傷だらけの手に花束を
「綺麗…」
「こりゃあ見事なもんだな」
「さっさと秋水を取り返して酒盛りといくか」
トゥールに案内され向かったのは、見渡す限りの美しい花畑。
色とりどりの花々の間を縫うように続く一本道の先には、ゆったりと水車の回る石造りの家が見える。絵画のような光景に、風に漂う花の香りが混じりあって心地良い。
それにここならゾロも、散歩に出かけても家まで迷わず戻ってこられそうね。
「それで心当たりってのは、あの家に住んでんのか?」
「いかにも。…この場所を知る者は少ない。君達もどうか内密に頼むよ」
君達の船長は、どうにも目立つ御人のようだからね。
そう付け加えながら、存外にしっかりとした造りのドアを長い腕が叩く。
「キュロス、少々時間を頂けるかね」
「トゥール、君か!今出る!」
規則正しい足音に続いて、こちらもごく背の高い、逞しい男の人がドアを開いた。
両足を少し開いた立ち姿からは、ただ厳しいといった類ではない規律ある鍛練の積み重ねが窺える。
「よく来てくれた!しかしその装束ということは、またすぐここを発つのか?」
「いや、今日は君に用があって来たのだ」
「私に?」
「君にだ。それに客人もいる」
客人だと紹介された私たちを見て、キュロスと呼ばれたその人はとっても驚いたようだった。
「彼らは…」
「なんでも大切なものを妖精に盗られたそうだ。君なら、居場所を知っているのではと思ってね」
困惑気味の視線が私たちの顔を順番に辿り、二本しかないゾロの刀に辿り着いて、彼は得心がいったように頷いた。
「他ならぬトゥールの紹介だ、君たちを信じよう。あまり多くの客人を迎えるのに適した家ではないが、上がってくれ」
「大したお構いもできずごめんなさいね」
「そんなことない。お茶もお茶菓子も美味しいわ」
「ふふ、お上手ね!」
花のように鮮やかな桃色の髪を束ねた奥様は、ふわりと上品に微笑んだ。所作を見る限り、元は良家のご息女といったところかしら。
私たちが何者なのかを聞いても動じないどころか、笑顔すら向けられるあり方には芯の強さとしなやかな覚悟も窺える。
「ドレスローザじゃ、賞金首相手にも親切にするのが慣わしなのか?」
「いいえ?…この国には、本当に色々な事情を抱えた人達が立ち寄るの。私はただ、誰かを傷つけたことがあるというだけの理由で、その人を否定したくないだけ」
奥様は、贔屓目に見ても声をかけやすいタイプには見えないゾロの隣に平然と立ち、手も止めずにカップに紅茶のおかわりを注いで言った。
「この場所にはね、昔は私の友だちが住んでいたの。太陽に透ける金の髪に、宝石みたいな赤い色の瞳の男の子」
少し変わった子だったけれど、お姉さんぶりたがる小さな私の話をいつだって穏やかに聞いてくれた。そう言葉を紡ぐ横顔は、思い出を追いかけるように窓の外の美しい花畑に注がれている。
「その子はある日……私を守るために、人を殺めた」
やわらかく細められていた栗色の瞳が揺れ、けぶる睫毛の奥で静かに伏せられた。
くすみひとつない真っ白なワンピースに、髪色を吸い込んだ赤い影が落ちる。
「けれどもし、あの日あの子が私を置いて逃げていたら、私はきっとその時に命を落としていたでしょう。そうなっていたら、私は素敵な旦那様にも、優しく可愛い娘にも出会えなかった」
嚙み締めるように目を閉じた口元に、希望の色が浮かんだ。
「今ね、とても幸せなの。それは、私の代わりに戦うことを選んだ人たちのおかげ。赤い瞳の友だち、この国の沢山の人達、それに…」
声を途切れさせた彼女は瞼を開き、壁際に立ったままの愛する人を見つめて花がほころぶように笑った。
「まあ、一体どうなさったの?キュロス!」
愛情に満ちたまなざしの先で、彼は鍛え上げられた肩を震わせ涙を流していた。