【伏黒少年、呪霊のサラダボウルと遭遇す】Q
倭助が長い眠りについてからの動きは慌ただしかった。
病室に駆け込んできた医師や看護師たちに改めて倭助が亡くなったことを確認してもらい、彼の入院生活の間に顔見知りになった看護師に言われるまま末期の水に死後処理、死化粧といった手続きをお願いし。
それらが一通り済むと今度は死亡診断書の受け取り云々かんぬん。
「――――うん、必要な書類はこれで全部」
「ウッス、お世話になりました」
その日、できること全部が終わった頃にはとっぷり日が暮れていた。
看護師に書き込みの終わった書類を渡し、身内が亡くなったこととは別の疲れから悠仁は重いため息を漏らした。
「なにこれ、めんっどくせええ……」
「そういうものだからねえ、人がお亡くなりになるのって」
偽りない悠仁の感想に看護師が書類のチェック項目に目を通しながら苦笑する。
「そりゃ村八分なんて言うぐらいだわ……」
「あら、詳しいんですね虎杖さん」
「ん、まあそっち関係に詳しい知り合いもいるもんで」
看護師相手に軽口を叩く悠仁だが、その表情には隠しきれない心労が滲み出ていた。
「うんうん、わかってるって……そうだよな、昔に比べたら手続きとかその辺ちゃんとやらなきゃだよね……うん、いつまでもメソメソしてたら爺ちゃんにキレられるし、こんがり焼いて――」
(ホ、ホントに大丈夫かしら虎杖さん)
一通りの手続きを終えて気が抜けたのか、待ち受けのベンチに腰掛けてブツブツと呟いている悠仁の憔悴した様子に、無理もないと看護師は思う。
聞けば物心つく前から祖父との二人暮らし、身近に親類縁者もいないとの話。
倭助の見舞いに来ている時は、年の割に妙な落ち着きや大人びたところのある子に感じていたが、こうした形で彼の年相応なところを見ることになるとは。
このまま家に帰して大丈夫なのだろうかと頭を悩ませていた看護師に代わり、悠仁に声を掛ける者が現れたのは丁度、そのタイミングだった。
「――――虎杖悠仁だな」
いつの間に病院に入ってきたのか、黒一色の学生服に身を包んだツンツン髪の少年が待ち受けのすぐ側に立っていた。
「……えっと、どちらさま?」
「呪術高専の伏黒だ。オマエに……聞きたいことがある」
ベンチに腰掛けたまま、ぼんやりと自分を見上げる悠仁に伏黒と名乗った少年は小さく顎をしゃくって外に出るよう促した。
「じゅじつこーせん? んなとこの人が俺になんの用?」
「悪いが急いでるんだ、おとなしくついてきてくれ」
お友達、にしては剣呑なやり取り。
止めるべきか否か、逡巡する看護師にチラリと視線を送った後、悠仁は大きくため息をついて億劫そうに腰を上げた。
「お世話様でした、医者の先生とかにも助かりましたって言っといてください」
「え、ええ。その、あんまり気を落とさないでくださいね」
「うっす、了解っす…………んじゃ、行こうぜ」
「…………ああ」
看護師の言葉に力なく笑い、先導するように歩き出した悠仁に伏黒が続く。
気まずいどころではない、重圧さえ感じる沈黙は病院を出て少し先にある公園に到着するまで続いた。
「――――この辺でいいか?」
「……ああ」
公園の真ん中辺りで立ち止まり、ゆっくりと振り返る悠仁。
数メートルの距離を置いた位置から返事をして、伏黒はごく自然な動きで両の手で印を――影絵の犬の形に組む。
問答無用で攻撃するつもりはないが怪しげな素振りを見せればその限りではない。そうした意思表示である。
「こっちが聞きたいことは一つ……お前の学校にあったはずの特級呪物『宿儺の指』、あれをどうした」
「宿儺の指ぃ……? ああ、なんで知らんけど百葉箱の中にあったあれか……」
「知ってるんだな?」
「いやー、知ってるつーか……悪い、アレは手違いで万姉ちゃんが飲み込んじゃったんだよね」
「?????」
勢い余って窓ガラスを割ってしまった、ぐらいの空気で告げられた話の内容に伏黒の脳内に宇宙が広がった。
飲み込んだ、誰が?
調べた範囲で虎杖悠仁の周辺に「万姉ちゃん」という人物に一致する者はいなかったが、飲み込んだと言ったか特級呪物を?
