不幸の手紙

不幸の手紙


見えざる帝国


「ハッシュヴァルト様、こちらを――」


 普段は物静かな側近が、少し慌てた様子で差し出したものに、ハッシュヴァルトが首を傾げる。


「……手紙?」


 一体、何事かと差出人を確認して、側近の常ならぬ様子に合点が入った。

 差出人の名は志島カワキ――昨日、断界で破面の襲撃を受けて以降、行方知れずとなっていた弟子の名だ。


「!」


 主がカワキを案じていると知る側近は、遅い時間にも関わらず、気を利かせて手紙を運んで来てくれたらしい。

 安堵の息を吐き、傍目にはわからない程微かに喜色が滲む声でハッシュヴァルトは呟いた。


「――そうか、無事だったか」


 手紙を寄越すのならば、ひとまず窮地は脱したということだろう。

 カワキが手紙を書くなど珍しい。珍しいを通り越して怪しさを覚える行動だが、今は無事であったことへの安堵が勝った。

 ハッシュヴァルトは、側近が差し出したペーパーナイフですぐに封筒を開ける。


『ハッシュヴァルトへ』


 ありきたりな書き出しから始まった手紙には、短く簡潔な文面が書かれていた。

 しかし読み進めていくうちに、その端整な顔は驚愕と焦燥の色に染まっていった。

 手紙を読んでいる最中の主の顔色の変化を見て取って、傍らで待機していた側近が不安に眉を寄せる。


「?」


 何かよほどの事態が起きたのだろうか?しかしそれを問うことは躊躇われた。

 その矢先――


「――――!」


 ハッシュヴァルトの新緑の双眸が大きく見開かれ、手の中で手紙がくしゃりと音を立てた。

 さすがにおかしいと、側近が恐る恐る声を掛ける。


「……ハッシュヴァルト様……? いかがなさいましたか?」


 しかし、側近の問い掛けも耳に入らない様子で、ハッシュヴァルトは食い入るように手紙を見つめている。

 そして思わずといった様子で言葉が口を衝いて出た。


「――どういうことだ……」

「……!」


 いつも冷静沈着で、滅多なことでは動じない筈のハッシュヴァルトの狼狽した声色に、側近は思わず息を呑んだ。

 心配そうに見上げる側近の視線を受け、ハッシュヴァルトは大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせた。

 側近は再び控えめに理由を訊ねる。


「ハッシュヴァルト様、何かあったのですか? 差し支えなければお聞かせ下さい」

「……カワキが……」


 気遣わしげに声をかけた側近に対して、ハッシュヴァルトは一瞬躊躇った後、言葉を続けた。


「カワキが虚圏へ向かう可能性がある」

「虚圏……!?」


 愕然とする側近の前でハッシュヴァルトは動揺から唇を強く噛み締める。

 しかしすぐに表情を引き締めて、即座に立ち上がった。


「陛下に報告に行く」

「はっ。行ってらっしゃいませ」


◇◇◇


 己の半身――ハッシュヴァルトの報告にユーハバッハは耳を疑った。

 聞き間違いであって欲しいと内心の動揺を押し殺し、皇帝に相応しい威厳ある態度でハッシュヴァルトに聞き返す。


「今、何と言った? カワキが……何処へ向かうと?」

「はっ。“護衛対象”黒崎一護に同行し……『虚圏』へ向かう可能性が高い、と」

「……」


 ユーハバッハは強く目を閉じ、暫し沈黙した。

 カワキが破面に遭遇し行方不明になったと死神共が騒いでいることを知った時には、鼓動が凍りつく思いをしたものだ。

 娘が無事であったことは喜ばしい。

 しかし――


(虚圏だと? カワキの耐性は完璧なものではない……まして、虚圏はカワキに重傷を負わせた藍染の支配下――)


 ――そのような場所に娘を送り出すなど考えられぬことだ。

 カワキの実力を信用していないわけではない。並の相手に遅れを取ることなどないだろう――全力のカワキならば。

 だが今は駄目だ。力を削ったままでは、血装を使えど無傷では済まぬだろう。


「虚圏への侵攻は時期尚早だ。今回は護衛の必要は無い。カワキにそう伝えよ」

「はっ」


 厳かに告げられた命令に、恭しい態度でハッシュヴァルトが返答した。

 白い外套を翻して、直ちに部下に回線を開くように命じ、部下達が慌ただしく命令に従って動き始める。

 ひとまず、これで解決だ――誰もがそう思った矢先のことだった。


「へ、陛下っ! 駄目です、殿下に連絡が繋がりません!」

「!」


 まさか――

 通信室から戻った部下の発言に、玉座の間はたちまち騒然となった。

 ハッシュヴァルトが強張った表情で鋭く次の命令を飛ばす。


「カワキの反応を確認しろ! 現世に霊圧はあるか……!?」

「はっ、直ちに! ――……っ殿下の反応消失! 現世には不在のようです!」

「――――!」


 ――一足遅かったか!

 黒崎一護の行動力と、カワキの職務への責任感を見誤っていた。おそらくは、もう黒腔を通って虚圏へ発ったのだろう。

 ユーハバッハは表情を変えず、冷静さを失わないようにしながら、ゆっくりと首を振る。


「……こうなっては仕方ない」

「……陛下?」


 独り言のようにこぼされた言葉に、動揺を隠しきれない表情でハッシュヴァルトが振り返った。

 ユーハバッハは諭すように続ける。


「今頃カワキは虚圏……こうなっては干渉は困難だ。何、カワキなら判断を誤ることはあるまい」


 ユーハバッハの言葉に、玉座の間に沈黙が落ちた。

 ――現世に現れた破面との戦いでは血装を使わなかったようだが、今回はカワキも血装を使用するだろう。

 ユーハバッハはそう考えていた。

 一瞬、迷うようにハッシュヴァルトが口を開く。


「陛下、恐れながらそれは……」

「懸念は要らぬ。カワキの力も判断力も、お前ならよく知っている筈だ」


 滲む不安を押し殺したような腹心の声を遮ったのは、その先を聞いては、蓋をした心配が表に出てしまうからだ。

 ハッシュヴァルトに掛けた言葉は、自身に言い聞かせるものでもあった。


「カワキなら虚圏で破面の情報でも集めて戻ってくるだろう。ここで帰りを待とう」


 耳に痛い程の静寂が満ちる玉座で、夜は更けていった。


***

ハッシュヴァルト…めっちゃ驚きや動揺が出てしまっている。「追伸にこんなこと書くな」とキレても許されると思う。


陛下…頑張って心配を表に出さないように努めている。カワキに「血装を使え!」と念を送っているけど通じていない。

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