何もない私の「つながり」という武器

 何もない私の「つながり」という武器

 丸山 晶央

 


 みなさんこんにちは。

 丸山 晶央と申します。

 私事ですが、この記事を書いている3日前に誕生日を迎え23歳になりました。そしてこれまでを振り返りながら文字を打っています。西村さんにいい機会をいただいたと思っています。頭が良くないので、少し長くなりそうですがおつきあいいただけたらと思います。

 

 僕は、ギルドハウスのある十日町市出身です。現在「アプリ製作と鯛の養殖(たい焼き屋)」をしています。

 「十日町はいいところだ」という人がたくさんいます。僕もそう思います。でも十日町には足りないものがたくさんあるとも思っています。


 中条小学校、中条中学校、十日町高校を卒業後、僕はプロ格闘家を目指して東京に2年間住みました。格闘技は1年ほどであきらめ、仲間とギャンブルに明け暮れました。クソ野郎です。

 そんな僕にも夢といったら大げさですが、目標みたいなものがありました。自分の会社をもって大金持ちになりたい。という漠然とした目標が。。


 他人から変わってると良く言われます。クレイジーだと言われる方がおおいですが。。

 僕は、「スリル」が人一倍好きなんです。そのために学生時代少し不良のようなこともやりました。格闘技もそのためです。ギャンブルもそう。。。「明日からご飯ないかもしれない」「ボコボコにされるかもしれない」そんなスリルを味わいたかったんだと思います。オカルトや心霊スポットは今でも大好きです。笑

 スリルを味わうにはリスクがつきものです。ほぼ一週間水で生活したこともありました。仕事中、みんなが弁当出すときに、一人だけ2リットルのペットボトルを取り出すんですよ。笑 信じられないくらい痩せました。ダイエット成功です笑

 現場までの電車賃がなく、道ゆく人に声をかけ、もらったこともありました。意外とくれます。笑

そんな生活も2年で終わりを告げます。

 きっかけは誕生日です。

 自分の歳ってあまり気にしなかったんですが、20歳の誕生日、いつも通りにパチンコ打っているとLINEにおめでとうメッセージが来ているのに気づき、なぜか急に自分の今までに嫌悪感が湧き始めました。

『20歳』

ただそれだけのことですが、当時の僕にはとても大きなインパクトでした。考えれば考えるほど自分の今までに絶望していきました。


 習慣を変えるのってとてもたいへんです。

 僕は東京では不自由のない暮らしをしていたと思います。なので地元に帰省しました。習慣をかえるために。

 仲のいい先輩が当時、居酒屋で働いていてそこに何度も通いました。酒は一滴ものまずいつもコーヒー一杯だけのんでおしゃべりして帰ります。客単価をだいぶ下げていたと思います。笑

 田舎の居酒屋ってその町の情報が集まるんですよね。なので居酒屋の店長ってなんでも知ってるんですよ。僕はそのとき「トレーニングジムを開きたい」というアバウトな目標を元に活動していました。自分なりに勉強していたのですが今考えるとひよっこにもなれていなかったと思います。

 そんな生活を続けていると、店長から気になる一言が飛び出しました。

「あこのたい焼きや誰かやらないかな」

 その一瞬は聞き逃しました。でも、いつも通り家に帰る車の中で頭の中になぜかずっとのこっていたんです。すぐ連絡しました。

「僕にやらせてください。」

考える前に行動してしまうのが僕のいいところであり、悪いところです。


思い立ったが吉日

 考え始める頃には気づいたら話は立地まで進んでいました。

 人生初のビジネス交渉です。とにかく大変でした。。

 まず言葉遣い。これがかなり響いていたんじゃないかと思います。

電話でなんてアポとればいいか、とか、いざ話をするときになんて言えばいいか。

なんてことを勉強してこなかったので打ちのめされました。ボコボコです。。

話の進め方。じゃあいくらでどのくらいの面積を?

身なり。あえてヒゲ生やしてました。笑

基本的には鼻で笑われて終了でした。

そんなまぬけな僕の話を真剣に聞いてくれたところが一つだけあり、そこに決めました。

 話は進み、資金調達という最後の難関で挫折しました。冬前には出したかった店ですが、気づけば冬になっていました。


 そこで「なにかしていないと気がすまない」という習慣が身につきました。

 東京にいたころのつながりでセミナーやネットワークビジネスなどビジネスの世界を見てきました。 さらに「なにかやりたい」欲が高まりました。「どうなりたいか」が大切だとたくさんの方に言われてきましたが、聞こえなかったんだと思います。

 次に思ったことは、学校を真面目に卒業して小さなことを「やりとげる」ことにチャレンジしました。みなさんなら中学、高校でやり遂げていることだと思います。

しかし、僕にはその能力が欠けていてそれがとても重要だとやっと気づきました。


 高校生の時からゲームやアプリに興味がありました。

 「自分でつくってやろう。」と思いました。インターネットでアプリの学校を調べて、たい焼きの資金にしようとしていたお金を使い、入学しました。1期生でした。卒業できなかったら死んでやろうと思っていました。バカっぽいですが本気でした。これをやり遂げられなかったら自分は本当になにもできないと思っていました。

 仕事をしながら無事卒業しました。そこで出会ったのはウィルコムの元代表、現リクシルの役員をされている方でした。僕にとってはものすごい出会いだったっんです。


 アプリをの勉強をしているとアプリに一段と興味が湧くようになりました。ここでも「なにかしていないと気がすまない」習慣は消えていませんでした。「十日町ってどのくらいの人がアプリに興味を持っているんだろう」そんなことを思いながら「十じろう」のワーキングスペースで勉強をしていたときに出会ったのが「マストドン」の広告でした。「十日町にもアプリを作っている人がいる!」製作者が下に記載されていたので、すぐにメールしました。


そこで出会ったのが「西村 治久さん」だったんです。


 失礼ですが、僕は「普通でない人」にとても興味があります。西村さんは僕のメールにすぐ返信をくださり、「「ギルドハウス」にあそびにきなよ。」と言っていただきました。

「ギルドハウス」

ですよみなさん。インパクトすごいですよね、

西村さんのことはみなさんご存知だと思いますので書きませんが僕は生き方に衝撃をうけ、尊敬しました。十日町の大人はみんなつまらないと思っていた当時無性に僕を駆り立てるものがギルドハウスにはありました。

アイデアを形にするって生きてれば生きてるほど難しくなって最後には何をしたいかわからなくなってしまう。十日町の大人はそんなもん。なんて考えが吹っ飛びました。


それから時が経って現在僕は千手温泉の前にたい焼き屋を開店しました。

本当に少し外に出るだけで人生なんて簡単に変わると今は思っています。人間を変えられるのは他の人間だけだと思っています。

つながりが僕を成長させてくれました。きっかけをくれるのも、大工を紹介してくれるのも、お得意先になってくれそうな企業の社長も、店を広めてくれるのも全部つながりという僕の最強の武器だと思っています。

すばらしすぎる人々に出会えたことをとても幸せに思っています。なおさら止まれなくなった今、全人生をかけて必ず恩返しをしていきます。


 書きたいことが止まらないので今回はこの辺りでやめます。

 

ちなみに告知ですが、

12月10日はとおか市

12月21日から25日はドコモショップ様の正面

あと、雪まつりの3日間(予定)

出店します!!ここまで読んでくださった方、ぜひお会いしましょう!おまちしてますね💓


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