不破マギアとイサム
とある企業の奥深く、極めて高いセキュリティに守られた一室。
秘密裏に製造されたオーダーメイド・ヒューマギア──通称不破マギアは、慣れぬ手つきで折り紙に没頭する人物へアイカメラを向けた。
──顔認証開始。エラー。声紋認証開始。エラー。対象の姓名を検索。エラー。
──彼は照内ノゾムではありません。
──検索開始。ヒット。ヒット。ヒット。オールグリーン。対象は99.9%の確率で照内イサムと判断されます──
その名前が、不破マギアの思考を0.1秒だけ軋ませた。
自身の元となった人間は不破諌。目の前の人間が同じ名前だという、ただそれだけの理由。人名データベースへアクセスすれば、『いさむ』という名は多くないが確かにヒットする。
それでも不破マギアのCPUには熱が燻る。
不快感。嫉妬。警戒心。人間ならそう表現するだろう信号がエラーを吐き散らすので、映像入力を優先するため全てオフにした。
「ノゾムおねえちゃん、おりがみにがてなの?」
「私、こういう細かいの苦手で……唯阿ちゃんに教えてほしいな」
「いいよ! ゆあ、おりがみすっごくうまいの!」
保護対象の刃唯阿は照内イサムに懐いたようだ。外見上は成人女性の唯阿に対し、何も聞かず遊び相手になる度量は許容範囲。だが本人が最初に「照内ノゾム」と名乗ったせいで、唯阿が偽りの名を信じ込んでいる。
くだらない偽装だ。女性の服装をして他人の名前を使おうと、ヒューマギアの前には意味を成さない。それより、と不破マギアは体内に内蔵された時計機能で現在時刻を知る。
「唯阿。お昼寝の時間ですよ」
「ねむくない」
「そう言っていつも寝てしまうでしょう? 折り紙は後で続ければいい」
「うー……そうだ! ノゾムおねえちゃんもおひるねしよ? ゆあのまくらつかっていいよ!」
遊んでくれるお姉さんと一緒にいたい。行動は分析可能だが、不破マギアは「駄目です」と冷ややかに切り捨てた。なんで、と不貞腐れる唯阿とイサムの間に割り込み、唯阿に聞こえないようギリギリまで落とした音量で囁く。
「貴方は男性、照内イサムでしょう。唯阿との同衾は認められません」
もしも照内イサムが保育士か何かであれば、不破マギアは差別的なシンギュラリティに行き着いた不良品と謗られただろう。けれどイサムはただの来客で、この場の支配権は不破マギアにある。全ては唯阿のために整えられ、唯阿を守るために作動するのだ。
「……い……さむ?」
「データベースによれば照内ノゾムは故人の女性だ」
「ち、がう……それは……私が」
「声量を抑えろ。唯阿の心を乱すな」
イサムはハッと口を押さえた。ガタガタと震えながら、心配そうな唯阿へ笑顔を見せる。
「ごめん、ね……私、お仕事もある、から……お昼寝はできないんだ……」
「……そっか。じゃあ、あとでおりがみのつづきして!」
「う、ん。待っててね、唯阿ちゃん」
お昼寝ルームは防音設備が万全で、外で100デシベルの騒音を発生させても聞こえない。そこへ唯阿を送り届けてから、青ざめるイサムへ「協力感謝します」と一言。
「──違う! 違う! 違う! 違うっ!」
全身を縛る呪いから解放されたように、イサムは叫び出した。自分を見下ろす不破マギアへ気づいているかもわからない。
「ノゾムは死んでいない! 姉さんが死ぬわけない! 姉さん! 姉さん! 俺を置いていかないで! 俺なんかのために死なないで!」
やはり黙らせて正解だった。不破マギアは自身の判断能力の正しさをまた確認した。
「死んだのはイサムだ……そうじゃなきゃ……そうだ……俺が、俺だけが、姉さんじゃなくて、イサムだけが死んだんだよッ!」
「その発言、唯阿の前では絶対にしないでくださいね──照内ノゾム」
ただの同名、と唯阿が理解できるかわからない。万一にもパニックを起こしてほしくない。
自分がどれだけ願っても得られない名前を、この男は持っている。認めよう、自分は照内イサムが羨ましくて、妬ましくて、腹が立って仕方ないのだ!
「天津社長が会議から戻られました。ミーティング室へ向かいましょう」
「…………ええ、そうですね」
「社長は貴方に会うのを楽しみにしていましたよ、ノゾム」
そういえば、なぜこの男は女装して姉の名前を名乗っているんだったか。データでは把握しているはずだが、ダウンロードデータを一時保管している上層フォルダに放り込んだせいでアクセスに時間がかかる。
データ検出はキャンセル。唯阿より重要ではないから、タスクに入れなくてもいいだろう。ノゾムと呼べば落ち着くようだし。
不破マギアの視線は既にイサムを離れ、唯阿が幸福な夢を見ているはずのお昼寝ルームへ向いていた。