上手に泣けない君へ
黒猫の縄張りには白い女がいる。黒猫に魚を貢いでくれるので初めは邪見にしていたが、最近は目をかけてやることにしている。白い女は黒猫の家来のようなものだからだ。黒猫は賢くて偉くて強いので家来を守ってやるのも仕事のうちだ。縄張りを巡回する時はいつも白い女に挨拶をしていく。今日は白い女が真っ黒くて煙臭い着物を着ていたので黒猫はぎょっとした。死臭がする。ひょっとすると白い女の身内の誰かが死んだのかもしれない。寂しそうに縁側に座る白い女に近づく。女はぎゅっと黒猫を抱きしめた。いつもなら低く唸り無礼者めと女を叱ったものだが、今日だけ特別だ。雨も降っていないのに黒猫の自慢の毛並みがしっとりと湿っていく。女は吐き出すように黒猫に語った。
初めて作ったお守りは縫い目は荒くてボロボロで中に入れてあった木彫りの仏像もとても仏像には見えない拙いものだった。
初めて針を取ったのは五つにもならない頃だった。兄者の初陣だからと母上の真似をしてお守り袋を作ったんだ。初めてだったから何回も針を指に刺してしまって指は絆創膏塗れ。負けず嫌いの私は上手く出来なかったことと絆創膏塗れの指を兄者に見られたくなくて、でもお守り袋を渡したくてどうしたらいいのかわからずわんわん泣いて兄者を困らせた。そんな私をあやしながら兄者はキツく握り締めていた掌を解いてボロボロのお守り袋を見てありがとうと笑ってくれた。扉間のお守りがあれば百人力だ。絶対帰るから待っててくれと。それが一つ目。
二つ目、三つ目は弟達に。幼い弟達をどうか守ってくれますようにと千手の御神木の木片から削り出した小さな仏像。兄者の時より良い出来で幼心に成長した自分が誇らしかったのを覚えている。何度も御神木に祈って弟達を兄者を守ってくださいとお願いしたものだ。結局お守り袋は二つともボロボロになって帰ってきたが。
四つめのお守り袋は飛雷神の術が完成した時に兄者に贈った。マーキングをひと針ひと針気持ちを込めて縫ったお手製のものだった。いつまでも拙いボロボロのお守り袋を大事にしているから年頃の私は恥ずかしくてな。だから新しく作ったのだ。神仏に祈るより前に私を呼べ、百人力だ。弟達の時のように神仏に頼るより私が力になった方が確実だと悟ったからな。そう言えば、扉間がいたら心強い、肌身離さず持っているぞと軽快に兄者は笑っていた。まぁ肌身離さずと言った癖に兄者と来たら終末の谷へは持って行ってくれなかったがな。持っていた所で私が兄者とあの男の間に入れやしなかっただろうが。万が一にでも戦いの最中に割って入る可能性を潰したかったのだろうな。あの時、私は身重だったから。
五つ目は今はいない私の旦那に宛てたものだ。マーキングを見て顔をしかめたものだから気に入らないなら捨てていいと言ったのを覚えてる。ふんと鼻を鳴らして結局肌身離さず持っていてくれたからそれがとても嬉しかった。月を見ながら時々懐から取り出して撫でていたのを私が知らないと思っているところが愛しかった。あんなに大事にしてくれていたのに枕元に置かれていたのを見つけた時の気持ちと来たら。蝋梅の枝に文と一緒に括りつけてあったんだ。全くいらないなら捨てろと言ったのにわざわざ製作者に返すとは失礼な奴だろう?
こうして二つ目、三つ目、五つ目が私の手元に帰ってきた。そうしてとうとう一つ目と四つ目まで帰ってきてしまった。平和を一等望んでいたのに兄者は終ぞ畳の上ではなく戦場で散った。せめてボロボロになった鎧を新しいものに変えようとした時にな、これが出てきた。縫い目も荒いしボロボロだろう?不格好だから捨てろとあんなに口酸っぱく言ったのに。全く、兄者め。
私のお守りは大切な人をちっとも守ってくれないんだ。サル達やまだ小さなあの子にと思って新しく作っていたんだがな。こんなお守りをサル達に渡すのも躊躇われてな。まさか一つ目と四つ目が帰ってくるとは思わなかったんだ。五つ作って全て帰ってきた。これも帰って来るんじゃないかと思うと怖い。
白い女は黒猫の自慢の毛並みに顔を埋める。黒猫は子猫をあやす声で鳴いた。女が顔を上げるまで黒猫はいつまでも鳴いていた。月はこうこうと輝いていた。
にゃおん