人はそれを友と呼ぶ その3
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「マリンフォード」で行われると公言された”火拳のエース”処刑に端を発した”頂上戦争”。
海の頂点に君臨する”四皇”の一人”白ひげ”エドワード・ニューゲート率いる”白ひげ海賊団”と”海軍”の大軍勢が激突するその場に義兄エースを救うために飛び込んでいったルフィ。
しかしその戦場においてはルフィですら木っ端な海賊同然。立ち塞がる数多の強者、己の援護をしてくれた無数の強者たちの足元にも及ばず、目の前でエースの命が失われる様をただ見ていることしかできなかった。
義兄を失い、己の無力さに絶望し泣きわめくルフィを同じく友であったエースを失った”王下七武海”の一人ジンベエが叱咤激励する。
その言葉にルフィは再び立ち上がり、己の道を歩もうと決意する。
そこに現れたのは”海賊王”の右腕と称された”冥王”シルバーズ・レイリー。
その助言によりルフィは一旦立ち止まり、修練の機会とすることを決定した。
シャボンディ諸島にて戦い、”麦わらの一味”が手も足も出なかった海軍の猛者たち。そして自分が体験した”頂上戦争”で出会った遙かな高みに座す強者たちの強さ。
悔しいが今の自分たちでは彼らには敵わない。ならば強くなるしかない。今度こそ、何もかもを守れるように。
離れ離れになった仲間たちに届くようにメッセージも送った。皆なら必ず気付く。そして各々が強くなって帰ってくることを信じている。
「さて、ルフィ君はここで私と修行をするとして…」
レイリーは顎に手を当てながら考え込む。その視線の先にいるのはルフィの肩に乗る人形ウタ。
”今は”人形の姿である彼女にも修練の時は必要だが、それを誰に任せるべきか思案する。
自分がルフィ君と纏めて面倒を見るということも考えたが、人間であるルフィ君と人形の姿であるウタ君では修練の内容も変えねばならない。
ルフィ君と共にサバイバルの経験はあるとは聞いたが、この魔境「ルスカイナ」は少々ウタ君には厳しすぎる環境だ。
下手に二人分の面倒を見て中途半端な修練になってしまうくらいなら、いっそのこと自分はルフィ君のみに集中しウタ君は誰かに預けてしまう方がいいか。
「ウタ君はそうだな、シャッキーの所にでも…」
「レイリー!!」
ならば手も空いてるだろうシャクヤクの所に預けようか。
そう口にしようとした時、話を聞いていたハンコックが突然声を上げた。
「? どうしたハンコック」
レイリーは不思議そうにハンコックの方へ顔を向ける。その目に映るハンコックの顔には確かな決意が浮かんでいた。
「ウタのことはわらわに任せてはくれぬか!!!」
「ふむ……? まあ君ならばルフィ君も安心だろうが……」
ハンコックの提案に首を捻るレイリー。確かにハンコックもまた遙かな高みにいる強者。預けることに不満も不安もあるはずがない。
しかしまた、何故急に?そんな疑問がレイリーの顔には浮かんでいた。
「「マリンフォード」での戦争…わらわは二人が嘆き苦しんでいる時、助けになれなかった…」
ハンコックの脳裏に浮かぶのは苦い記憶。「世界政府」の要請により”王下七武海”として参戦した「マリンフォード」で勃発した大戦争。
処刑される義兄を助けたいと願うルフィの助けになれるよう、”海賊女帝”として違和感のない範囲で可能な限りの手助けをした。
それでも、ルフィたちの目の前で義兄は死んだ。その心に受けた傷はどれほど深かったのだろう。
ルフィだけではない。ウタのこともだ。
ルフィと同じく義兄を助けるために”頂上戦争”へとその肩に乗り飛び込んでいった小さな人形。
しかしルフィですら抜きんでた戦力とは呼べなかったあの戦場で、更に無力な人形にできることなど何もなかった。それどころか激戦に巻き込まれて死んでもおかしくはなかった。
二人が受けた苦痛を肩代わりできるのならしてやりたい。しかしそんなことができるはずもない。
ハンコックは己の無力さに歯噛みした。自分はあの二人に何をしてやれたのだろうかと。
「その悔いを、晴らしたいっ……!!」
「…………」
ハンコックの言葉にレイリーは目を丸くする。
初めて彼女と出会った時、その瞳に宿る絶望と拒絶に驚愕した。この世の誰も信用できず、心を許せるのは同じ痛みを味わった姉妹のみ。そう全身から言葉を発しているように三人で身体を寄せ合い震えていた。
あの娘が、まさかここまで誰かのために心を砕けるようになるとは。
