仁義なきシャリキンの日々

仁義なきシャリキンの日々

小西 陸




ギルドハウス十日町に滞在していたのは2019年の4月下旬から5月下旬の1ヶ月間。


愛車のハイゼットカーゴに生活用具と仕事道具一式を詰め込んで、関西から新潟港を経由して北海道へ向かう途中だった。林業で独立して食って行こうと考えていたのだ。


我が道具たち



自分は当時、会社や組織というものにほとほとウンザリしていて…


ていうか、会社や組織にウンザリしているくせにそこにいる自分にウンザリしていて「ここから抜け出せるならどこでもいい。とにかく遠くへ行きたい」などと、ほとんど投げやりな気持ちでとある田舎町を飛び出したのだった。ギルドハウスの存在を知ったのは現代の自作小屋暮らしのパイオニア的存在である、寝太郎氏のブログから。

もともとシェアハウスで暮らしたり、コーポラティブハウスの延長のような場で仕事していた経験もあり、他人と住まうことには少なからず関心があった。


嫌なものは嫌だと意思表示して、それを行動に移してしまうことが社会不適合者の定義なら、自分は社会不適合者だと思う。

故に20歳で上京してから住まいも職も転々としてきた。


ある日、テレビで「世界ふれあい街歩き」という番組を見ていたら、とあるイタリア人男性がこんなことを言っていた。


「まだ行ったことがない土地に行くのが大好きなんだ」

イケメンイタリアmen🇮🇹世界ふれあい街歩きミラノ編


彼は蜂蜜の行商をやっていて、ミツバチと共に各地を旅しながら生活しているそうな。


彼は言う。


「僕はハチを連れた放浪者みたいなもんでね。ロンバルディアの山から中央イタリアやトスカーナまでアカシア、ユーカリ、ヒマワリの咲く土地へ移動していくんだよ」


養蜂の技術を活かして生活の糧を得ているのだろう。


季節とともにうつろふ…言葉にしてみると至極自然な事ではないか?


一つ所にとどまれない自分はダメ人間なのだと思っていた。このような思考はネガティブだが、単的に「行ったことがない土地に行くのが好き」という思考はシンプルかつ、めちゃポジティブでなんかいい。あなたはグーグルマップを最大限広げてみて、世界の広さに驚いたことはないだろうか?私はせっかく生まれてきたのに未踏の地がこんなにあることが勿体無い気がしたのだ。神はこの世界でもっと遊べと言っている。知らんけど。


「ならばオレは、チェーンソー片手に木を伐る仕事をいただきながら、『旅をする木』に跨って、世界を旅して回ろう」そんな事を考えたのだった。林業は旅のツールだ。北海道を一旦のゴール地と定めたのは単純に湿気と暑さが苦手で雪が好きだから。


ギルドハウスの初日。家主のハルさんが自ら案内してくださった。思ってた以上にとっ散らかってる。それがギルドハウスの第一印象。


ほのかに漂うカメムシの香り…



ぶら下がるハンモックに無数の洗濯物、ブルーシートで覆われた怪しげなスペース、二階の踊り場には小さなバーカウンターがあり、床にはカメムシの死骸が…

あれだけの人数が生活しているわけだから当然といえば当然。

それに散らかった場所が嫌いなわけではない。どちらかといえばカオスな空感は大好物だ。自分にあてがわれた空間だけ整っていればそれでいい。

案内されたのは3畳程の部屋の二階建てベッドの二階部分。気のいい青年とのドミトリーだ。


入居してすぐ山仕事を探した。私は働きたかった。何もしないというのが苦手だった。

住民のツテで個人で林業を営んでいるかたを紹介していただけたけれど、冷静に考えれば突如やってきた1ヶ月しかいない人間が林業の仕事を見つけるのはむずかしい。


長岡市にある派遣の会社に登録し、短期のドライバー助手の仕事をすることにした。

早朝勤務のためハルさんが個室をあてがってくださった。

自分は短期間しかいないし、ドミトリーでも満足だったのだけれど、素直に嬉しかった。

まずは徹底的に掃除して、部屋を整えていった。畳に掃除機をかけ、机を拭いて空気を入れ替え、古い布団を押し入れになおし、持ってきた布団を太陽によく干して敷いた。


唯一持参した家具、Nychair Xを部屋の中央に配置し、住民が置いていったプレステ4をテレビに繋げ、DVDを見れるようにした。

(余談だが部屋の掃除をしている最中、この部屋で暮らしていった若い冒険者たちの本やノート、写真などの品々が出てきて、会ったこともない人の記憶に触れているようで楽しかった)


