一粒の雪

一粒の雪




「…紙一重…にも、届かぬか…」

血に濡れた腹を押さえ込みながら地に膝を付ける…。へし折れた刀は最早杖の代わりにもならなかった。

「…ここが完全な工房となっていたら、勝負は分からなかった。まさに時の運というやつだ。」

「ふふ、謙遜は時に人を傷つけるぞ…っ!!」

上がってきた血を吐き出すと同時に身体を支える力すら抜け、天を仰ぐ…。

「勝負、あり…だな…。」

「ああ…貴殿の負けだ、正雪。」

淡々として、しかしはっきりと伊織殿は勝敗を告げた。

「…もとより、勝ち目のない戦いであった…。ここで私が伊織殿を倒したとしても、残った戦力でできることなどたかが知れている…。別働隊も既に落ちているだろう…?」

「一人の浪人による密告が始まりだった。江戸だけでなく各地の役人や武家、一部の同心にまでも話は回っていた…。」

ああ、そうか…。私は信じていた仲間にすらも…。

「私はつくづく人をみる目がないな…。此度といい、ライダーの時といい…。そして貴殿のことも。」

伊織殿はただ無言を貫く。

「戦ってみて確信した…。貴殿が本当に求めているもの。その人の皮に隠した本当の願いを…」


「宮本伊織。貴殿の剣は血に飢えている。その本質は鬼に等しい。」

「…人を見る目がないと言いながら、随分と核心をついてくる。」

淡々と、しかし重みのある声色で伊織殿は語る。

「そうだ。きっと俺の本質は剣…。全てを斬り伏せんとする剣の鬼だ。この身全てはただ、あの日の剣を求めんが為にある。」

やはり…そうか。あの日見た光は…。

「だから、こそ…疑問が残る。何故その手に、盈月を握らなかった…?何故鬼を宿しながらも…っ!…人の道を進もうとした…?」

霞がかる目を無理矢理にこじ開け、悲鳴をあげる身体を黙らせながら問う。

「…俺が焦がれたもう一つの剣が、善であったからだ。」

空に浮かぶ月を仰ぎながら、伊織殿は夢を思い返すように語る。

「セイバー…鏖殺の生涯を歩みながらも、善を為したいという優しき英霊。あいつと共に駆け抜けた日々が俺に道を示してくれた。何度心のままにと思う瞬間があっても、あいつが…友の悲しむ顔が俺を人に留まらせた。」

…見誤っていたと、思っていた。幻だったと決めつけていた。だが光は…あの光は確かに今ここにあった。

「…それは貴殿の願いと真逆にあるものだ。崩れかけたとはいえ、このままいけばまた世は平穏を取り戻すであろう。貴殿の剣は二度と報われぬだろう。貴殿はそれでも…」

「───見くびるなよ、由井正雪。」

言葉を、返された。

「盈月を斬り伏せた時より既に、俺は答えを決めている。この剣と友に、既に誓っている。渇きに耐えられず剣の鬼が俺を飲み込もうとするならば…それすらも斬り伏せるまでだ。」

「ふ、ははははは!ははははは…!」

負けた。私は全てにおいてこの男に負けていた。己が願いをも斬り伏せ、ただ友のために善と在ろうとする剣にどうして勝てようか?

「…ならば先ずはカヤ殿を安心させるのだな。善を為すというなら、大切な人を心配させるな。」

全霊を用いて身体を持ち上げる。悲鳴を上げる節々を魂で黙らせ、彼の前に座す。ただ…

「───餞別だ。我が首を持ってゆけ。」

ただ。彼に斬られるために。

「今の幕府で首手柄がどれほどとなるかは分からぬが、手ぶらで仕官を求めるよりかはマシだろう。」

「…正雪。」

「早めに頼む…。本音を言えば意識を繋ぎ止めるのも精一杯だ…。刃を地に当てたくはなかろう…?」

目は既に伊織殿の顔を映す事すらも出来なくなっていた。耳は既に彼の微かな息遣いも捉える事は叶わなかった。

「…その首、貰い受けよう。」

細長き光が彼の頭上に止まる。…彼ほどの手練れなら一太刀にて我が細首を断つだろう。不思議な安心を持って目を閉じる。

「正雪…ありがとう。」

 「可笑しな事を言う。何を感謝することなどある?」

「…俺はもう、心躍る戦いは生涯ないと思っていた。盈月の儀を最後に…俺は渇き続けるのだろうと覚悟していた…。」

それは、永劫満たされることがないと定められた剣鬼の言葉だった。

「だが此度の戦いにて…もう二度と味わうことのないと思っていた潤いを手にできた。」

ああ、そうか。私は…。

「筋違いだ。私は貴殿の為に行動したのではない。ここにあるのは単なる結果だ。」

"私"の想いを噛み締め、"由井正雪"として言葉を返す。

何も得られなかった。何も返せなかった。命が役目を持って生まれてくるものであるならば、私は何のために生まれたのかと問い続ける人生であった。

デウスよ…それでも一つ。叶う願いがあるならば。

「剣の鬼よ。その一粒の雪を噛み締め、生涯渇き続けるがよい。その願いを成就させられぬまま、朽ちてゆくがよい。」


「この私の"願い"を納め、二度とその鞘より出てくるな。」

───この鬼に、人の幸せが与えられんことを。

「…由井正雪。その"願い"、承った。」


慶安⬛︎年───。

後に由井正雪の乱と称された事件は裏切者の密告と、一人の若き剣士によって首謀者がである由井正雪が討たれ終結したと記録されている。

一説によるとこの剣士はありし日の宮本伊織であり、由井正雪を討った功績を認められ、小笠原家に召し抱えられたとされているが定かではない。

また宮本伊織は安土桃山〜江戸時代初期に名を馳せた宮本武蔵の養子であり、二天一流をおさめていたとされているが、小笠原家に仕官した後、剣を振るったという記録は残っていない。

夢正雪先生の次回作にご期待ください。





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