下克上の準備②
流魂街・志波空鶴の屋敷
「ほう、下克上とは大きく出たのう」
「ああ、いや、言葉の綾ってやつさ。別に尸魂界に反旗を翻そうとか、ボクが代わりに成り上がろうってわけじゃないよ」
ニヤニヤと愉しげに笑う夜一の言葉を、京楽がやんわりと否定する。
冷たく研ぎ澄まされた霊圧を纏った京楽は「……ただ」と言葉を続けた。
「綱彌代時灘には、瀞霊廷通信の号外で、尸魂界中に周知されるよりも前に、当主の座から退いてもらおうってだけの話さ」
『結局のところ、綱彌代時灘とその一派との交戦が予想されるという事だろう。長話は好きじゃない』
京楽の言葉の続きを待たず、カワキが横から口を挟んだ。
四大貴族の当主への叛意——貴族の権力を考えれば、京楽が告げた言葉でさえも、尸魂界そのものへの反乱と受け取られてもおかしくはない。
京楽の言葉からすべての婉曲表現を取り払い、代わりに茨を巻きつけたような発言をするカワキに京楽は困り顔だった。
「まあそうなんだけどさ……。とはいえ、当然表立って動くわけにはいかない。護廷十三隊が、罪人の可能性が高いとはいえ、堂々と四大貴族に弓を引くというわけにはいかないからね」
その言葉を聞いたリルトットが、得心がいったとばかりに声をあげる。
「つまり、死神どもからおおっぴらに戦力は出せねえから、死んでも腹が痛まねえ俺らを手駒として使おうって話か」
「腹が痛まないなんて事はないさ。実質的に、今は停戦してるわけだしね。それに、カワキちゃんは一護クンと並んで、尸魂界を救った英雄の一人だからね」
ユーハバッハ討伐の功績をあげてカワキを「英雄」と称した京楽の言葉を、ジゼルは「殿下が英雄だって」と鼻で笑った。
肩を竦めた京楽は少女達に向かって言葉を続ける。
「君達にしたってそうさ。事を荒立てたくないんだ。君達を霊王宮に連れて行った時の縁は、できる限り大事にしておきたいんだよ」
「もう陛下は居ねーんだ。停戦条約だったらそこに突っ立ってる殿下に言うんだな。そんなでも、俺達の“殿下”なんだからよ」
ユーハバッハと同じ漆黒の外套を羽織るカワキを、リルトットが顎で指し示す。
新たな代表者としてカワキを推したリルトットの言葉を聞いて、顔色を変えたのはキャンディスだ。
「ちょっとリル! なに言ってんの!?」
キャンディスに続いて、頬に手を当てたミニーニャや微妙な表情のナジャークープが、賛成とも反対とも取れない言葉を口にする。
「不安ですぅ……」
「俺らん中じゃ、一番死神に顔が広いのは殿下だけどよ……」
「俺だって不安に決まってんだろ。だからって誰が代わりをやるんだよ」
「確かに、殿下を差し置いて……っていうのはちょっと違うよねぇ」
本当にカワキに自分達の代表を任せても良いものか。
不安と打算、畏敬と恐怖で揺れる滅却師達の間でなんとか話が纏まりそうだという時、小さく眉を寄せたカワキが口を開く。
『形式張った話は石田くんに回してくれ。陛下が後継者に指名したのは彼だ』
「もうっ、すぐそういう事言うんだから。しょうがないなぁ」
「おいジジ、甘やかすな。ワガママ言ってんじゃねえぞ、殿下。あんたの事だ。面倒だからやりたくねーだけだろ」
『…………』
図星を突かれたように、カワキが無愛想な表情で黙り込む。
一見すると表情は変わっていないように見えるが、見る者が見れば不機嫌である事がわかる顔をしていた。
畳みかけるようにリルトットが言う。
「都合が悪くなったからって黙ってんじゃねーよ。誰があの石田とかいう野郎が代表で納得すんだ」
厳しく正論を並べ立てて、カワキの行動を矯正しようとするリルトットに、カワキは先の戦争でその命を散らした己の師の姿を思い出していた。
気力を削がれた顔でカワキがぼやく。
『……どうして私がそんな事をする必要がある? 私は、私がしたい時にしたい事をしていたいのに』
「ほらみろ。ガキみてーな事言ってねえで仕事しろ」
『嫌だ』
「嫌だ、じゃねえ」
しまいには、代表者を巡って押し問答が始まった少女達を仲裁するように、京楽が軽く手を打ち合わせて会話に割り込んだ。
「はいはい、そこまで。この場で代表者を出せとは言わないよ。みんな仲良くやろうじゃないの」
そう言いながらも、笠の下に隠れた視線は黒の外套を纏ったカワキに向いていた。
気軽な調子は保ったまま、問いかけの形をとってカワキに釘を刺す。
「ま、ボクから言う事があるとすれば……石田クンが後継者ってのは、ちょっと無理があるんじゃない? って事くらいかな」
『陛下の御指名だ。私に言われても困る』
「……そっちのお嬢さん達は、随分と君を慕ってるみたいだけど?」
『それが事実かどうかはさておき、後継者に人望が必要とは思えないな。必要なのは力と実績だ。私が後継者だった事はない』
「……そうかい」
京楽はそれ以上の深追いを避けた。
滅却師達の話に一区切りがついたところで、カワキが「四大貴族への下克上」に話を戻す。
『綱彌代時灘を失脚させたいんだろう? それなら私から追加の情報を出そう』