二度と茅の輪を潜らぬ

二度と茅の輪を潜らぬ


「...はる兄、なんで...?」

困惑する柔らかな声が部屋に響く。後ろを振り返ると鞠を手に持ちながら傍に玄武を置き、此方を見て震える妹の姿があった。

縁側付近の広い部屋。赤く染まった畳と障子。濡れた自身の手と横たわる男女。かつて父と母だった人間の死体がそこにある。迷いなく手を伸ばして腕を掴むと、小さな粒となって袖口に吸い込まれて消えた。それを見ていた自身の妹は、信じられないようなものを見た目で俺を見ている。

「...永佳。」

「なん、な、...なんで、?はる兄が、母様と父様を...?」

困惑する永佳の声が耳に響く。小さく呟かれた水面のように広がり、頭を侵食する。何故、何故...何故、か。

何も答えない俺を他所に、永佳は開いた眼を暗い部屋に移した。血溜まりの中に佇む自分から目を逸らし、そして聞いた。

「ふう姉は...?ねぇ、ふう姉もどっか行っちゃったの?それとも、...」

「そうだね。俺が殺した。」

迷いなく答える俺に、小さく悲鳴を漏らした。傍の玄武が此方を睨んで威嚇する。小虎より少し大きい程度のその呪力生命体は、主人を守るようにして彼女の体に身を寄せる。

怯える家族を目にしても、何の躊躇いもなく殺せた自分も、もうどこか狂っているのだろうか。

...分からない。ただ、こうする他なかったような気もするし、これ以外真面な解答を提出できなかった。冷静でいたら今ここにいない。正気と狂気の境なんて、最初からなかったんだ。

「...はる兄、どうして?」

再び聞き返す永佳を、無感情に見つめ近付く。縁側から庭に出て後退する妹と、それに近付く殺人鬼。影から月明かりが差し込む夜の下に出て、血で濡れた手と自身の着衣が顕になる。それを見てさらに顔を青ざめる永佳は、玄武を前に一言。


「なんで、なんで!?家族を殺したの!?

父様を、母様を、ふう姉を!!


ねぇ、答えてよ、はる兄!!!」


叫びながら玄武に手を翳すと、一体の獣が此方目掛けて牙を剥く。爪を立てんとやってくるその獣に物怖じもせずに、一言。


「殺れ。」


大きな質量を袖口から出し、肉塊が玄武を襲う。圧迫されて押し潰される蛇と亀の生命体はその足をジタバタと動かし、肉を噛む。しかし悲しきかな。口に侵入する手も足も増え、更には上に重なる屍もその皮に手を伸ばす。

限りある手が尻尾や甲、足を持つと、俺は手をくいっと引いた。


その瞬間、玄武が八方向から引っ張られて血飛沫を上げた。四方八方へと飛ぶ液体は服に付着し頬を濡らす。肉塊の下から漏れる力を無くした四肢がだらりと投げ出され、遠くで劈くような悲鳴が聞こえた。

見れば永佳が泣いている。それもそうか。

生まれた時から一緒の運命共同体、加えて双方仲良しで永佳が泣く時は玄武が慰めていた。寄り添う形で生きてきた生き物が、目の前で、しかも家族に殺されたのだ。


泣くのも叫ぶのも無理もない。

けれど、そんな暇を与えていられるほど余裕があるわけでもない。


呆然として座り込む永佳に近付き、目を見る。

色素の薄い目が此方を見つめ、永佳はこう言葉を放った。



『——————』


最後に拳を投げ打とうとして立ち上がるも、その手を受け止め、腹部に触れた。

「...すまないね。」

申し訳程度の軽い謝罪。口に出した後に光線が彼女の腹部を貫いた。そのまま外壁に打ち付けられて動かなくなった。



「...」


俺は、何も思わずに殺した。

それだけの話だった。

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