常人であれば下手に持っただけで気が触れる呪いの塊を、よりによって摂取しただと?
せめてなにかしら穏便な方向で済ませることができれば。
そんな伏黒の甘い目論見は悠仁の言葉を聞いた瞬間、あり得ない理想論へと変わっていた。
「もしどっかで管理してるものだったら悪い、けど……」
「喋るな」
言葉を続けようとした悠仁を黙らせて、形式に乗った宣告を行う。
「いかなる経緯があったとしても、特級呪物を飲み込んだお前はもう人間じゃない」
念のためにとっておいた間合いをさらに広げながら構える。
「呪術規定に基づき、虎杖悠仁……いや『呪巣図』、お前を――――呪いとして祓う」
「……はっああぁぁぁぁぁぁ!」
しかし、そんな敵愾心に溢れた伏黒に対し悠仁の反応はどこまでも気怠さに満ち満ちていた。
常人の十数倍はありそうな盛大な嘆息。悠仁を中心に突風が吹き抜け、周囲に立ち上る砂煙。
中庭で見かけた時よりも近づいてより明確に感じる異常な呪力と死の臭い。
(これでこちらに敵意を向けてないってんだから、喜べばいいのか悔いればいいのか……)
虎杖悠仁について短時間だが情報を集めてわかったこと。
・高専関係者には伏せられていたが、齢一桁の頃から呪術総監部の命で秘密裏に監視されていた人物であること
・その体はあらゆる呪物・呪いに対する耐性を持ち、史上最悪の術士と称される加茂憲倫が封印することさえ危険視した呪物『呪巣図』の受肉体
・かつて一度、呪術高専学生時代の五条悟と遭遇したことがある
・エトセトラエトセトラ!
出るわ出るわ、少し掘っただけで破損させた水道管のように厄ネタが噴き出してくる。
(なにより問題なのは、若い頃とはいえあの五条先生から取り逃してる、つーことだ!)
現代の『最強』の名を欲しいがままにしている破格の呪術師・五条悟を相手に五体満足で逃走を果たしている。
呪術師として長くこの業界に関わっている者ほど、その成功率の低さは理解できた。
つ、と気づかぬうちに滲んだ汗が伏黒の頬を伝い、顎先から落ちる。
(五条先生ほど上層部嫌いは拗らせてないつもりだが、秘密主義極まれり……マジふざけんなって気持ちだよ!!)
特級呪物の回収だけでも話と違うのに、『呪巣図』の受肉体を相手取ることになるなんて特級案件もいいところ。
(死んだら恨むぞ五条先生……!)
生半可な恨み辛みがあの大人の皮を被ったクソガキ教師に通じるかは不明だったが、腹痛ぐらいは起こしてやりたいところだ。
目の前の意志を持った特級呪物相手に、自分がどこまで抗えるのか。覚悟を決めて対峙する伏黒の心を余所に、悠仁の胸中を占めていたのはただ純然たる苛立ちであった。
「いや、そりゃさ、いつかこういう日も来るだろうなって考えてはいたけどさー」
よりによって今日というのは間が悪いというレベルではないだろうと悠仁がぼやく。
「ワンチャンさ、今からアンタが厨二病に目覚めてる霊感ある人ってことになんない?」
「……ふざけてんのか」
痛い人扱いしてくる悠仁の言葉をバッサリ切り捨て、伏黒は緊張をより高める。
対する悠仁の反応は顕であった。苛立たしげに前髪を掻き上げて伏黒に向けた眼差しには、公園の心許ない照明の中でもはっきりわかるほど「不愉快」の感情が塗りたくられていた。
「あんまこういう言い方はしたくないんだけどさ――――こっちは喪中なんだよ、ちっとは空気読めよウニ頭……!!」
「――――――――ッ、『玉犬』!!」
敵意に満ちた怒声に呼応するように、悠仁の顔や手にボコボコと不快な音を立てて歪な瞳や口が泡のように次々と現出する。
一瞬で地獄へと変貌する公園の空気。
伏黒は条件反射で自身の呪術――影を媒介に様々な式神を使役する呪術御三家が一・禪院家相伝の十種影法術を発動させた。
伏黒の呼びかけに応じて、彼の影が蠢き狼を彷彿とさせる白と黒の猛犬が現れ、主人の命を待たず悠仁へと躍りかかった――
「――――なるホロ、そーいう経緯で伏黒はここに来たわけだ」
「……………………おお」