住み始めて2週間ほど過ぎた頃…


この辺りからギルド生活が肌に馴染んでくるようになった。


朝6時ごろ起きてそっと一階に降りる。

うがいして珈琲を飲んでトイレへ行って軽くストレッチする。卵がけご飯をチャッチャとかけ込んで出勤。

お昼過ぎ仕事から帰ってきてシャワーを浴び、一息つく。夕食まで時間があったら濃いめの焼酎を呑みながら「仁義なき戦い」シリーズを観る。


現実いうもんは己が支配せんことにゃ、どうにもならんのよ


ヤクザ映画を観ながら飲む酎ハイは、五臓六腑にしみわたる。

窓からは裏の山が見え、樹々が風に揺れていた。

住民がウッドデッキの椅子に座り、読書していた。


ギルドハウスでは各々が自分の役割を見つけていく。

自分は料理が好きなので主に調理を担当した。

夕暮れどきにほろ酔い気分で食事の準備に取り掛かかる。

材料はその場にあるもので。クックパッドを参考に自分のアレンジを加えて調理した。

そのうち、他の住民も1人また1人と「何つくろっかなー」なんて言いながらいつの間にやらそんな狭くない台所がぎゅうぎゅうになる。


食事は住民が揃ったら全員でいただきますして食べる。

自分のためだけに料理してもはっきりいってつまらない。食べる誰かがいることで料理は格段に楽しくなる。作った品がきれいさっぱりなくなるのを見るのは快感だった。


ハルさんや住民の何気ない話を聴きながら、シャリキンをちびちびやる。

シャリキンは氷を使わないので味がダレない。シャーベット状にしたキンミヤ焼酎は口の中で溶けていき、アルコールもあまり感じない。

酒最強の肴は場の雰囲気(人間)だ。

毎度食事開始15分くらいで出来上がっていた。他の住民は寝転んで漫画読んだりネットサーフィンしたり、突如裏庭で焚き火したり猫のようにのびのびしていた。自分は仕事が早朝なので早々に切り上げて、部屋に戻り、映画の続きを観たり住民から借りた本を読んだりして寝た。


ずっとここにいたいという気持ちと、ずっとここにいるわけにはいかないという気持ちがあった。ギルドハウスはあくまでハルさんの家である。

自分にとってはドラクエの宿屋のような、旅の疲れを癒し、再度出発するための場所。けれども、2〜3泊ではギルドハウスの良し悪しはわからないと思う。自分のような中期型放浪生活との相性はいいが、1ヶ月では足りないと感じた。それはギルドハウスのコンセプトが住まいだからかもしれない。住民と関係性を築き、共にミッション(薪割りや料理、イベントや雪かきなど)を遂行していく、苦楽をともにすることの中にギルドハウスの醍醐味がある。そんな気がする。


共同生活は綺麗事だけではない、いろいろな気苦労がある。

自分は短期しかいなかったのでギルドハウスの良い面しか見れなかったのかもしれない。

敷居が低く、万人に開かれてはいるものの、無秩序なわけではないし、ハウス全体に独自の不文律が形成されていて、それを乗り越えようとする行為にはハウスから相応のリアクションはあると思う。自分がどのような人間であるかが明るみに出るような場所。


気になっている人は僕みたいにまずは1ヶ月住んでみてはいかが?

