五条悟のお気に入り
「……つっっ!!」
時は10年以上前、五条家本家の人気のない部屋。投げ飛ばされ、体を畳に叩きつけられる。なんとか受け身をとったものの、畳に手をつく際に右の手首をひねってしまった。
「なんで分家生まれのお前なんかが、悟様に気に入られてるんだよ!」
拳で左の頬を殴られる。本当ならやり返したいところだが、相手は本家の生まれで五条悟の異母弟である。歯向かえば騒ぎを起こすだけだと考え、やり返さぬままただ耐えていた。
「チッ…反応なしかよ」
気が済んだというより反応に飽きたようで、去っていった年上の少年の後ろ姿を見つめて漸く息を吐き出した。
「はあ…この後五条家全体の集まりあるのにな…」
そのために態々本家にやってきたのだ。まあ嫌がらせは今に始まったことではない。もっと昔、それこそ物心ついた頃には既にされていた。母は違えど兄弟より従弟の方を気にかけられれば、気に入らないのも無理はないだろう。
「着替えないと…頬は痕にならなさそうだけど手首は…仕方ない、隠すしかないか」
付いた埃を払うために着物をはたき、自分の部屋に戻る。用意されていたこの集まりのためだけの着物を着て部屋を出た。
「遅い、類」
「すみません、兄さん」
今思えば、『兄さん』と呼ぶことを許されているのも気に触る要素だったのだろう。自分が知る限りでは兄さんがその呼び方を許している相手を他に知らない。
決められた席に着いて食事を始める。大人達が振ってくる話題には適当に相槌を打ちながら、さりげなく左手を主に使って箸を進めた。
「ご馳走様でした」
両手を合わせてから席を立つ。立ち上がる際に右手を使ってしまったため、思わず眉を寄せて一瞬動きが止まった。一瞬だったため特に不審に思われていないようで、こっそり息を吐いて部屋を出る。すると後ろに兄さんが着いてきて驚いた。
「え、どうしたんですか」
「どうしたじゃねえ、着いてこい」
左手を掴まれ、そのまま兄さんの部屋に連れてこられる。中に入って扉を閉めると左手を離し、右手を掴むと同時に着物の袖をあげられ手首を晒される。
「いっ……!!」
「やっぱ痛めてるんじゃねえか」
顔を顰めたオレとは別に、何故か兄さんまで顔を歪めていた。
「なんで、気付いたんですか」
「食事中左手ばっか使ってただろ、その上立ち上がる時一瞬動きが止まって眉顰めてたし」
「見てたんですか…」
なんでこんな鋭いんだ。
「んで、いつなんで痛めたんだ」
「…………」
「だんまりかよ」
俯いて黙っているとぐいと顔を上げられて、しゃがんだ兄さんに目線を合わせられた。
「まあなんとなく予想はつくけど、あいつほんと飽きねえな。俺が対処しといてやるよ。…類、本当に助けてほしいときは口に出して言えよ?」
真剣な目を向けて問う兄さんにこくりと頷いた。よしと頷いて立ち上がり背を向けた兄さんがどんな表情をしていたのかなんて、オレには知る由もなかった。
後日、姿を見なくなったあの兄さんの異母弟が、落ちぶれた術師の家の養子になったと女中の噂で知った。その過程に何があったのか、オレは知らない。