丑三つ時に、参ります

丑三つ時に、参ります

春風

──どこをどう歩いたのか、まるで覚えていない。だがとにかく道を外れてしまい、しかも半ばパニックに陥ってあろうことか"夜の森を宛ても無く"走ってしまった……というのはなんとなく覚えていた。

さて、そんなことになったきっかけはなんだったか。全く思い出せないし、それを思い出しても何の意味もないような気がした。原因が分かったところで起きた結果は揺るがない。

最悪の想像に背筋が凍る。森は不気味なまでに静まり返り、人里の気配など微塵も感じさせてくれない。完全に遭難している──それも、僅かな弁当だけを持った旅装でだ。

そんなもん、もう死ぬしかねぇ。そう思っちまったら──


"遠くに微かに見えた明かり"に望みをかけるのも、当たり前じゃないか?


────


背筋に薄寒いものを感じつつ、結局それをなんとか振り切るように俺は走った。あれが罠かもしれない。魔物か何かの擬似餌かもしれない。野営してる山賊の焚き火か何か、かもしれない。だがそれがなんだ。何も目標が無いまま歩き回っても死ぬだけなら、僅かな可能性にだって縋ってやる──


『◼️◼️◼️◼️◼️』


──その判断を、俺はすぐに後悔することになる。

明かりの正体は、妙なランプだった。木と紙で作ったような、しょぼいランプ。

それを、デケェ"カエル"がちょいと指に摘んで持ってやがったんだ。


カエルっつっても、そのものじゃねぇ。ただカエルみてぇに頭がデカくて、ついでに目もデカくて、口が横に真一文字に伸びてる化け物だ。首から下は人間みてぇな姿をしているが、近くに川もねぇのに湿っている。

そいつに、ぶつかっちまった。


『◼️◼️◼️◼️◼️?』


「ひ、ひぃあ……あぁあ!」


化け物が大口を開き、俺に近づいてくる。冗談じゃねぇ。臼みてぇに分厚い歯が隙間なく並んでる──あんなのに食いつかれて死ぬぐらいなら、山ん中で野垂れ死ぬ方がマシじゃねぇか!なんて思いながら、みっともなく泣き叫んでると……


「あー待て待てそれはまずい……ストップだ」


ふわり、と。浴衣の少女が割って入ってきた。


────


「おーい、大丈夫か?」


真っ赤な──充血や何かじゃない、綺麗な色だ──目に覗き込まれ、俺は思わずたじろいだ。金髪に赤目、顔立ちも端正で可愛らしい少女だったが……無論理由はそれだけじゃない。俺は熟女好きだ。


「き、君……なん、な、ん……」


口を開こうとするものの、笑ってしまうほどに舌が回らない。先ほどのカエルのように口をあんぐりと開けてぱくぱくするのが関の山だ。


「あー俺は……ってちょっとまずいな、ほら」


少女が俺の手を握る。手というか、手首を掴まれている状態だが。突然のことに唖然とするしかない。状況が理解できぬまま目まぐるしく変わり、ちっとも結論に辿り着けやしない……そんなところだった。


「お前さーどこから迷い込んだ?というかここがどこだか分かるか?」


可愛らしい見た目に似合わぬややぶっきらぼうな口調で詰められる。そんなことを言われても、俺にも何がなんだか……そんな言葉すら吐けたかどうか分からなかった。そんな俺を見かねたか、それとも見限ったか?彼女は大きく一つため息を吐いた。


「周り見てみろ」


促され、軋むような感覚を覚えながら首を回す。見てみろと言われても、俺はさっきまでずっと山の中にいたんだ。それが何か──


「……はっ、はあ!?なん、だよ……ここ……!?」


──冷静に思考できたのは、そこまでだった。

気づけば俺が立っていたのは森の中なんかじゃない。足元には石畳の道が続き、そこらに灯ったランプが辺りを薄明るく照らしている。どこから鳴っているのか絶え間なく何か楽器の音が耳に届き、いくつも声が混ざり合い判別し難いがやがそれに乗る。

