修羅と仏:破

修羅と仏:破


ロシナンテを引き取って4年が経ったある日、事件は起こった。

その頃私は新世界へと船を進めた大海賊たちを追って、また、「家族」の住居を特定されないためにも、愛と情熱と妖精の国「ドレスローザ」に居を移していた。ひどくふさぎ込んでいたロシナンテとも打ち解け、ようやく家族の形が見えてきた。そんな時期だった。痛手を負った金獅子を追うべく出港の準備を進めていた私のもとに、街に残っていた海兵から連絡が入ったのは。

曰く、コロシアムから囚人剣闘士が一人逃げ出したと。

その囚人は当時コロシアムのスター選手であったキュロス現軍隊長に敗れ続け、仮釈放の条件を満たせないことに逆上して兵士たちを打ちのめしたのだという。銃を奪った男は兵士たちを数名殺害し、郊外に逃走したらしい。

そこまで聞いた私は全力で見聞色を広げ、郊外の花畑に向かい走り出していた。

あの花畑には今あの子が、今朝、お仕事がんばってくださいと言って私を送り出してくれたロシナンテが居るはずなのだ。

剃に月歩まで使って市街を駆け抜け、感知範囲に花畑が入った。赤い花畑の奥、立ち入り禁止の遺跡の前に、銃を構えるあの子が立っていた。

直後、遺跡の中から現れた囚人の男の体がのけぞった。至近距離で撃ち込まれた銃弾はおそらく5発。どれも胴に命中したようだ。傾ぐ男にロシナンテが素早く距離を詰め、そして。

本能が警鐘を鳴らす獣の気配と凄まじい絶望の感情を最期に、男の気配が絶えた。

何が起こったのか、私には判断ができなかった。

ともかくあの子はしっかりと自分の足で立っていて、絶命した囚人には目もくれずに遺跡から離れていった。少し離れた位置に横たわる弱弱しい気配を背負い、街を目指して再び歩き出す。

ほどなくして私の前に現れたロシナンテは夥しい血に塗れたまま、あの子よりも更に小さな女の子を背負っていた。


お前さんとこのロシナンテはなんというか、ちいと変わっとるな。

滴る血を拭うこともせずにこちらを伺う子どもの姿に、脳裏をよぎったのはとある日のガープの言葉だった。

私はそれに、貴様にだけは言われたくないと返し、奴もいつものように豪快に笑っていた。だが決して、それだけで済ませてよいことではなかったのだ。

「あの、ごめんなさいセンゴクさん…この子、ちょっとケガさせちゃって…」

「…いや、よく守ってくれたな。ありがとう、ロシナンテ」

努めて明るくそう言えば、ロシナンテはぱっと笑顔を見せた。

服のあちこちが破れ、血が流れた跡の残るまだ小さな体には既に、切り傷のひとつすら残ってはいなかった。傷の治りの早い子ではあったが、それにしてもこの出血量で平然と立っていられるはずはない。

逸るなセンゴク、何よりもまず冷静たれ。

気を失っている少女に大きな傷がないことを確認し、追いかけてきた兵士たちに保護を任せる。大人たちに取り囲まれると委縮してしまうロシナンテは私が預かり、案内のまま、男の遺体があるのだろう遺跡へと向かった。

奇妙に焼けた血肉と、引きずり出された臓物の臭い。

ロシナンテが指差す先にあったのは、絶望に顔を歪め、花々の上に焼け爛れた臓腑をまき散らして事切れた憐れな死体だった。

ああ、やはりこの子は。

屈んで目線を合わせると、その赤い瞳は普段と変わらぬ色でこちらを見つめた。

ロシナンテは間違いなくあの少女のために、そしておそらく私の教えた正しさのために人を殺めたのだ。奪う命に一寸の迷いも、憐れみもなく。

傷口があったのだろう腕に触れると、皮膚をじりじりと焦がすような痛みが走る。

心は獣、血は劇毒。

あのドラムの医者は、本当に患者のことをよく見ていた。

だが、それでも。そうだとしても、おれの息子だ。

「……ロシナンテ、おれと一緒にお祈りをしてくれないか」

「神さまに、お祈りするんですか?」

「いいや。魂がせめて安らかにあるようにと願い祈る。両手を合わせるこのお祈りは、慈悲の心なんだ」

祈る私を見たロシナンテは、静かに目を伏せて合掌し、男の魂に祈った。

そうだ。その心の形がどうであれ、この子は確かに愛を知る子どもだ。

獣も衆生であるならば、その行道が修羅とは限らん。

その愛が、いつか慈しみに至るまで。獣の狩りが、弔いを伴うに至るまで。

我が子が初めて人を殺めたその日、私は「家族」であの正義の島に、マリンフォードに戻ることを決めた。

この子は、海兵になるべきだ。


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