両手に鳩

両手に鳩



船大工の朝は早い。

船大工に限らず、職人業とは総じて日の出ている間に目いっぱい働くものである。


「……ん、」


それはガレーラカンパニーが誇る木びき・木釘職長ロブ・ルッチも例外ではない。


「ぐる…………んん゛………」


例外では───


「…………」


例外であった。

眉間を寄せて呻きに呻いた挙句、覚醒しかけていた意識をまた沈めるように布団を深く被り直す。

彼の名誉の為に弁解しておくが、決していつも寝起きが悪いわけでは……いや、それなりに悪い。悪いのだけれど、普段はこれ程までに起きるのを愚図るような人間ではないのだ。


今日ルッチがこうなった要因は一つ二つではない。任務の主体である古代兵器の設計図を探ることを念頭に起きながら、ガレーラ職長としての業務。これらはまだ、いい。疲れとして蓄積はするが慣れた事であるし、この程度でルッチのキャパシティは埋まらない。

……一番の気苦労は『服部ヒョウ太』なる存在のせいである。いつの間にかガレーラで雑用として働くことに決まった少年。

どういう理屈かは全くもって分からないが、一目見て彼がロブ・ルッチであることを理解しすぐに尋問を選ぼうとした。したのだが、その前にガレーラに目の回るような大仕事が入ってしまった。

そうして邪魔が入ること期を逃し続けること数週間。 継続していた混乱の半分ほどは怒りへと変わり、普段から気を張っているが故の気疲れも相まって、遂にガレーラの同僚にさえドン引きされる程の自棄酒へと走ったのである。いかにルッチが好物にブランデーを上げるような酒豪寄りの人種であっても、一切のセーブをせずにがぱがぱと瓶を空けていれば二日酔いにもなる。

そうして迎えた翌朝、こうなってもまあ、仕方の無いことではないだろうか。


しかしこのまま二度寝を決め込むには些か日が悪い。何せ今日は休みでも何でもない平日だ。週の合間に何故呑んだ。

「……クソ」

悪態を吐いて身体を起こす。

伊達に世界政府直属の諜報員はしていない、二日酔いだとはいえ体調の不良は見えず、せいぜい寝起きが引き摺られる程度で問題は無い。今から出たとしてもまだ遅刻ではないと確認して、のそりとベッドから這い出る。

床に足を付けた時、ふ、と。

そういえば、寝坊しかけたときにいつも起こす係となった相棒が、今日はこの時間になっても来ないことを疑問に思った、その時。



「ポーッ!?」

バタバタバタ、という羽ばたきとともにリビングから響き渡る愛鳥の悲鳴。びくとルッチの耳が引き攣る。

「ッ!?」

すわ敵襲かと危機を予測し、超人の速度で扉を開く勢いのまま部屋に飛び込めば、そこには慌てふためく相棒の姿があった。

それも二つ。


……。


…………。


…………二つ?



───幼少期から共に過ごしてきた、ルッチにとって特別な真白の鳩。普通の野鳥と見紛うはずはない、のに。

「クルッポーッ!」

「ポーッ! ポッポポー!!」

「…………は、ハットリ……?」

鳩にして人間であるルッチよりも豊かな表情筋を行使し涙目でこちらを視認して飛んでくる二羽は、両方とも間違いなくハットリであった。似ているだとか、そういう次元ではない。