公園での激突――――と呼ぶにはお粗末な、大人と子どものケンカと称するのも憚られる小競り合いはほんの数分で終わった。
公園の花形・ブランコに並んで腰掛ける悠仁と伏黒の顔には、商社と敗者の明暗がきっちりとこれ以上なく描き分けられていた。
「ムグムグ……いや、それにしてもさ、いくら封印されてるからって宿儺の指みたいな爆弾を二級術師に回収させるってあり得なくねえ?」
最近の侮れないコンビニ産の特製豚まんを頬張りながら、意味がわからんと悠仁は眉を顰めた。
「教えてもらった範囲でしか知らないけど、呪術高専って呪術師の育成機関みたいなもんだろ? なんで若手を使い潰すみたいなことしてんの?」
数と質を揃えて使うからこその組織ではないのか。
「万年、人手不足なんだよ!! そういう文句は上層部に言ってくれ!」
ほぼほぼ一方的な交戦を終えた後、「少し待ってろ」と言い残してコンビニから大量の食料と飲み物を買い込んできた悠仁から受け取った無糖のコーヒー缶を傾けながら呻く。
ごもっともな指摘だけにそれ以上、返す言葉が見つからなかったのだ。
「……ゴメン、ちょっとやりすぎた?」
「……問題ねえよ」
心配そうに覗き込んでくる悠仁からプイと顔を背けた伏黒の声はどことなくくぐもっている。
それもそのはず、いまの伏黒の顔は見るも無惨に両頬が腫れ上がっているのだから。
ギャグ漫画のように真っ赤に膨らんだ頬を手で擦りながら伏黒は小さく首を振る。
「……こっちこそ悪かった、病院とは言ってたがまさか祖父が亡くなったばっかだとは」
「いいって、いいって。みんなも少し荒れちゃいたけど、別に伏黒をどうこうしてやりたいってわけじゃなかったし」
「そ、そうか」
顔面をボコボコになるまで張られたのが八つ当たりでないなら、これは純然たる実力差か。
実力主義による区分けがなされている呪術界。少なくとも隣で豚まんを頬張りながらブランコを漕いでいる呪巣図……いや虎杖悠仁は特級相当ということだろう。
共倒れ上等の『奥の手』を使う使わない以前に完封されたのは呪術師としてどうなのか。
命あって物種とはいうが、彼我の戦力差をわからせられた挙句、缶コーヒーを奢ってもらったことをどう報告すればいいのか。
平静を装いながら、グルグルと胸中で思考を回す伏黒の耳元――ブランコに腰掛けた彼のすぐ後ろから声がしたのはその直後のこと。
「――んで、いまどういう状況?」
「なっ!?」
「うわ、ビックリしたー!」
ブランコとブランコの間から突如、ニュッと生える黒いアイマスク装着の不審者男性が一人。
「や、来る気なかったんだけどさ、さすがに特級呪物が行方不明で呪霊のアパート……呪巣図まで出てきたときたら上が五月蠅くてね。観光がてら馳せ参じたよ」
いつの間に接近したのかわからないのは不明だが、いけしゃあしゃあと宣う黒ずくめの現代『最強』不審者――五条悟は場の状況も意に介さず、全体的にズタボロな伏黒に質問を続けた。
「……アンタ、どちらさま」
「やあやあ、呪霊のアパート。今の呼び名ははなんだろ、呪霊のサラダボウル? まあなんでもいいや、久しぶりだねえ」
突然現れた現代最強に悠仁はブランコに腰掛けたまま、伏黒相手にした時からは考えられない警戒心を露わにしようとして……
『『『『『貴様はあの時、幼い悠仁に声かけしてきたグラサンと福耳不審者の片割れ!!』』』』
「覚えてくれてて逆に安心したよこのクソ呪霊の集合住宅がよお!! あれのお陰でこっちは大変だったんだからなっ、ポリには補導されるし夜蛾先生に迎えに来てもらったり家の爺や婆やには泣かれたり……!!」
『ヒャハハハハハッ、僕おとなだもんと言いながら他人の世話になるお坊ちゃまか、愉快だなあ!』
『大人のフリをした子どもをなんと呼ぶのだったか、アダルトチルドレンか!? ウチの悠仁と違って周囲の環境がよろしくなかったのだろうなあ、お坊ちゃまァ!?』
『おいおい、止めてやれよ! 中途半端にしか社会の一般常識を教えてもらえてないお子ちゃまの至らぬ点をあげつらっても改善のしようがないだろう!』
