三猿
「あ、ヤベェ!!ゴードンのおっさん、やっぱりおれは聞かねえ!!」
「はあ!?」
「ええ!?な、なんでだよルフィ!?」
12年前からゴードンがウタを育ててきたという話の序盤も序盤から、ルフィが思い出した様に耳を塞いでそう告げたので、その場にいた全員で彼を見た。
「ウタが「言いたくない、言えない」って言ってたからよ。アイツがおれに教えたくない事をゴードンのおっさんから聞くのは違ェ気がする」
「な…あの子が……そう、か…」
「でも、知らないまま傷つけんのも嫌だ。だから聞いたほうがいいと思う奴は聞いといてくれ。んで、後でおれにウタにしちゃいけない事教えて欲しい」
その船長命令に、ケアの為にも情報が欲しいチョッパーや、ロビン等は聞く事にし、レディのプライバシーは確かに聞くわけにはいかないとサンジ、ブルック等は聞く事を辞退した。
そうして一人廊下を歩いて、自分達が泊まる部屋へと向かっていたルフィは、彼女を見つけた。
「…ウタ?」
「!!…ルフィ」
俯きながら歩いていたが、声をかけられてパッと顔を上げたウタは、ルフィを見る。その顔はほんの少しだけ安堵が浮かんでいた。自分と同じく、一人が嫌いなウタにとっては、夜、こうも声が虚しく響く城の廊下を歩くのは10年以上暮らしていたとしても、あまり好きではないのだろう。
「どこ行くんだ?ナミは?」
「私の部屋。ちょっと取りに行きたいものがあって……ナミもついて来ようとしてくれたけど、一人でいいって断っちゃった」
「そっか」
歩きながら事情を話す。自然とルフィがウタについて来ていた事にウタも気付いてはいたが…気遣いを無碍にしたくなかったのと、また幻覚や幻聴で錯乱したらルフィがいたほうが安心できる。
なにより、ナミに断った時は気にしてなかったが…久しぶりに落ち着いた気持ちで歩く城の廊下の暗闇が、少し恐ろしかった。静けさも振り切りたくて、ウタの方から口を開く。
「ルフィの仲間は、いろんな人がいるね。チョッパー君みたいなトナカイの子も骸骨のブルックさんも、フランキーさんは、機械の体?なんだっけ?」
「おう!!面白くていい奴らだろ?」
「まだあんまり話してないけどね……うんアンタが好きな仲間なんだろうなとは、なんとなく分かる」
城の窓から差し込む、もうだいぶ傾きつつある月明かりを辿る様に、自分の部屋に着いたウタは、最初自分の部屋は此処だと言おうとして…よくよく思い出せば、ルフィとの再会はこの自室なのだから知っていたかと、一人で苦笑する。
ガチャ…とやけに響く扉の音と共に入るとまだそんなに経ったわけではないのに、久しぶりに感じた。最近は部屋でも落ち着く事が出来ず、怯え、震えていたのもあるからだろう。
一方で、ルフィもまたあの時は落ち着いて見る事が出来なかったウタの部屋をぐるりと一瞥する。
大理石の床に、流れ星やら惑星、月の描かれた可愛らしい壁紙。そんな広い部屋には大きなベッドが一つ。
「子供部屋」そんな感想が浮かんだ。
「あった。ごめんルフィ、お待たせ」
声と共に振り向くと、上着を手にしたウタがいた。聞けば、あの医務室は陽当たりがあまり良くないのか寒いらしい。確かにちょっと暗かったな、と思い出していたルフィだったが…ふと、ウタを見つめる。
今では自分の方が背が高いが、あの頃より背丈も髪も伸びたウタ。しかしその目には少しマシになっても未だに頑固な隈や、怪我の治療跡。そして少し柔らかくなった表情…それでも光を殆ど灯さない紫陽花色。