全くの想定外。まだ夢の中ではないかと思うほどの光景に呆気に取られて目を白黒させている間にも、ハットリ達は混乱した様子でルッチの周りをパタパタ飛び回り。


「……なんだこれは」

「ポー……」

「ポポゥ……」

最終的に、二羽ともルッチの両肩にぽすりと収まった。


「なんだ、これは…………!?」



ハットリの羽が所在なさげに擦れる音しかない空間で、ぷるぷるぷる、と電伝虫が鳴る。たっぷり固まっていたルッチはそれにハッとして、すぐさま受話器を取った。

『もしもし、ルッチか?』

電話口の声はパウリーのものだった。

『お前昨日めちゃくちゃ呑んでたろ?今日ちゃんと来れるか心配になってよ』

「あ?ああ、それは大丈夫だ、ポッポー」

辛うじて腹話術のときの声色で話す。だが、動揺がどうやら通話越しに伝わったらしい。電伝虫は怪訝そうな顔を映す。

『……なーんかおかしくねェか?何かあったのかルッチ』

この異常事態を話すか話すまいかルッチは逡巡する。パウリー、ひいてはガレーラの誰にもどうにか出来るとは到底思えない為、どちらであっても変わりは無いのだろうが。


右を見て、ハットリと目が合う。

左を見て、同じくハットリと目が合う。

両肩から不安そうな目で見上げられ、ええいままよと正直に打ち明けることにした。


「いや、その、だな。何を言っているのか分からねェとは思うが』

『おう』




「ハットリが二羽に増えた」

『迎え酒でもしたか?』

「酔ってない、素面だ」

『高熱で幻覚見えてるってことでいいか?』



───────



「マジで二羽いる……」

「だから言っただろう、フルッフー」

仕事場に到着したルッチを入口で出迎えたのは、先程まで電伝虫越しに会話をしていたパウリーだ。両肩に乗った鳩を交互に眺め、信じ難いといった表情を浮かべる。

「どっちかが偽物ってことはねえのか?野良の鳩ってこたァ……」

「ねェな。ルッチのおれは今喋っている右肩の方だが……左肩のもハットリだ」

訳分かんねェとぼやくパウリーを置いて、ルッチはガレーラをスタスタと歩く。右のハットリはこの状況を受け入れたのか腹話術に対応し、左のハットリは見慣れない場所にきょろきょろと目線を彷徨わせている。

「ちょ、おい!説明をしろ説明を!ドッキリにしても雑すぎるだろ!?」

「おれだって驚いてんだ、分かんねェっつってんだろバカヤロウ」

その後を慌てて追いかけながら喚くパウリーだったが、ルッチの返しも至極当然である。原因が分かっていれば朝にあれほど混乱していない。

だがルッチもこの状況をただ享受しているだけではない、幾分か落ち着いた頭で思い至った原因が一つある。

「心当たりがあるとすれば……」

「あるとすれば?」

「服部ヒョウ太だ」

「……はァ?ヒョウ太って、ハットリが、あー、分裂?増殖?した原因があいつだってのか?」

「ポッポー、ルッチからすりゃそれ以外に理由が考え付かねェ」

服部ヒョウ太の正体を知らない者にとっては、そこに関連性など見い出せないのだからその反応も致し方ない。疑いの目でルッチを見るパウリーに対して説明もそこそこに雑用係の姿を探す。作業場内では存外目立つ彼はすぐに見つかった。

パウリーの横腹をせっつけば胡乱そうな視線の後に小さな溜め息、だが真意は伝わっている。腹話術で大声を出すのは面倒だという意思表示を汲み取って、ルッチの隣で声を張り上げてヒョウ太を呼んだ。

「おーい、ヒョウ太ァー!」

「なんですかパウリーさーん!」

元気の良い返事。それを聞いたから、だろうか。ソワソワとしていた左肩の上のハットリが、ぴたりとその動きを止める。

「悪ィな、ちょっとこっち来てくれ!」

「はーい、分かりました!」

パタパタと駆けてくる足音がルッチ達の元に辿り着く。ルッチが……当然二羽いるハットリのことが目に入るであろうパウリーの真正面で、彼は顔を上げた。

「どうしまし、た…………ッ」

ぴしり、とヒョウ太の表情が固まる。視線はルッチに。……その左肩に。


ばち、と目線がかち合う。



「……ハットリ……?」

「ポー、ポーッ!」


心ここに在らずのままにヒョウ太は前に手を伸ばす。それが当然だと主張するかのようにして、もう一羽のハットリはルッチの左肩から飛び立った。


見開かれた目が捉えるのはただ一羽、他の何もかもを映さずに。向かってくるハットリを抱きとめて、感触を確かめるように羽を撫でる。

彼の腕の中で純白がくるくると安心したように喉を鳴らして、ようやくヒョウ太は瞬きをする。ぼろ、と。スクエア眼鏡のレンズの奥から涙が零れ落ちた。

「はっとり、ハットリ、おれのハットリ……夢じゃ、ないんだよな」

ほろほろ流れる雫をふわふわとした翼が器用に拭う。その柔らかさに、顰めっ面と泣きっ面が綯い交ぜになったような顔は綻んだ。

「ポポッ、クルッポーッ!」

「ッああ、本当に、会えてよかった……!」

ぎゅう、と抱きしめられたハットリが苦しそうにしながらも嬉しそうな鳴き声を上げる。





そんな、どうやら感動の再会をしたらしい光景から置いてけぼりを食らった二人と一羽は。

「???……な、なんかよく分かんねェけど、良かった、のか?」

「…………なんの解決もしてねェ気はするが……そうか……?そうだな……」

「クルックー……」

頭上に大量の疑問符を浮かべながら、彼らの邪魔にならないよう隅に固まるしかないのであった。

Report Page