『先生と呼ばれているが、その先生の役割をどの程度果たしているのか、この我々に教えてもらいたいものだなあ!』
『ああ、もちろん術式の強弱ではなく人間的なあれこれでな? できるよなあ、人間なら!!』
「ハッハハハハ! そうか? そうかな? そいうかもなァ!? ……んっのクソ呪物どもが!!」
『『『『お? 怒った? 怒った????』』』』
「上ッッッッッッッッ等ッッッッッッッッ!!!!」
「あの、五条先生……」
「恵、これもってて喜久福! 帰りの新幹線用に買った仙台の名物、超うまい!」
「この人、人が死ぬかもしれない時に土産買ってから来やがった……!!?」
顔全体に吹き出物のように現れた口とやかましくディベートを繰り広げ始めた五条を視界の隅に置きながら、悠仁は心底疲れたジト目を伏黒に向ける。
「なあ、伏黒……会ったばっかのお前に言うのもなんだけどさ、言ってもいいか?」
「なにを言いたいかわからなくはないけど、一応聞いておく」
「お前が先生って呼んでるこの目隠しさ、特級呪物の行方不明とか紛いなりにも厄物になってる俺との遭遇とか一刻を争う状況だったのに帰りの甘味を選んで来てる辺り、強さからくる余裕じゃなくてただ単純に状況判断とか場の空気を読めない社会不適合者じゃ――」
「言わないでくれそれ以上!!」
「お前が許容した話だろ……。ああ、なんとなく察したわ、内の宿儺と似たような感じなんだなこの人」
『おい小僧、貴様この俺をそこの領域内の指名手配変質者と同じだと――――!!!!!!!!!!!?????』
「なあ、虎杖……」
「なんだ、伏黒」
「その顔とか手に浮き出してる手とか口って、お前の意志でどうこうできるものじゃないんだよな?」
「できなくはないけど、そういうのは好きじゃないな。みんな俺の爺ちゃん以外に残された家族……みたいなもんだし」
「そう、か」
しんみりとした表情で語った悠仁に、伏黒はそれ以上、言葉をぶつけることができなくなる。
残された家族を大事にしたい気持ちは痛いほど理解できたからだ。
「とりあえずこの騒ぎが終わったら俺、どうなる?」
五条と舌戦を繰り広げる顔や手の口を放置して話しかける悠仁。
強烈な自我を持つからこそ呪物になった存在を取り込んだ上で自我を保っている貴重な存在。
下手な受け答えをすれば自身ごとそれらを抹消されるというのに、あまりに他人事具合な受け答えに「惜しい」という感情が伏黒の胸の内にわき上がる。
「……仮にお前が特級呪物でも塗り替えられない器だとしても、呪術規定に則れば処刑対象だ。でも、死なせたくない」
「んー……それって私情?」
「私情、だよ。いちいち確認するなよ、そういうこと」
ニンマリと意思確認するように尋ねてくる悠仁に、伏黒は心底嫌そうに同意する。
「そっか、なら逆に安心だ」
「――――」
なにが、と問いただせるほど伏黒はすぐ側で呪物の口と口論している上司のように無粋ではなかった。
「どうせ存在を捕捉された時点で死刑は確定なんだ、そこの目隠し先生がなんか上手いことしてくれるって中の連中も言ってるし……『どうせ殺すなら、取り込める範囲で宿儺を取り込ませてから』の方がお得だろ?」
「お、まえ……!!」
願ったり叶ったりとでも言いたげに、ニンマリと微笑んだ悠仁を目撃した伏黒が、ありとあらゆる意味で後悔したのはそれから数週間後のこと。
ついでに、
「呪術高専で一番尊敬出来る人?」
「そうそう、やっぱ大事じゃんそういう趣味嗜好って。伏黒は面白みがないからさあ」
「ケンカ売ってるのかお前」
「尊敬か……尊敬、なら――――伊地知さんだな」
「えええええええぇぇぇぇ~?」
「虎杖、お前……」
「ハッ? おまえら、伊地知さんのこと安く見積もってるか? ふざけんなよおまえら生前葬するぞ、一般社会における書類処理その他云々がどれだけ重要で大変か理解してるのか――――!!!!?」
「お、おお」
「それとなく聞いてたけど虎杖の伊地知さんリスペクトやべえ」
倭助の葬儀や相続関係で伊地知を最大リスペクトする悠仁+中の受肉ーズがいたとかいないとか