「…やれやれ、いつの間にか大きくなったものだ」
良き出会いというのは人を大きく成長させる。かつて港の片隅で小舟に揺られながら過ごしていた自分が『”海賊王”になった男』と出会ったように。
「わらわはもう子どもではないぞレイリー」
「そうでもないさ…だが”新たな世代”の成長とは、早いものだな」
拗ねたように呟くハンコックの姿が笑いを誘う。
らしくもない。ここまで感傷的になるとは。そう思いつつレイリーは笑いを抑えられなかった。
「ではハンコック、君にウタ君を預ける。ルフィ君もそれでいいかな?」
「ウタがいいんならいいぞ!!」
レイリーは船長であるルフィに確認を取る。その言葉にルフィは大きく頷いた。
全員の視線がウタに集まる。その中でウタは首を大きく上下に動かし、キィと音を立てた。
「よし、ウタも頑張れよ!!」
「では、決まりだな」
ルフィがハンコックの元まで腕を伸ばし、その腕を伝ってウタはハンコックの手に収まる。
しばしの別れになるが不安はない。必ず再会し、再び仲間たちと冒険へ旅立つと決めたのだから。
「ああ…そうそうハンコック」
「む……?」
ルフィとウタの別れを見届け、それぞれのやるべきことを果たすため別れようとした時。
レイリーが何かを思い出したかのようにハンコックを呼び止めた。
「伝え忘れるところだった。ウタ君に修行をつけるのなら”見聞色”を重点的に教えてやりなさい」
彼らが鍛えるべきは”覇気”。”武装色”、”見聞色”、そして”王”の資質ある者のみが持つ”覇王色”。
勿論その基礎を叩き込むのは大前提だ。だがレイリーはウタに関してわざわざ”見聞色”を指定してきた。
「…ウタが”覇気”を持っているのは知っているが、何故じゃ?」
人形の身では、確かに”武装色”を鍛えたところで人間のソレに比べて明確な強みと言い切れないのは分かる。
だからこそ”見聞色”を鍛えることにも道理は通る。異議はない。
ウタが自身を覗き込もうとしていたことから、既に”見聞色”の才覚も花開きつつあることも理解している。
だがレイリーの言葉にはそれだけではない含みがあると、ハンコックは感じ取っていた。
「なぁに……」
もしかしたら、彼女にも”王”の資質があるのかもしれない。
だが、2年後に向けて必要に迫られるのはそちらだとレイリーは直感していた。
「”世界”を相手取るつもりならば、彼女にとって必要なのはソレだろうと思っただけさ」
彼女は”嵐”を起こすかもしれない。あるいは”世界”をひっくり返す”笑い話”にでも名を残すか。
己が育てる『”海賊王”になる男』に感じたものと似た期待を胸に抱きながら、レイリーは冗談めかして笑ってみせた。
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「ま、待てウタ!! 何故わらわから逃げるのじゃ!?」
修行の日々が始まってから暫く経った「アマゾン・リリー」”九蛇城”。
現在、女帝ハンコックの腹心である二人の妹とご意見番ニョン婆のみがいる皇帝の広間でハンコックから逃げるウタの姿があった。
「裁縫道具をそんな持ち方してるお主に身を預けたいとは思わニュじゃろうが……」
呆れ顔で二人を眺めるニョン婆。その視線の先にあるハンコックの手には縫い針があった。
だがその持ち方は明らかに「これから刺し殺します」と言わんばかりに鋭い先端を煌めかせるものだった。
今のハンコックを見て「人形の補修をしようとしている」と考えるより「誰かを暗殺しに行きます」と予想するものの方が圧倒的に多いだろう。
見守っているサンダーソニアとマリーゴールドも、口に出さずとも顔に若干の呆れを浮かばせている。
元々姉は裁縫などといった細々とした作業は苦手なのだ。それが一念発起してウタの為に頑張ろうとしても、気持ちだけで技術が全く追いついていないのは誰の眼にも明らかだった。
「大丈夫じゃウタ!! あれからわらわも練習した!!」
「今度はあんな大変なことにはならぬ!!」
事の始まりは修行が終わり一息ついている時、ウタの身体に解れがあることに気付いたことだった。
聞けば九蛇の戦士たちの中でもウタの補修をしたいと名乗り上げるものが多数現れたらしい。今では順番待ちなのだとか何とか。
そんなに人気ならば、わらわ自らやってやらないでもない。決して興味があるというわけではないが。
そう言って自信満々にやり始めた結果は……
――ソニア!! マリー!! 何も言わず助けるのじゃ!!