いや、判別出来ないのは「混ざり合っているから」ではない。言葉のように聞こえるそれは、俺の耳には全く馴染みのないものだ。

これは、たぶん"祭り"だ。店が並び、誰もが踊り、楽しむ、祭りなのだ。なるほど。だがただひとつ、ただひとつだけ──

"見たこともない化け物たちが闊歩している"ことだけが、俺の理解を阻んでいた。


────


「ここは人のいていい場所じゃないからなー離れるなよ。見つかるからな」


少女に手を引かれ、化け物たちの間をすり抜ける。

不気味に首が伸びた女が俺たちを見下ろし、微笑んだ。

顔のついた車輪が通るので、俺たちは道の端に寄った。後には炎が燃えていたが、誰も気にしてはいないようだ。

変な格好をした七人組とすれ違う時、それがなんだか妙に目についた。生臭いというか、潮臭いというか、とにかく不気味だった。思わず目で追おうとしたが、少女に強引に手を引かれて目を離した。

人がいる、と思った。よく見ればそいつには顔が無かった。

甲羅を背負った痩せガエルみたいな奴もいた。自分で自分の頭に水をかけてて、不気味だ。


……俺はゾッとした。何故って、こいつらは明らかに人じゃない。だというのに人のように営んでやがる。そんな魔物がいるのか?

そうなると、ひとつ疑問が出てくる。この少女は何者なんだ?まさかこいつも、人間じゃないのか──俺が青ざめ冷や汗を流すのに気付いたから、彼女はこちらを振り返り真っ赤な目で見つめてくる。


「分かんなくていいぞーというか分かるとまずい。それで縁ができたらお前またここに来ちゃうぞ?」


それだけ言って、少女はまた歩きだす。相変わらず俺の腕を掴んだまま……体格差が大きいせいか正直歩きづらい。


「なあ、分かったから手を離してくれないか?君も歩きづらいんじゃないか」


「ダメだ。俺が手放すとお前が人間だってみんなにバレるからな」


……なるほど。何が何だか分からないが、どうやら俺はこの子に守られているらしい。ならば大人しく従った方がいいだろう。

しかし疑問はまだ尽きない。


「どこへ行くんだ?」


「出口だぞー安心しろ。亜空間で送れたらいいんだけど、ここはちゃんと出口から帰らないと縁が繋がったままになるからなー」


何を言っているのかは分からないが、ともかく出口に連れて行ってくれるらしい。どうやら俺は助かりそうだ。そう思い前を見る。が……


「……な、なぁ。俺は今、バレてないんだよな?」


化け物どもが、こっちを見ている。

真っ赤な顔で鼻の尖った怪人が。

顔のついた柿が。

赤子みたいに泣き喚くジジイが。

目のついた壁が。

顔の大半が"一つ目"で埋まったガキが。

馬鹿でかい蜘蛛が。

真っ赤な肌のオーガが。

どいつもこいつも、化け物が、こっちを見ている。


いつしか妙な楽器の音も止み、静けさが戻っていた。周りを確認する勇気は出ないが、きっと奴らも俺たちのことを見ているんだ。


「な、なぁ。大丈夫、なんだよな?」


「んー大丈夫だぞー」


少女は歩みを止めない。しかし、頑ななまでにこちらを振り向こうとしなくなっていた。

……そういえば。ずっと握られているというのに、触られているところは酷く冷たいままだ。


「……な、なぁ。どこまで行くんだ……?」


「出口って言っただろー?」


気のせいか。声も冷たいというか、無機質というか、まるで血が通ってないかのような声色だ。俺は背筋に何か冷たいものが走るのを感じた。


「こ、ここまでくれば大丈夫じゃないか?なあ、ここらで……」


「駄目だ」


低く、静かな声に遮られる。それ以上は何も言えない。

俺は、俺は……これからどこに連れて行かれるんだ?


