【伏黒少年、呪霊のサラダボウルと遭遇す】中

【伏黒少年、呪霊のサラダボウルと遭遇す】中


どうしたものか。

途方に暮れる伏黒はポケットの中で鳴るスマホの着信音に気がついた。

着信先を確認すると相手はあらゆる意味で規格外の自分の恩師。

地獄に仏とはこのことか。相手の人間性を考慮すると猫の手ほども頼りにならないかもしれないが、特級呪具の紛失という個人では受け止めきれない事実を共有したい気持ちもあって通話を即断即決する。

「もしもし、五条先生ですか……!」

『モッシー、恵ー? 宿儺の指がどうなったか聞きたくて電話したんだけど……ずいぶんと元気がいいね~、何かいいことでもあったのかい?』

「逆だこのバカ目隠し!! 宿儺の指がどこにも見つからないんですよ、保管場所を監視していた窓とかその辺りに連絡取る手段はないんですか!?」

『……………………これマジギレ? ていうかバカ目隠し? え?』

気さくな挨拶に全力フルスイングで返される罵声に、電話の先で傲岸不遜傍若無人を絵に描いたような目隠しはしばし絶句した後、酷く傷ついた風に尋ねてくる。

内心、繊細かと突っ込みを入れながら特級呪具である宿儺の指が影も形も見当たらないことを報告し、指示を仰ぐ。

人間的に性根が腐っていても、いや呪術界的に腐っているからこその特級術師の可能性はおおいにあるが、それでもこの道の権威であることに間違いはない。

宿儺の指追跡のためにやるべきことをすみやかに決めるよう急かす伏黒だったが、憂さ晴らしのように恩師の無敵の防御を破るチクチク言葉を止めたのは、中庭に面した通りを歩く四人組み姿を見たからであった。

「いやあ、毎回大変だね虎杖も。陸上の高木が部活関係の書類書き換えるの何回目?」

「高木は今回で六回目だな。ついでに化学部の麦村は二回、文芸部の来栖川が三回」

「なんで教師陣が率先して問題起こしてるんだこの学校……」

「まあまあ会長。食べる? クロレラの錠剤」

「なんでそんなもの持ってるんだ!?」

つい先ほど、グラウンドで見かけた砲丸投げ勝負をしていた少年とその一団。

パッと見、不良の杯桜色の髪色をした短髪に地味なメガネを掛けたオカッパの少女、純朴そうな大柄の少年、そして神経質そうなメガネと統一感のないグループだ。

学生らしく騒がしくはあるが険悪さを感じさせない言葉の応酬を繰り広げている。

普段であればどこか斜に構えた姿勢で眺めつつ、そういった人々を守るために動くことが自分の役目だと胸の内で自身の覚悟を再確認する伏黒だったが――


(――――なん、だ……アイツ……!!!?)


グループの中心にいる灰桜色の少年を視認した伏黒は戦慄し、全身の肌を粟立たせていた。

呪物の気配。彼らの会話がはっきりと聞き取れる距離まできて、ようやく感じられた忌むべき存在の気配。

だというのに、弱々しさなどという言葉とは無縁の、沸き立つ呪いの源泉とでも呼ぶべき悍ましく匂い立つ擬人化した「毒」がそこにいた。


「ぅ……っぷ……!」


呪術師としての感覚が拒絶反応を起こし、伏黒の喉奥から酸味を帯びた生暖かい液体がせり上がってくる。

何故、この気配に気づきもしなかったのか。思わず口元を手で押さえて堪える彼の視線の先で、「毒」とその一団は雑談を終えてそれぞれ帰宅の途につくようだった。

「虎杖はこれから病院?」

「おう、高木先生のおかげでもう半過ぎちゃってるかんな。あんまり遅くなると爺ちゃんはともかく、看護師さんたちに迷惑かけちまうし」

「そういうとこしっかりしてるよな、虎杖」

「祖父君の教育かわからんが、妙な具合に礼儀作法を心得ているしな……私に対する態度はクソなのに」

「ええ~? ちゃんと会う度にクロレラとか黒酢とかにんにく卵黄のお裾分けしてるじゃん」

「そのチョイスに至った理由をきちんと説明してもらいたいんだがなあ、私もなあ!!?」

「ンハハハ、んじゃ俺はこの辺で! 先輩たちも寄り道せずちゃんと帰れよー? 暗くなると怖~いモノが出るって言うからな!」

「うーい」

「おじいさんによろしくな」

「また近いうち、見舞いに付き合わせてもらうからな」

「ああ、爺ちゃんも喜ぶよ。素直じゃないし、口では見舞いなんぞ来るな!って毒づくんだろうけど……じゃなー」

言うやいなや、猛烈な速度で校門に向かって駆けていく「虎杖」と呼ばれた少年。

文字通り、瞬きする間に豆粒サイズまで小さくなった彼の背中を見送っていたオカッパ頭の少女が呟く。


「相変わらずはっやいわよね、虎杖」

「むう……その言い方は、なんかちょっとえっちだ」

「キッッッッッショ!」

「あくまで本人の申告でだが、50メートルを3秒で走ったことがあるらしいぞ」

「なにそれ車?」


中心人物が抜けて地味度は上がったがグループの親密度は根明一人で構築されたものではないらしく、一部猥談を含む駄弁りを繰り広げながら下校を開始する少女たち。

その姿が校門を抜けて完全に見えなくなったのを確認し、乱れた息を整えた伏黒は小さく呻くように言葉を吐いた。


「追わないと……」


手がかりは病院という短いキーワードだけであったが、間近に感じた「毒」の気配――呪霊や呪物だけが持つ残穢の気配は見失いようがない。

「万が一」の意味も含めて、自身の教師に『特級呪物らしき気配を持つ男を発見しました追います』とショートメッセージを送り、中庭を後にする。


(もしもの時は……)