不動産業界の(何のためにあるのかよくわからない)2年縛りもないので、ノーリスクです。どちらかといえばリスクはハウス側にある。


さて、自分はといえば現在、札幌のマンスリーアパートで気ままに暮らしている。

ギルドを出発して2週間ほどの放浪ののち、奇跡的に敷金も礼金も保証人もいらない賃貸アパートを見つけたのだった。


新潟港からラベンダー号にて北へ向かう


ここのアパートの管理人さんに可愛がってもらっていて、伐採の仕事を請け負う代わりに家賃を免除していただいたり助かっている。人は誰かに出逢うために彷徨うのだとつくづく思う。しかしそのためには別れなければならない。それを覚悟で我々は出逢っている。いずれみんな死ぬのだから。




古い自分をぶち壊すと一人になる。けれども立ち上がり、また歩き出した旅先で新たな出逢いが待っている。そして好きな人や場所ができ、生あればまた逢いにいける。ギルドハウスはそんな場所である。


11/1に個人事業の開業届を出した。(いろいろしちめんどくさいし、確定申告とか大変そう…)

伐採業とアマゾンフレックスというギグエコノミーを生業にして生計をたてている。

お気楽だと思う反面、生きることは「生き抜く」ことで「戦う」ことだとも思う。

自分の意にそぐわない日々は何かを濁らせてしまう。嘘くさい仁義なら切り捨てて、己の仁義に殉じよう。


北海道はいま真冬に突入しようとしている。近場のゴミ捨て場に行くのも怖いほど寒い。地球ってこんな寒かったのか…あの時飛び出さなければ、この寒さを知らないまま死んだのだろう。パウダースノウの美しさも知らないままに。


今日、運転中に十字路で通学中の小学生に道を譲ったら、ペコッと頭を下げて、通り過ぎた僕に、また改めて深々とお辞儀した男の子がいた。最近やけに子供が可愛く見える。子供が可愛く見えることに哀しみを憶える。


新潟の冬も体験してみたい。そういえばハルさんがギルド生活で一番好きな季節は冬って言ってた気がする。


次はどこへ行こうか…




最後に七尾旅人さんの詩を載せます。全ての旅人、全ての冒険者、「またここかよ…」て0に戻ってしまう、全ての自己破壊者に。


勇気を出して、今持っているものを捨ててみよう。

きっと新しい何かが手にはいる。



君はうつくしい


いつかきみはたちあがる どんなに道は険しくとも

雨にうたれ 風にふかれ 果てない壁に 阻まれても

きみはうつくしい


そしてきみはたちあがる どんなに道は険しくとも

雨にうたれ 風に吹かれ 果てない壁に 阻まれても

折れた翼で 煽られて 夜の彼方に さらわれても


微かなchanges ゆっくりと でも確かに

Great little changes 変わってくのは?


泥にまみれ あざけられ 焼けつく痛みに震えても


きみはうつくしい きみはうつくしい


ゆれるかげ


夜更けのベル 真夜中のワーニングベル ああ気づけば途切れて

誰かが最後に遺したフレーズ 読まれぬまま 流れるメール

誰かが最後に あれから迷子に そう 見逃される 無数のトレイル


どこに居たって同じさ いつまでたっても暗がり

なにをしたって同じで やり損ね ぎりぎり

気づけばもう引き返せぬ場所 永遠に無駄に見えるトライアル

でも ありえない言葉も ありにできる

望めない景色も やがて見える そう思いたいから


息することをやめないで きみがいなけりゃおれは

生きてくことをやめないで きみがいなけりゃまるで


太陽が ぎらぎらと この荒れ野を照らす時

ずっと見ていたいさ

ここで 眼の前で


いつかきみはたちあがる どんなに道は険しくとも

雨にうたれ 風に吹かれ 果てない壁に 阻まれても

影に追われ 声におびえ 荒ぶる波に さらわれても


微かなchanges ゆっくりと でも確かに

Great little changes 変わってくのは?


ぼくを忘れ 嵐に呑まれ 崖の上で 揺らいでも


きみはうつくしい きみはうつくしい


微かなchanges ゆっくりと でも確かに

Great little changes 変わってくのは?


世界よ やがて おしみなき ひかりを

Great little changes


きみはうつくしい

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