七人ミサキ

七人ミサキ


扉を開けたら、夜の砂浜だった。

「………?」

一旦扉を閉め、深呼吸して再度開く。満月が煌々と海面に映る、夜の砂浜だ。

「………は?」

喉から低い声が出る。所用を済ませてやっと休めると思っていたところにこの仕打ちなんて。精神的に疲れたとき窓の外の海が大荒れになることはあっても、こんなふうに部屋がまるごとおかしくなる事態は初めてだ。

(…いや、これほんとどうしましょう?)

迂闊に入っていいのかもわからず立ちつくす。中の海から漂ってくる潮の匂いや波の音は本物だ。ということは、シャワールームやベッドといった最低限の家具すら消えているということで。不安定な環境下での睡眠には慣れているけど、それでもなるべくいい条件で寝るにこしたことはない。ファウストさんにでも相談すればいいんだろうか。

「イシュメール嬢?いかがせる?」

「イサンさん。ちょっと、見てくださいよこれ。部屋が変になっちゃって」

同じくちょうど外から戻ってきたのか、バスに繋がる扉を開けながらイサンさんが話しかけてきた。愚痴を吐きながら部屋の中を指さす。覗きこんだ彼の顔色はもとから白かったけど、それでもはっきりとわかるほどに一瞬で青ざめた。

「ッ!?」

「ほら、部屋の原型すら留めてないんですよ?なにかわかったり」

「だ、ダンテ!!」

私の言葉を最後まで聞かず、イサンさんは足をもつれさせながら慌てた様子でバスに戻る。彼らしくない慌てぶりに思わず瞬きする。名前を呼ばれた管理人さんは、不寝番を放り出してすぐすっ飛んできた。

《どうしたのイサン!?》

「イシュメール嬢の部屋が…!」

《……うわ、マジか。これダメだやばい》

一瞬部屋を見やったダンテさんが身体ごと引く。なにかわかったことがあるんだろうか。でも、ダンテさんはただでさえ記憶がないのに、この「廊下」や不思議な部屋についての知識なんてもってるのかな。

「ダンテさん、わかったことでもあるんですか?」

《あー…うん…まず、このまま放置しても部屋はもとに戻らない》

「でしょうね」

《一回中に入って…ここ、いま別の場所と繋がってるから。だから繋げた存在に会わないと》

「つながっ…!?え、この部屋、というか廊下ってそういうものなんですか!?」

《いや廊下については知らないけど。でも、いまきみの部屋に起こってる異常に限定すれば、そういうことになる》

いまいちはっきりしない答えだ。それでも、具体的な解決策があるなら実行するのみ。問い詰めるのはあとでもいい。私も早く休みたいし。

「…わかりました。じゃあさっさと入って繋げた存在とやらに会います」

《まてまてまって!!危ないから!!》

「危ないって、どう見てもただの砂浜でしょう」

《でも危ないの!!せめてあと一人経験者がほしい…!》

「……!」

少し思案したイサンさんが別の部屋に繋がる扉をノックする。開けて顔を覗かせたのは、少し髪の毛が跳ねたグレゴールさんだ。

「んあ?イサンさん、来るなんて珍しいな?」

「火急なり!!」

「了解」

なにがどう通じあったのかあっさりうなずいて部屋から出たグレゴールさんは、ぽかんとしている私を見て察したのか二人と同じくすぐに部屋の中を見た。うわあ、とでも言いたげに顔がしかめられる。

「……どこだ、そこ」

《やっぱりわかる?やばいよね?》

「ああ。なんか…空気ごと違う、っていうか」

「私たちが知りき異界とはまた別物なり…」

「こっちは異界っていうより異世界って感じだな」

《二人は地続きなぶん繋がりやすかったけど逃げやすかったからなあ。たぶん今回は一度途切れたら戻れない》

「それで俺たちか」

《お願いできる?具体的には扉が閉まらないように阻止してほしい》

「任せよ」

内容が掴めない会話と深刻な二人の表情が不安を煽る。この二人はなにかを知っている?もしかして私の想像以上に事は大きいものなんじゃないか。

《…イシュメール、大丈夫?》

「大丈夫というかわけがわからないです。なんでそんなにスムーズに話が進んでるんですか?イサンさんはともかくグレゴールさんには特別知識があるわけでもなさそうなのに」

「あー…それはまあ、いろいろ事情が…」

「…はあ、質問するのはあとですね。ともかく、この中に入って部屋をこんなふうにしたやつを問い詰めればいいんですよね?」

《問い詰めるっていうか会うだけっていうか、ぶっちゃけ会ったらほぼアウトっていうか…うんまあ極論きみの言う通りなんだけど。あ、私も一緒に入るから》

「それは構いませんけど」

よぉし、とぺちんと文字盤を両手で叩き、気合を入れたつもりなのだろう。私よりも先に足を踏み入れたダンテさんが、グレゴールさんとイサンさんを振り返る。

《じゃあ、頼んだ》

緊張した面持ちで首肯する二人を横目に、私も彼に続く。踏みしめた足元がじゃりと音をたてた。小石交じりの地面から砂になるのに時間はかからない。扉からほんの少し歩いただけで、私たちは砂浜の上にいた。

