今際の際の願い
宿敵が矢を番える。泣き出しそうな、何かを訴えるような顔で矢を放つ。宿敵のそのどうしようもなさに耐える顔が酷くあの日の友に重なって見えたものだから、矢を構えることも忘れた己は、今まさに反故になろうとしている約束のことを思い出した。
オレが鎧と引き換えに槍を賜った日、そのことを知ったドゥリーヨダナは、流石に兄弟の目前では体裁がつかなかったのだろう、自室にオレを呼び寄せ、部屋に入った途端オレを泣きながら抱き締めた。
「どうしてお前は・・・! あの鎧があれば死なないのだろう!? そんな物を何故みすみす失った!?」
「泣くな友よ。不要な涙だ」
「不要な訳が無いであろう! お前の父上からの大切な贈り物ではないか! それをインドラめ、自分の息子可愛さに、卑怯な手で奪いおって!」
「オレがそうしたいと思ったからしたまでだ。それに、子を思う父の気持ちは無下にできん」
「嗚呼、お前も大馬鹿だ。命よりも矜持を選ぶとは、なんて愚かな・・・」
「そうだ」
自身の矜持を優先させたオレには反論する権利は無い。だが得た利益もあるのだから、泣き続けないでほしかった。
「だが友よ、オレは神々をも討ち滅ぼす槍を手に入れた。これさえあれば、お前の憂いも晴れるかもしれない」
「そんな槍、鎧に比べれば──!」
「確かに槍は我が命を守りはしないだろう。だが魔は滅することができるに違いない」
「何を言っている」
「かつてお前は、自身がカリに呑まれはしないかと怯えていただろう。カリとなったら友や兄弟に害を与える前に死んでしまいたいとも。この槍なら、魔と化したお前を滅ぼすことができる。何せあのインドラ直々に言われたからな」
だがオレは、余計に彼を悲しませてしまったに違いない。もうドゥリーヨダナは泣くこともせずに、顔を歪ませた。
「そんなもの、お前の命と比べるべくも無い。わし様は、どのような姿であれ、お前に生きてほしいのだ」
「オレとて同じだ。お前に人として生きてほしい、我が友」
「そうか」
そう呟いて抱き締めていたオレを離して、下を向いて・・・、ドゥリーヨダナは笑顔を見せた。
「お前ほどの男がそう言うならば仕方無い。だが何事もなければ、その槍で敵を一網打尽にしてくれよ?」
「無論だ」
「よし、ならば安心だ。なに、これしきのことで我が軍の勝利は揺らがぬ!なはははは!」
その笑顔が辛うじて取り繕われたもので、その笑い声が虚ろであることなど、見抜くまでもなく明らかだった。
『オレは、不誠実な男だ』
首に矢が当たり意識も混濁してきた最中、過ったのは、宿敵が己を不正してまで倒したことへの歓喜以上に、約束を裏切った友への申し訳無さ。ドゥリーヨダナは博愛には満ちた男だから、オレの死を知れば他の者同様に悲しんでくれるだろう。だが、オレは自身の不甲斐無さにこうして歯噛みするだけで、何も返してやれない。槍を振るうこともできなかったオレは、オレに多くを与えた友に、約束一つ満足に果たせない。
『せめて、祈りを』
もう殆ど開かない目を太陽の光が照らす。自身の命の終わりがすぐそこにあるのが分かったから、自己満足になるのは承知の上で、誰に届かずとも、何か彼を守る言葉を残したかった。
『天上におわす偉大なる神、地上を遍く照らすスーリヤよ』
『貴方からの賜り物を己が欲で差し出し、挙げ句に友との違いを果たせなかった不忠な息子の願いではあるが』
『どうか、どうか我が友に貴方の加護があらん事を』
『せめて貴方が天におられる間は、魔の気配から友が逃れられるよう』
『人生の最期に、貴方に願うことを、我が父よ、赦し給え』