何でもない私から、特別なあなたへ…

何でもない私から、特別なあなたへ…


押し入れの中、埃をかぶったギターがひとつ。いつものように、私が夢中になれなかった無数の何かの一つでしかないのに。フリマアプリにでも出品すれば、私なんかよりもっと輝いていて、夢中になってくれる人が引き取ってくれるはずだ。きっとその方が良い、それでも……

 

「どうしてもこのギターだけは手放せなかったんすよね。」

 

結局弾いたのはほんの少しだけだ。手放そうと思って押し入れから出したことはあったのに…

 

『本当に初めて触ったの……?そんなにサラッと弾いちゃうなんて……』

 

その度に、私を褒めてくれる先生の顔が浮かんできて、結局押し入れにギターを仕舞い直した。

何をするわけでもなく、ギターを眺めていた私の耳に聞こえてくるのは、つけっぱなしにしているテレビの音。そちらに意識を向けると、音楽番組が流れている。どうやら、ラブソングの特集をしているらしい。

ありきたりで、どこにでもあるような特別な愛を伝える歌。そんな歌を聞いていると、ふと先生の言葉が脳裏をよぎった。


『もっと自分の気持ちに正直になって、好きなようにしよう。』


自分の気持ちに正直に生きているつもりだった。でも、先生がそう言うならきっと、まだ正直になりきれていないんだろうとも思った。


「自分の気持ちに正直になっていいんすよね、先生…」


先生に出会って、今までずっと心の奥に開いていた大きな穴に、カチリと何かが埋まったような気がした。


押し入れの中から埃をかぶっているギターと初心者用の教本を取り出し、今もテレビから聞こえてくるラブソングの楽譜をネットで探す。


「先生がそう言ったんすからね…」

 

やっと見つけた、心から夢中になれる人。

何もなくて、隠して、ただ取り繕って生きているだけの私。

そんなどうしようもない私を認めてくれた人。気を抜けば全部任せて甘えたくなってしまいそうだ。

それでも私は、あの人の…先生の隣で一緒に歩いて行きたい。

そのためにも……

 

「ふふっ、先生の言ったとおり、全力で正直な想いを伝えさせてもらうっすよ」



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ギターの練習を始めてからしばらく経った。何曲か弾けるようになって、先生に聴いてもらう決心が着いた。


〔先生、明日って会えます?〕


〔大丈夫だよ〕


〔ギター、また聴いて欲しいです〕


モモトークで初めてギターを弾いた川辺に先生を呼び出した。日が沈み始め、空が茜色に染まった頃、先生がやってきた。


「あ、こっちっす!先生!」


夕焼けに照らされた先生の姿に私は手を振る。

そんな姿を見た先生も手を振り返しながらこちらに歩いてきた。


「お待たせ、イチカ。待たせちゃったかな?」


「いえいえ、そもそもこんな時間に呼び出しのはこっちっすから。」


「全然大丈夫だよ。それに、またイチカのギター、聞いてみたいって思ってたから。」


「そう言ってもらえると嬉しいっす。それじゃあ、早速聞いてください。」


ギターを鳴らす。最初に引くのは、最近流行りの曲だ。

いきなり自分の思いを伝えるには少しだけ勇気が足りなかった故の、ちょっとした自分への抵抗。

練習した通りの基礎と応用の繰り返し。一曲弾き終わると、パチパチと拍手の音が聞こえた。


「やっぱり上手だね。前に聞いた時もとても初めとは思えなかったけど、前以上に良い演奏だったと思うよ。」

「そんなに大したことじゃないと思うっすけど…まあ、その言葉はありがたく頂いておくっす!」


やっぱり、先生が褒めてくれると嬉しい。今までにない、胸の奥が熱くなるような感情。今の自分にできるのは、この想いを込めて、弾くことだけだ。


「それじゃあ、次が最後っす!ちゃんと受け止めてくださいね、先生。」


フ-ッ、と少しだけ長く息を吐いてギターの弦に手を添える。後は先生の言った通り、自分の気持ちに素直になるだけだ。


ギターを弾きながら、自分の想いを歌に乗せることに集中する。弾き語りを始めた私に少しびっくりするような表情をした先生の姿に、僅かに口角が上がった。


【知らない間に身についた強がりや

追い出せない、ない、臆病が胸をふさ ぐ】


先生には、自分が見せたくなかった姿も見られてしまった。怖かったのだ。もう、いつからなのかすら覚えていない。偽って、頼りになる私を演じて、問題のある性格を取り繕っていた。でも、そんな自分も先生は認めてくれた。


【いつの間にか 映してた その後ろ姿

正直になれないまま 膨らんでいく

苦しくて 切なくて でも温かくて

私の中にあなたがいることに 気付いたんだ】


分かっている。先生はずっと、これからも《先生》だから。きっと私では特別になれない。分かっていても、この想いだけが自分の中で大きくなっている。


【躓きながらも選んできた道

どれか一つでも違ったなら

あなたに会うことはなかったの

そう思えば悪くないね】


あの列車で何度もミスをして、取り繕っていた自分の本性が見られた。でも、だからこそ、私はちゃんと先生の生徒になれた。


【街の色も 雨の日も こんなに輝くのは

あなたを想う この心を

ぎゅっと抱きしめているから


あなたと出逢い かけがえない 時間を重ねてく 

見つけたもの 繋ぎ合わせ 紡いでいく幸せも

手を取り合い 笑い合い 過ごす日々の喜びも

ずっとそばで 感じていたい】


日に日に先生のことを考える時間が増えていった。この人の隣は居心地が良くて、本当の自分も取り繕った自分も、どちらの自分も肯定してくれる。だから、私は心から理解してしまった、仲正イチカは先生のことが…


【好きなんだ】



弾き終わった、歌い終わってしまった。

すっかり暗くなってしまった川辺で街灯の灯りに照らされて、月を見上げながら静かな時間が流れる。

そんな心地よい静寂の中、意を決したかのように先生が口を開いた。


「イチカ…私はッ…」


私はそっと、その唇に指を当て、先生の言葉を遮った。


「先生、大丈夫。ちゃんと分かってますから… 」


今は、まだ答えを聞きたくない。どんな返事が返ってくるかは分かり切っている。この人はみんなの先生なんだから…


「イチカ…」


「でも、私は諦めるつもりもないっすから!これからは覚悟してくださいっす!」


今はまだ、あなたの特別にはなれない。だからこれは、私が自分の想いに素直になっただけ。

ただ、何でもない私から、特別なあなたへ…


「どうか…これからも末永くよろしくお願いします、先生。」


とびっきりの宣戦布告をするだけっす!!


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