周囲を見回してみる。とても、広い。本当に別の場所と繋がってるんだろう。背後を見やれば巨大な影と化した森がざわめき、そこから連なる空間の一画だけがまったく別の風景に切り取られている。そこから歩いてきたことは言うまでもない。左右には同じような砂浜が長く、長く、地平線のように続く。目の前の海は月の光に照らされてなお黒々と波打ち、引いては寄せる銀色の波によってのみ装飾される。それは、リゾート地の穏やかな海ではない。むしろ私が慣れ親しんだあの海に似ている。

(…でも、この違和感はなんだろう)

確かに酷似しているが、それでもなにかが違う。潮の匂いも波の音も。覚えがあるのによく似た別のものという印象がぬぐえない。ここは、なんだか綺麗すぎて、苦しい。

カシャン カシャン

突然金属音がしてそちらに目を向ける。海岸に沿って何人かがこちらに向かってきていた。潰れた三角形のような形の大きな帽子?のせいで顔は見えない。服装は檀香梅EGOの人格を被ったイサンさんと似ている。音の源は彼らが持っている杖のようなもので、木の棒の先端に鉄の輪がいくつか付けられている。歩くたびにガシャカシャとすり合い、だんだん大きくなっていく。

(えっと…いち、に、さん……)

なんとなく、その人数をかぞえる。

(よん、ご、ろく……)

ななにんめ。先頭に立っていた者が私を指さし。直後、視界が赤い背中に遮られる。

《連れてかれるわけにはいかないんだ。この子には、まだやるべきことがある》

連れてかれる。どこに?それはいやだ。だって、私はまだ、あいつを────!

《…は?なに?私でも、いい、って…………》

ダンテさんの手がだらりと下がるのと、私の身体が動くようになったのは同時だった。

「逃げますよッ!」

会ったのだからもういいはずだ。力が抜けた手を引いて扉のほうに駆け出す。イサンさんがなにか叫んでるように見える。でも聞こえない、遠い、いや…!

(なんで、こんなに走っても、たどり着けないの!?)

いつまで走っても距離感が変わらない。入ったときは入り口から砂浜まであっという間だったのに!そのうえ引っ張るダンテさんが妙に重い。引きずられているわけではないのだが、自分の意志で走っているのではなく為すがままになっているような感じだ。

「ちょっとダンテさん!ちゃんとはしっ、て……」

やむなく振り返って、気づく。彼の時計から音がしないことに。その針が、先ほどから微塵も動いていないことに。

「イシュメール!イサンが旦那にビンタしろって!!」

グレゴールさんの怒声が響く。振り返った視線の先には、少しずつ近づいてくる元凶集団の姿がある。もしかしたらこのあとなにか不具合が出るかもだが、構ってはいられない。

「ふんっ!!」

時計相手に頬を張るのは初めてだったけど、ベチンッという音ともにジリィンッ!?とベルが鳴った。

《いだっ!?あ、え、イシュメール?》

「いいからさっさと走る!急いで!!」

急かしながらもう一度手を繋いで扉に向かって駆け出す。今度はなぜかあっさりとたどり着くことができた。

《わ、わ!?》

「ほら早く!」

つんのめったダンテさんを蹴り入れて私も境界を越えようとした、次の瞬間。

「あ」

身体ごと後ろに引っ張られる。視界を痩せた手が覆い尽くしていく。呑みこまれる。替わられる。私は、わたし、ワタシって、ダレ、だっけ────

《イシュメール!!》

「………あ……」

誰かが腕を掴んで引っ張りだす。少しだけ開けた世界の中で、時計が私の名を呼んでいる。名前。そう、私はイシュメール。それ以外の誰でもない。

《気をしっかりもって!》

「この、野郎ッ!」

頬を掠めて茶色いものが伸びていく。急に身体が投げ出され、私は管理人さんの上に落下する。

「ぅぐっ」

《閉めて!!》

足首を握られる感覚。見ると、痩せぎすの手。また引き寄せられていく。縋った私を彼は身体ごと抱きしめた。

「はあッ!」

イサンさんが手に思いきり短剣を突き立てる。離れた隙を狙ってグレゴールさんが扉を蹴り飛ばし、ダァンッ!なんて盛大な音をたてて扉は閉ざされた。もう、あの潮騒は聞こえない。



「……おい、これはなんのさわg」

《ロージャお風呂でイシュメール洗ったげてもうありったけ!!皮膚剥ぎ取る勢いで!!!》

「りょうかーい、この石鹸使うのね?」

《そうだよあとシンクレアあのお茶飲ませるから準備ね!!それとイサン部屋の前に塩と灰まいといて!!》

「わかりました!」

「うむ」

《グレゴールは火の準備お願い!この服染みついてダメだ燃やす!!》

「わかった。…ってなわけでちょっと忙しいんだ、説明はあとにさせてくれ」

「……?」

イシュメールとヴェルギリウスはそろって宇宙を背負った。

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