――何をやってるんですか姉様!?
――何があったらウタ共々糸で全身縛られることに……
――全く何をしておるのかニョう蛇ひ……危なっ!? 何故針が飛んでくるニョじゃ!?
筆舌に尽くしがたいものだった。
「それが信用できニュと言っておるんじゃ!! ウタ、こっちにおいで。今日はマーガレットが直してくれるらしいぞ」
「ああ~……」
当然ハンコックの信頼など地の底に落ちている。今日もウタは九蛇の民たちの下で綺麗に直されることだろう。
そこにハンコックが割り込む余地など微塵もない。
しかしハンコックは諦めない。必ずウタの補修を任せられるほどの腕になってみせる。
何故なら、そうよ。わらわは美しいから!!
そして、”海賊女帝”ボア・ハンコックの激闘の日々が始まった。
人形であるため無茶ができないウタの為に専用で組んだ”覇気”の基礎訓練。
終わればウタを補修できるようになるため裁縫の腕を磨き、ルフィの為に苦手だった料理もせめて彼の好物である肉類だけでも習得しようと努力し続けた。
――ソニア、マリー!! どうじゃ今回のは!!
――…いいと思います姉様。今までより、格段に
弛まぬ努力が実を結ぶと信じて。
――これでウタに触れることを許してもらえるな!!
――………………
――何故そこで揃って目を逸らすのじゃ……
信じて……
「どうじゃニョン婆……もはやわらわは今までの”海賊女帝”ではないぞ……」
「本当にここまで腕を上げるとは……」
「よかろう。ウタの補修はお主に任せよう」
そして、遂に努力が報われる日が訪れた。
「ただし!! ウタは我ら九蛇でもかなりの人気者!! 粗相は許さニュぞ!!」
「わらわがその国の皇帝なのだが、待遇が違うのではないか?」
いつの間にか、自分より民たちに慕われている……!?
実際のところは尊敬の眼差しを集める九蛇最強の戦士である女帝とは違い、小さく親しみやすいウタのことを皆が可愛がっているだけなのだが。
そんなこととは露知らず。ウタの潜在能力の高さに戦慄したハンコックであった。
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「……うむ、これで良かろう」
時は経って2年後。明日はとうとうルフィたちが約束した再出発の日。
ウタと過ごす日々も今日で終わり。この日の夜は九蛇の戦士たちも揃ってウタとの別れを惜しんでいた。
そんな民たちを返し、静かになった”九蛇城”の一室。女帝の私室にて。
ハンコックは最後になるウタの補修を終わらせていた。
もうウタの身体を直すこともない。ルフィたちと共に彼らは遙かな道を歩み始める。
ウタの補修も仲間たちが請け負うことだろう。もし不格好な直し方をしていたら石化させてやろうか。
すぐそこに迫る別れを前にして、取り留めのない思考がハンコックの頭を埋め尽くしている。
女帝ともあろうものが、情けない。
「ウタ」
次々と浮かび上がるウタとの思い出を振り払い、傍に畳んでいたものをウタへ羽織らせる。
しっかりと結わえ付け、ずり落ちることがないように。
「これは餞別じゃ」
それはハンコックが良く肩から掛けているものとよく似たデザインをした小さなマントだった。
気に入ったのか、ウタはその場で一回転すると合わせてマントがフワリと揺れる。可愛い。
思考に混じった雑念をすぐさま霧散させ、ハンコックは言葉を続ける。
「もっと着飾りたいというのなら仲間にでも頼れ。わらわはそこまで面倒を見きれん」
敢えて突き放すような口調を心がける。別れを惜しみ、感情を露わにするなど女帝としてのプライドに関わる。
誇り高きこの国の皇帝として、この小さな客人に送る言葉を紡ぐ。
「もし替えが欲しくなったのなら、ここを尋ねるが良い」
「人形とはいえお主も女子。誰憚ることなく九蛇の門を叩け」
「客人として、迎え入れようぞ」
言い終わるとハンコックは黙り込んで窓の向こうを見つめ始める。話すべきことは全て語ったということだろう。
それは遙かな果てを目指す旅人との約束だろうか。
『また会おう』
そんな言葉に出さないハンコックの想いを『見て、聞く』ことなくウタは感じ取っていた。
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「姉様!! ニョン婆様!! 今日の新聞が……!!」
「うむ、先ほどマーガレットたちが持ってきてくれた」
