ヴィヴィア=トワイライトの回想
「眩暈がする程、あなたは特別」※反転ヴィヴィア(人間)の話です。
※登場人物の関係性、過去等は私の想像に基づいています。
「ヴィヴィア? おーい? ……寝てるのか幽体離脱か分からないな……」
ヴィヴィアの目の前で、上司であるアマテラス社保安部部長ヤコウ=フーリオが暖炉の中を見下ろしていた。彼が見下ろす暖炉の中には、紛れもなくヴィヴィアが体を丸めている。
ヴィヴィアは自らの特殊能力『幽体離脱』を利用し、じっとヤコウの観察を行っていた。
ヤコウはしゃがみこんで、ヴィヴィアの頭を撫でながら声をかける。
「オレ、ちょっと出てくるけどすぐに戻るから……一応鍵をかけておくけど何かあったら呼べよ?」
言い終えると、先程告げていた内容と同じことを紙に書き残し暖炉のそばに置く。そうしてから、ヤコウは保安部室から出ていく。厳重に鍵が閉められたが、霊体となったヴィヴィアにとって鍵など意味をなさない。ヤコウに付き従うように後を追って退室した。
ヤコウは黒いファイルを手に、アマテラス社を歩いていく。初めて歩く道だ。物臭なヴィヴィアは社内を無駄にウロウロと歩くことをしない上に保安部室に入ったが最後帰宅するまで決して出てこないので、社内のほとんどの場所に立ち入ったことがない。足を動かすのが億劫ならば幽体離脱で社内を見て回る、という選択肢はなかった。見たくもないものを見る羽目になるし、なにより魂が抜け出た体を置いておくにはアマテラス社という場所はあまりにも危険だった。
空っぽのヴィヴィアの体をまるで宝物のように大切にしてくれるヤコウや保安部の存在が無ければ、ヴィヴィアは決して、社内で隙となり得る幽体離脱を使わなかっただろう。
ヤコウはエレベーターで地下へと向かうようだ。心なしか、その横顔は厳しい。
エレベーターが止まる。目的地に着いたようだ。
研究部のエリアだ。蛍光灯の白々とした光が目に眩しい。
ヤコウは研究部の奥まった部屋に入室する。
「……失礼します」
「あぁ、君か」
入室したヤコウに研究者達は全く興味を示さず、むしろ露骨に面倒なのが来たなという雰囲気を出す。
ヴィヴィア達保安部は他部署からは軽んじられ、疎まれている。利益を追求し、後ろ暗いことにも手を出しているアマテラス社内において、自浄を担う保安部やコンプラ部は面倒な存在なのだ。ハララやヴィヴィアが保安部に所属する前は、保安部の存在などあってないようなものだったと聞く。
現在も軽んじられている状況に変わりはないのだが、ハララが不正の証拠を提出したり、ヴィヴィアが情報を集めてくるようになったため、ある程度は口出しに耳を貸すようになったそうだ。
「……以前にもお伝えしましたが。オレの部下に無許可でこういうことするの、やめてくれません?」
ヤコウが黒いファイルから書類を取り出し、机に置いた。研究者達はチラリとそれを見る。ヴィヴィアが書類を詳しく見ようと身を乗り出す前に、研究者の一人が口を開いた。
「ふん——二人とも、強力な能力を持っているにも関わらず使おうとしない。使い方如何によっては、人々を救えるような力であるにも関わらずだ。能力の持ち主が使おうとしないのならば、我々がアマテラス社のために利用することに、何の問題もあるまい?」
研究者の言葉を聞いて、ヴィヴィアは書類を覗き込もうとするのをやめた。おそらく自分やハララの生体データが記されているのだろうと察したゆえだ。
アマテラス社では超自然的な能力を持っている人材を集めている。何を隠そう、ヴィヴィアもその能力を見込まれて鳴り物入りで入社したのだ(そうでなければ仕事どころか生きることにも積極的でないヴィヴィアがアマテラス社の入社試験に受かるはずが無い)。アマテラス社が能力者を集める理由は明らかにされていない。単純に優秀であるため、だとか、世界探偵機構に対抗するためだとか……様々な噂が囁かれている。