この部屋の内装のせいだろうか?なんだかフーシャ村で出会ったあの頃の小さなウタがそうなっている様な幻を見ている気さえしてきた。小さな女の子が、悲鳴をあげれずに傷ついている…そんな風な……
少し暗いルフィの顔に気付いたウタは、首を傾げて近寄る。そんな仕草も、どこか幼かった。
「なあに?どうしたの?」
「いや、ちょっとな…この部屋、広いな」
「え、うん。そう、かな?長くここで暮らしてたから、わかんないや」
「そうか、此処とかで配信、ってのしてるんだっけ?」
ウソップ達がファンになった経緯をなんとなく思い出して、聞く。なんだか長くなる気配を察してウタは手に持っていた上着を羽織りながら答えた。
「うん、あとは…公民館前とか、浜辺だったり…お城の、ステージとか」
「ふーん。色々なところで歌ってんだな」
「まあね、ある程度は景色とか選んでたけど…それでも私が歌えば、そこは私のステージだったから」
そう何処か遠くを見つめているウタと、それを見るルフィだったが…あの時、ルフィがウタを連れて行った、夕焼けの綺麗な、風車小屋。二人の脳裏にあるステージは同じだった。
「……なあ、ウタ」
「?」
「ずっと此処にいたなら、もう此処では歌いきったりしてねェか?」
「なに言ってるの?」
「あー……他の場所で、歌いたくはねえのかなって思ってよ」
初めて、ウタの瞳が恐怖以外で揺らいだのを見た。
「他の、場所…?」
「此処にもお前のステージはいっぱいあるんだろうけどよ。おれ、あいつらと冒険してる途中も、いろんな所行ってよ…多分、お前が好きそうな場所、たくさんあってよ……それで」
言葉を選ぶのは、あまり得意ではない。言いたい事を言うのが自分の性に合っているのくらいルフィは分かっていた。
だが、それでも…もしかしたらソレはウタを傷付ける話題かもしれないと、思っていたから。
「……無理だよ」
ルフィの言いたい事をなんとなく理解したウタは、努めて優しい口調で、それでも緩く首を振った。
要は彼はこう言いたいのだ。「シャンクス達の所に戻らないのか」と。またシャンクス達の船に乗って、赤髪海賊団の音楽家として色んな所で歌わないのかと。
「…シャンクスは、此処には来ないよ。船に私をもう一度乗せる事はしない。だから私は。此処にいるしか出来ない」
そんなわけない、そう言いたいルフィだが今目の前には間違いなくこうなるまで一人だったウタがいるのだ。だがそうかもしれないと肯定する事は、自分の憧れであるシャンクスを否定する事はルフィには出来なかった。
そしてそんな苦悩するルフィを、ウタは見つめて、思考を巡らす。
ああ、確かに…そんな夢の様な幸せが欲しかった。続いて欲しかった。しかしそうはならなかった…そしてこれからもずっと、叶いはしない。
「ウタ」
「…そろそろ戻らないとナミが心配しちゃう。ありがとう、色々してくれて……でもルフィ」
そして目の前の大事な幼馴染の夢まで、邪魔をしたくはない。
「アンタも、夢の為にいつまでも此処に残ってないで…早く行きな?冒険の続きに」
「……」
「冒険の話を聞いてアンタが好きなことやってるみたいで、よかったって思った。久しぶりに会えて嬉しかったし、治療もしてもらえた…充分だよ」
執着など、またいつか置いていかれたり、離れる時に辛くなるだけだ。そうなる前に自分から離れたい。その方が…楽だ。
「じゃあ私、戻るね…おやすみ」
立ち尽くす幼馴染に背を向けて医務室に帰ろうとした時だった。
「え、うわっ!?な、なに!?」
急に自分の身体にグルグルと巻き付くものに驚いていると、そのまますごい力で引き寄せられる。
「…ルフィ?」