手に新聞を持ちながら慌てた様子で広間へと飛び込んでくるマリーゴールドの声を聞きながら、ニョン婆は手に持った新聞を読み進める。
一面を飾るのはこの国と同じく”王下七武海”の一人が治めていた「ドレスローザ」で行われていた所業。その闇をセンセーショナルな見出しで囃し立てるものだった。
民を、海賊を、海軍を、要人を、己の邪魔になるものを悉くオモチャへと変化させ、人々の記憶を奪い続けていた悪行。
そこに現れた”麦わらの一味”の大暴れ。そしてどのようにして撮ったのか、新たに発行された手配書の束に一枚増えた少女の写真。
紅白の髪色。それに何よりその名前。九蛇の民たち全員の脳裏にあの可愛らしい人形の姿がよぎった。
ニョン婆も年長者として動揺を顔に出さぬよう努めてはいるが、内心は周りの娘たちと似たようなものだ。
だが、誰よりも動揺しているのはやはり彼女だろう。ニョン婆は新聞から顔を上げ、こちらに背を向けているハンコックへと目を向けた。
「う、ウタ……」
ワナワナと手配書を見つめて震えるハンコックの後姿を見て、その反応も仕方ないとニョン婆は顔を伏せる。
如何なる理由があったかは分からぬが、恐らく何かに巻き込まれて人形に変化させられていたのだろう。
2年だけとはいえ共に過ごした相手がまさかそんな事情を抱えていたとなれば、流石の女帝もショックだったのか。
「これは……こんな……」
フラフラと頭を抱えながらよろけるハンコック。
そのまま倒れ込むような醜態は晒さないまでも、さぞや衝撃を受けたと見える。
自分も似たようなものだ。これも仕方なきこと。ニョン婆はハンコックに慰めの言葉を掛けようと口を開き……
「これが世に言う、『三角関係』……!?」
「もっとショックを受けるべきところがあるじゃろうお主!!!」
結局出てきたのは違う言葉だった。
声を荒げるニョン婆の方へ振り向き、ハンコックは怪訝な顔をする。
「どうしたニョン婆。そんな大声をあげて」
「切り替え早っ!? いや、もっとこう…驚くべき箇所があったんじゃニャいか!?」
ウタのこととか色々!と慌てるニョン婆を鼻で笑いながらハンコックは言葉を紡ぐ。
「わらわを舐めるなニョン婆」
「たとえかつての客人が人間であったとして、それが何だと言うのじゃ?」
むしろ、何を驚いているのかが分からない。その言葉にはそんな想いが込められていた。
ハンコックは冷静な語り口のまま話を続ける。
「人形であれ、人間であれ…わらわが『ウタ』を迎え入れた事実は変わらぬ」
「その程度で揺らぐほど安い女ではないわ」
(『三角関係』には揺らいでたじゃろうが……)
果たしてどのような想いで『三角関係』などと言い出したのか。
今のハンコックの胸中は複雑怪奇。ニョン婆には理解できないものだった。
「しかし、ルフィが長年の呪縛からウタを救うとは……」
ほう、とため息をつき、はるか遠くにいる想い人をハンコックは頭に浮かべる。
ウタが解放されたことは喜ばしい。だがそれとは別に思うことが一つ。
「誰かに支配されることは二度とゴメンじゃが……」
「わらわもこのような形でルフィに救われたいという気持ちがある……!!」
「お主を捕まえておける豪傑がこの世に何人いると思ってるニョじゃ。この”海賊女帝”…」
また恋煩いで変なことを言い出し始めたぞこの娘。そもそも自分が世界を見渡しても遙かな高みに座す圧倒的強者だということを分かっているのか?
頬を染め身体をくねらせるハンコックをニョン婆は呆れ顔で見つめていた。
そんな女帝の奇行を周囲が眺めること数分。
「さてソニア。以前わらわが裁縫に使った布地はまだ保管しているな?」
ひとしきり妄想し終えて満足したのか、ハンコックは顔を上げ傍にいたサンダーソニアに声をかける。
「え? ええ…何かに使うのですか?」
「決まっておる」
そう言ってハンコックは手に持った手配書に目を移し、人間に戻ったウタの顔を見つめる。
随分と可愛らしい顔立ちだ。無論わらわの方が美しいのだが。あの愛らしい人形の面影もある、いや、人形がこちらに似ていたということか。
取り留めのない思考を切り上げ、ハンコックは不敵に笑う。
女帝とは気高く孤高である。己に並び立つものなどいないと、強く傲慢に在り続ける。
しかし、心がないわけではない。
その石の如く固く凍てついた心を、恋焦がれる熱と寄り添う暖かさが溶かしてくれたのだから。
「くれてやったマントではサイズが合わぬ。新しく作り直すぞ」
いつか来る再会を”海賊女帝”ハンコックは心から信じていた。