『アレ』を使ってでも殺す(祓う)。

自分自身さえ黒く塗りつぶすような、そんな覚悟を己に強要しながら。




杉沢病院の一室、そこに虎杖悠仁の祖父・虎杖倭助は入院していた。

入院してからそこそこの期間が経ったこともあり、見舞いに訪れる者の数は少ない。

というより、入院するまでの倭助が喧嘩っ早い性格をしていた上、それでも見舞いに来てくれた相手に「暇か」「迷惑だ」「邪魔くさい」「辛気くさい」と減らず口ばかり叩くせいで皆の足が遠のいたというのが実際の所。

それでも、倭助自身が振り返った人生の中でかなり人間関係に恵まれたとひそかに驚いていたりもするのだが、それもこれも――


「爺ちゃんー、新しい花ここに置いておくから。面倒くさがったりしないで一日一回、ちゃんと水換えしてくれよ?」

「やかましい、こんなところでジジイの相手してないで部活にでも精を出しておけ!」

「へいへい、爺ちゃんいつも言ってるだろ? 部活は十七時前に終わるって」

「知らん知らんっ、若いのがくたばりかけの年寄り相手に時間を無駄遣いしてんじゃねえって言ってんだ!」

「はあぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「なんだそのため息は!? ケンカ売ってるのか悠仁ー!?」


ギャイギャイとやかましい倭助に盛大なため息と欧米人チックな肩をすくめる動作を返して、悠仁は花瓶に生けた花の向きを細かく調整する。

「んー? こんな感じ?」

倭助にではなく、この場に居ない別の誰かに聞きながら花瓶の上に小さな季節を作り出していく。

特別これといって誇れる教養もなく、侘び寂びや風流といったものにも疎い倭助から見ても、ハッとさせられるような部屋の彩りがこの短時間で用意されたことに憮然として口を尖らせる。

「フン……お節介な連中ばかりでこっちの気が休まらねえよ」

「そんな言い方すんなって爺ちゃん~、先輩たちもまたお見舞いに来るって言ってくれてんだしさー」

やんわりと咎める孫の言葉に今度こそ観念した風にため息を一つ。

倭助は病室のベッドに横になり、苦笑の混じった孫の視線から逃げるように背を向けながら言った。

「…………悠仁」

「なに、爺ちゃん」

病室に備え付けの丸椅子をベッド脇に持ってきて、ちょこんと背格好の割りに可愛らしく腰掛けている姿が容易に想像できる柔らかな声が返ってくる。

脳裏に浮かんだその光景に一瞬、言葉を詰まらせながら倭助は続けた。

「オマエは強いよな」

「んー、どうだろ。俺がっていうか……みんながって感じじゃない?」

「かっこつけて死にたいジジイの言葉だぞ、黙って聞け」

「あ、ズリーんだぞそういう言い方。人によってはしばらく引きこもって寝ちゃうんだからな、気をつけてくれよ!」

「ああ、そうかいそうかい、悪かったよ」

我がことのように怒りながら抗議してくる悠仁に見えぬよう口元を持ち上げてぞんざいに謝罪する。

思えば、こういった意味不明なやり取りも長く続いたものだ。

「一応、訂正しておく……オマエたちは強いから、人を助けろ」

「爺ちゃん?」

普段の憎まれ口とは違うトーンに悠仁の雰囲気が変わったのを肌で感じた。

同時に、自分と悠仁しかいなかったはずの病室に、ざわざわとどよめきに似た低い音が響きだしたことに倭助は堪えきれず吹き出した。

「今まで通り――手の届く範囲でいい、救える奴は救っとけ。迷っても感謝されなくても、とにかく助けてやれ」

眠りに落ちる寸前の、深く深く吸い込まれていくように意識が沈んでいく感覚。

「オマエは……」

「それは違うだろ、爺ちゃん」

「――――――――」

今際の際の言葉だというのに、手厳しく訂正してくる孫に「つるんでいる連中の性格が悪いからな」と力なく笑って言い直す。



「そうすりゃ……オマエたちも、俺みたいに大勢に囲まれて死ねるからなぁ――――」







「……爺ちゃん」

病室に一人残された悠仁の声が、病室に虚しく響く。

ヒュウ…と最後に大きく、魂ごと吐き出すような倭助の大きな呼気の音。

ざわり、ざわりと次第に病室内の音が大きくなっていく。

数十、数百人単位の人いきれが悠仁を中心に部屋を満たしていく。あと数秒すれば部屋ごと破裂してしまいそうな、複雑に絡み合った複雑な感情のうねり。

「スーーーーーーーーーーー……ハーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

悠仁はそれらを深呼吸一セットで吸い尽くし、肺が空っぽになるまで吐き出して両の頬を挟むように張って気合を入れ直した。

手を伸ばしたのは倭助……だったモノが横たわるベッドの上辺りに設置されたスタッフステーション直通の端末。

受話器タイプのそれを手に取ると同時に、悠仁の耳に『はい、どうされました?』と聞き馴染んだ看護師の声が届く。

「ぁ……」

言葉に出そうとして、喉がつっかえる感覚に慌てて受話器を下ろして天井を仰ぎ見る。

『……虎杖さん?』

その道のプロとしての勘、なのだろう。不自然な間を感じ取った看護師の呼びかけに、悠仁は再度受話器に口を近づけて絞り出すように報告した。



「爺ちゃん、死にました」

Report Page