ああ……


────


──それから、どれだけ歩いたのかは覚えていない。どれだけ時が過ぎたのかも。確かなのは、まだ空が暗かったことだけだ。

ふと、少女が立ち止まる。俺は思わず息を呑んで周りを見渡した。

化け物どもの姿はない。いつの間にか祭りの景色も抜けたのか、石畳の道が続くだけの森の中だ。ただひとつ、横には真っ赤なゲートのようなものがあった。目につくのはそれぐらいだ。


「な、何故止まるんだ?」


「出口に行くって言っただろー?もう抜けたぞ」


少女が俺の腕を離す。情けない話だが、そこで俺はほとんど腰を抜かしちまった。


「あぁ、よかっ、よかった──」


「まあ、これに懲りたら」


──少女が、こちらに振り向くと。


「夜中 は で ア

る く な よ?」


そこにあるはずの"顔"は無く。

ただ黒く、歪んだ"何か"が流れ落ちていた。


「──ぎゃああああああああ!!!」


俺は一目散に逃げ出し、ただただ走った。走って、走って、走り続け──気づけば、町外れでぶっ倒れてたらしい。

結局どうにか生き延びたわけだが、あれがなんだったのかはやはり分からない。分かりたいとも、思えなかった──


────


「……ちょっとやりすぎじゃねぇですか?」


「あれぐらいショック受けた方がいいんだよ、そうすれば思い出したくもなくなるだろ?それでこことは縁が切れる」


男が無事街に辿り着くのを見届け、金髪赤目の少女──の見た目をした神。"騒々神"と呼ばれる者が、真っ白な布に寝転がる。

それはただの布ではない。空を自在に飛び、大きな目と口を備えた妖怪──『一反木綿』だ。百鬼夜行の長でもある騒々神は彼の直属の上司のようなものと言える。


「さて祭りに戻るかー。まだまだ遊び足りないしな」


男が迷い込んでいたのは、いわば妖怪の『縄張り』。表舞台に上がらない彼らが、真夜中に集い騒ぎ、踊る祭りの会場。

本来は現世と固く隔絶しているはずの、言わば幽世の一種である。そこに、彼はどういうわけか──きっと衝合のせいだろう──迷い込んでしまっていたのだ。

最初に彼が遭遇したのは妖怪『青蛙』の一種。遠路はるばる祭りを楽しみに訪れた彼は、しかし迷い込んだ"人間"に驚きつい威嚇してしまったのだ。そこを見かねた騒々神が割って入り、ひとまず説得した……という顛末になる。、


「ああいう迷い込み方されると迷惑なんだよなーマジで衝合クソ」


「十中八九であって確定じゃないでしょうに」


困ったのはそこからだ。本来人間とは縁が結ばれないはずの縄張りに、しかし入り込んでしまった人間。あまりに長居すれば人の世界に帰ることは困難となり、また正式に縁を切らなければいずれ再度引き寄せられてしまう可能性があった。故に亜空間などを使った転移で帰してやるわけにはいかず、出口まで案内したのだ。


「しかしまあ、面白いぐらいにビビってやしたね。あれで"補給"出来た奴もいるようで」


「ふふふーだろ?どうせなら一石二鳥だ」


……祭りにいた妖怪たちは人間のことにしっかりと気付いていた。騒々神はただ手を握っただけであり、特別な加護などは何も与えていない。ただ彼らが至って普通に"人慣れ"しており、事情を察した故に見送っただけなのだ。

つまり、出口までの道中はあくまで"演出"。


抜け出た人間が後ろ髪を引かれず、きちんと縁を切れるように。

……ついでに普段行儀良くしている妖怪たちが、存分に"畏れられる"ために。


本物の妖怪たちを使った、壮大な"肝試し"が行われていたというわけだ。


「ちゃん、ちゃん……ってね」



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