一歩
お腹が空いた時のお腹の音とか、心臓の音とか、歯がカチカチと噛み合わなくなった時の音……自分の内から発せられた音は、存外周りの人が思うより大きく、自分の中に響き渡る
その日、私は自分の心が折れる音を聴いた
それは想像していた、木の枝でも折れる様な、陶器のカップでも割った様な音でもなかった
グズグズに腐った果実が、遂に自重に堪えかねて潰れた様な……呆気なくて、力無い水音でも混じった様な音だった。だからきっと、誰にもそれは聞こえていない
私の中で、小さく小さく、草折れたのだ
そこからの記憶はない……なんて事はなく、ちゃんと憶えているけれど、まるで他人事の様な、本に描いてある物語でも読んでいる感覚だった。ルフィ達が自分の為に化け物と戦ってくれてたのも、海軍の人達に銃を向けられたのも……なんだか全部遠いことに感じてしまって
ただただ、流れる涙で頬が熱くなっては冷めていくのをぼんやりと知覚していた
それから先もどこか曖昧だった。ルフィやルフィの仲間が優しく丁寧に状況を説明をしてくれても別の世界の言葉で話しかけられている様に理解が出来ず…
当時の私に分かる事は、世界が私を罪人だと宣告したこと。またシャンクス達が私を置いていったこと。ルフィ達は、私を置いていかないで連れて行ってくれたこと……それだけ
それから暫くは、何もする気が起きなかった。だって理解してしまった
【私の人生は無意味だった】こと
【私はどうせ報われない】こと
【私はどうせ救われない】こと
【私はどうせ信じてもらえない】こと
【私は歌わない方がよかった】こと
何かを頑張っても、また何かあれば皆が私に疑いの目を向けるなら…何もしなければ何も起こらないなら……その方が良いに決まってる。そう疑う事なく、私は部屋でベッドの上から殆ど動かず、生きることに必要最低限の事だけをして、眠れなければただ膝を抱えて壁を見つめていた
歌があるから、ウタウタの実の能力があるから辛いんだと、エレジアの一件以降…歌いたいとさえ思わなくなった
時折、ルフィがそんな空っぽの私を抱きしめていた。そんな時は申し訳なくて、虚しくて、また静かに泣いて、彼にずっと謝っていたと思う
ある時、思い立った
【とはいえこのまま穀潰しだと、また捨てられるのでは】
【唯一味方だったルフィ達にまで捨てられたら今度こそ……】
そうして私はデッキブラシを手に船の掃除をする様になった。浴室の掃除だってするし、皿洗いだってする。なんでもする
ずっと、ずっと頑張るから…
いっぱい、いっぱい頑張ってみせるから…
そう思ってるのに、時々力が抜けた様にベッドから動けない日が来る。捨てられると怖くなって、また動ける日に必死になって床を磨く。そんな事を繰り返してたら、ルフィじゃなくて、ナミちゃんと、ロビンさんに抱きしめられて、泣かれた
私じゃなくて、二人が泣いた
そのまま二人に連れられて、泣いてるチョッパー君から貰った塗り薬を、いつの間にか随分と荒れていた手に塗ってもらって…これまた泣いてるフランキーさんに掃除が簡単に出来る道具を貰った。何故か火を噴くスイッチがあって、ナミちゃんが怒ってフランキーさんをそれで軽く炙ってた
それを驚きながら見つめていたらゾロ君とジンベエさんが、顔を見せずに不器用に頭を撫でてくれて…
食堂に入ったら……誇らしげな顔をしたウソップ君が私用に作ってくれた真新しい椅子が一つ加えられていて、あれよあれよという間に、そこに座らされた
ポカンとしていたら、サンジ君が目の前にパンケーキを置いてくれて、隣にルフィが座ってた
早く食べないとおれが食べるなんて急かされたので、慌ててフォークとナイフを手に取って、一口食べて…噛んで、飲み込んだ辺りで、私はまた泣いた
折角甘いパンケーキを作ってもらったのに塩っぱくて、でも美味しかった
いつの間にかいたブルックさんが優しい曲を演奏をしてくれていた
泣き顔を隠す様に麦わら帽子を被せてきて気楽にいこうって、ルフィが言ってくれた
ここまでされて多分、まだまだ気を張ってしまうと思う
染みつき滲んだものを取り払うのは難しい信じるのは未だに怖い
歌も、暫くは離れたいし…シャンクス達の事も今は考えても辛い
でも、それでもルフィ達は置いていかないって手を握ってくれるので…それに引っ張ってもらいながらだけど…ほんの少しだけ一歩だけ……前を向けたらなと、思ってみる位は、許されるのかな?