自分を引き寄せた本人らしいルフィ。改めて見ると、自分に巻き付いているのはゴムの様に伸びた彼の腕だ。そういえば、彼もまた自分の様に悪魔の実を食べたと聞いたが…実際に見るのは初めてだった。
「帰らねえよ」
「なに言って…」
「まだ終わってねえ、何も」
「え、ちょ、まっ…!!」
そのまま、痛くはないが引っ張られる様に歩いて、彼と共に自分のベッドに沈んだ。
「わ…ルフィ?何がしたいの?離して…」
「寝るぞ」
「え、いや…でも私……」
「無理なら目ェ瞑るだけでもいい。とにかく休め。本当に元気になるまで、おれは帰らねえ…」
そう真剣な声で言うルフィは、一度巻きついていた腕を解くが、またすぐに再会した時の様に強くウタを抱きしめて離さない。抵抗はしてみたが、随分と成長したルフィには、多少身軽に動ける程度…それも弱っている自分ではどうしようも無いと、ウタは早くも放棄した。
「ナミに怒られたらルフィが謝ってよ」
「分かった…おやすみ」
「…おやすみ、ルフィ」
仕方なく、ルフィに言われた通り、目を瞑った。当たり前だが暗くて何も見えないので、他の事に意識が向く。
先程ナミと添い寝した時とは違う、慣れ親しんだ自分の匂いのするベッドと、ルフィのものと思う匂い。
触れている部分から伝わる彼の体温。と、傷痕の少しザラついた感触。
そして、前にも彼の掌から聞いた、ルフィ自身の鼓動の音。
色々変わってはいるけど、それでも嫌いにはなれない。寂しいけど安心するなんてなんだか矛盾している気持ちでウタはそうしてルフィに抱き枕にでもされた様な状態で大人しくしていた。
すると…それからどれ程経ち、何が理由かは分からないが、先程薬を飲んで眠れたはずなのに、また意識がふわり、ふわりと揺れ始める。沈む様な、浮かぶ様な…普通なら抗う事などしないものけど今では恐ろしいと思う感覚。
今度の夢では誰に、何を言われるのだろうか?次は石を投げられるだけじゃなくて、手に持つ農具を振り下ろされるかもしれない。…怖い。
眠りたくはない…でも、立ち上がったり、眠気を飛ばす様な動きは今この状況では出来ない。
緩やかに、意識がほつれていく中で、ウタは縋る様にルフィの衣服を掴む。彼はとっくに寝ていて寝息も聞こえるから、こんな事しても意味はないと分かっていたが今この状況で、何もしない方が無理だった。
そう震えるウタの身体を抱きしめている腕に力が入る。ハッと目を開けて彼の顔を見たが…相変わらずルフィは寝ている。
ならば無意識だったのか……それでも、応えてくれた。自分の声なき声に……
「…ぁ、り…がと……」
すぅ…と、強張る身体から力が抜ける。少し開いていた目も、とろとろと、落ちていく瞼に抗わずに閉じていく。
ゴムだからか少し柔らかい、でも子供体温な温さに、自分も気付かないまま、頬を緩めて……ウタはそのまま眠りに落ちた。
「…戻ってこないから心配になって来たけど、仲良いのね。本当に」
あれから…戻らないウタを心配して様子見にきた。するとどうだ。彼女の部屋で、どういうわけか、自分達の船長と共に眠っているではないか。
その表情は、悪夢を見ている風ではない。寝起きの眠りが浅くなった時は分からないが…どうやら寝入りはとても穏やかに迎えられた様だ。
「……女の子の部屋に入ってる点は、叱るべきなんでしょうけどね」
叱る、なんて言葉を使っていながら、口が少し弧を描いている辺り、本気で怒ってはいないのだろう。そのまま彼女は部屋を出ていく。
「今回は、見なかった事にしてあげるわ」
そうして、パタンと扉を閉めて、オレンジ色の泥棒猫は歌姫の自室を後にした。