「ゲゲーーッ!」

「クソッ!」

 立ち上がった影狐が、右肩を突き出すようにしてカルセドにまっすぐ突撃してきた。人間のタックルに似たその動きは直線的だったが、直撃すればカルセドを吹き飛ばせる速度だった。痛む両手を使わずにカルセドを攻撃する策としては正解と言える。

 万事休すかと見えたその瞬間も、カルセドは笑みを浮かべていた。…やや引きつってはいたが。

(俺は…俺たちはまだ……やれる!)

「おおおおおおおッ!」

 まだ曲げられる右足で立ち上がりながら、カルセドもまた右肩を影狐に向けて左足を蹴り出した。タックルにタックルを、正面からぶつけにいく形である。

「ゲーーーーーーッ!」

「おおおおおおーーーーオニキス!」

 正面衝突のその寸前、カルセドの身体が傾いだ。走路が右側へ急激に逸れ、影狐との衝突は回避された。カルセドの石化部分の硬度を見越しての、勢いをつけたタックルを透かされ、影狐はカルセドのはるか後方まで駆け抜けてしまっていた。

「オニキス! 俺の荷物を!」

 影狐が駆け抜けていった空間が、わずかに揺らぐのが見えた。地面に刺さっていた大振りなナイフが掻き消え、数秒後再びカルセドのそばに現れた。

「…死ぬなよ、兄貴」

「ああ」

 短く言葉を交わす。先ほど駆け抜けていった走路を折り返すように、影狐が姿を現した。今度こそカルセドを吹き飛ばしてやろうという意思が、ありありと伝わってくる。オニキスから渡された、愛用のナイフの柄を自由な左手で握りしめた。先刻以上の速度でのタックルを仕掛けてくる影狐を前に、やはりカルセドは笑っていた。

「ゲゲゲゲーーー!!」

「白虎流ゴシン術・迅速の型・応用形――」

 『白虎流ゴシン術』のうち、身のこなしの型である迅速の型、それを十全に活用する必要があった。タックルを回避するだけでなく反撃して勝利するために、カルセドはあえて真正面から、影狐のタックルを受け止めるように立っていた。

「ゲ――――」

「叩独楽(たたきごま)」

 影狐がカルセドに激突した瞬間、カルセドは重い右半身を軸に左半身を回転させた。激突の衝撃で軸足ごと吹き飛ばされないために、自身に与えられた衝撃を回転のためのエネルギーに変換する必要がある。その精密な操作を接触の瞬間に処理しきれなければ、カルセドは突風に舞う木の葉のように吹き飛んでいたことだろう。だがカルセドはその精密さを、土壇場の奇妙な冷静さで成し遂げていた。

「ゲ――、」

 自身の突撃が再び回避されたことを理解した瞬間の、影狐の行動は迅速だった。タックルの構えを解き、ただ左腕を伸ばした。すれ違いざまの一瞬であれば、本命の攻撃ではないちょっとした接触でも十分ダメージを与えられるという目算である。回転しての回避を選択したカルセドに向けて伸ばされた左腕は、しかし空を切った。

「ゲ?」

「裂走・迎(カウンター・ティアドライブ)」

 タックルを受けて自らを回転させたカルセドは、左手に逆手持ちしていたナイフを影狐の脇腹に突き立てていた。タックルの勢いで離れていく影狐よりも速く、大振りなナイフの軌道が走った。ただ投げつけるだけ、ただ振り下ろすだけでは肉や骨に阻まれて深刻なダメージを与えることはできなかったであろう。しかしタックルのエネルギーを乗せたカルセドの斬撃は、影狐を脇腹から両断するに至っていた。

 影狐の左腕が当たらなかったのは、切り飛ばされた勢いで上半身が宙を舞っていたためであった。

 ボトリ、と音を立てて影狐の上半身が森の地面に転がり、間もなく下半身もろとも光の粒子になって消滅した。

「仕上げだ…」

 呟いたカルセドは、オニキスから受け取っていた荷物から一つの球体を取り出した。球に設けられたスイッチを押すと、ナイフをしまって空いた左手に持つ。チッ、チッ、と規則的な音が聞こえ始めたのをよそに、カルセドは広場の一角を見据えて構えた。

「手土産代わりに持って逝け!」

 やや上方へ向け、球体を投げた。放物線を描いて飛んだ球が、広場を囲む木立の中に入り込んだ。

「「ッ!」」

 誰かの息遣いが聞こえた直後、そこを中心として爆炎が広がった。散逸する枝葉、鳴り響いた爆音、それに揺れる地面が破壊力を物語る。帝国製の球状爆弾の威力は、採石場の岩石を砕くために使われる。森の中で使われるはずのなかったそれは、森の中でも間違いなくその威力を発揮した。土煙が収まったときには、かつてその一角にあった木立は球状に切り取られていた。

「…これで、この先のことも起こらねえはずだ…」

 暗い空間の中で読んだ書物には、マヌル・カルセドと影狐たちの戦いを監視している者『隠密隊』なるものがいるという情報が書いてあった。そして彼らが本国=帝国にもたらす情報が、カルセド、オニキスをはじめとしたクオンツ族を危機に陥れるということも。

「う~ん…」

 爆弾の音で目が覚めたのか、倒れていたマヌルが立ち上がった。マヌルはぼんやりと立つカルセドを目にして近寄ってくる。

「兄貴…!」

 同じく爆弾の音を聞きつけてか、オニキスが光学迷彩を解除して近寄ってきた。オニキスはマヌルを見ると不快げな顔をした。

「カルセドさん…勝ったんですね!」

「兄貴…無事でよかった…!」

 彼を生かした二人の少年に笑いかけると、カルセドは言った。

「…さ、帰ろうぜ。みんなが待ってる」



  僕の武器は攻撃力1の針しかない…第一部 完


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