集めるだけ集めて世界探偵機構のように能力を訓練する訳でもなかったため、なんだったんだろうかと疑問に思っていたのだが、ようやく理由の一端に触れることが出来た気がする。
とにかく、能力者のデータを欲しているようだ。なんに使うのかは未だ不明だが。
ヴィヴィア自身のデータが勝手に取られていた、という点に関しては別にどうでもいい。どうぞお好きに、としか思えない。空っぽの人間のデータなんて取って何をするのか、むしろ興味がある。
だけど、ハララのデータが取られていた事には心臓を冷たい手で触れられるような嫌悪を覚える。他者への警戒心が猫のように強いハララに悟られる事なく如何にデータを取ったのか。想像するだけで、気分が悪い。
ヴィヴィアが研究者の顔を覚えようとじっと見つめていると、隣から低い声が響いた。
「なるほど。伺っていた通り、研究のためなら他者を踏み躙ることを何とも思わないゲスのカス。なら、こちらもこれを突きつけることになんの躊躇も要りませんね」
ヤコウが黒いファイルからもう一枚書類を出した。何らかの帳簿らしい。
いままでヤコウのことを鬱陶しそうに見つめていた科学者は打って変わっってギョッと目を見開いた。
「貴様! それをどこで」
「……といっても、もう上に報告しちゃったんですけどね」
ヘラヘラと笑いながらヤコウは肩を竦める。
「会社のためとか言いながら横領していたとは。しかも、他の会社へ技術の横流しまで。一体どの口がアマテラス社のためなんて言えるんですかね?」
「クソ……!」
書類を奪おうとする科学者に、あえてヤコウは投げて渡してみせた。
「コピーですよ、これは。原本はとっくにお偉いさん方に渡しています」
ヤコウの深い青色の瞳には怒りの炎が轟々と燃えている。けれどその横顔は静謐な湖面のようだった。
初めて見るヤコウの表情に、ヴィヴィアは思わず息を呑んだ。じっと見ていると、こちらも呑み込まれてしまいそうな怒り——否、まさに憤怒の表情。
まさかヤコウが、普段自分たちを穏やかに見守ってくれている優しい男が、こんな表情をするだなんてヴィヴィアは思ってもいなかった。そして、ハララはともかく空っぽの人間であるヴィヴィアのためにここまでヤコウが怒ってくれるだなんて予想もしていなかった。誰の代わりでもないヴィヴィア自身のことを見て受け入れてくれるだけでも泣きたくなるほど嬉しいのに。
ヤコウの怒りに充てられてか、急激に温度が冷えていくかのような研究室の中で、ただ一人霊体のヴィヴィアだけがじんわりと胸に広がる暖かさに身を委ねていた。
「どうやって調べた? ……あぁ、そうか。幽体離脱か……! ふん、貴様も我々と同じじゃないか、彼らの能力を利用し自らの利益としている……!」
「——!」
科学者の言葉にヤコウは虚を突かれたかのように目を見開く。そして、ゆるりと唇を歪めて自嘲する。
「そうですね。その通りです。おんなじですよ。……オレはあいつらに頼ってばかりで、何もできない。けど、だからこそ何かを返したい。これはその一つ、のつもりです」
『っ、部長……!』
ヴィヴィアは反論しようと声を張り上げる。
違う、頼ってばかりなのは、寄りかかってばかりなのは自分だ。ヤコウはいつも根気強くヴィヴィアの話を聞いてくれて、そばにいてくれた。この件だって、ヴィヴィアやハララが気分を害することを考慮して、何もかもを一人で片付けて悟られないようにしてくれた。ヤコウは誰も踏み躙ってはいない。同じなんかじゃない。
ヴィヴィアの訴えは、しかし誰にも届く事なく霧散した。
「……明日には通告が来るはずです。それまでに退去の準備などしたほうがよろしいのでは?」
ヤコウはそれだけを告げると書類を片付けて、研究者に背を向け立ち去っていく。ヴィヴィアも後を追う。
ヤコウはエレベーターの中で俯いていたが、降りる頃にはすっかり普段の彼の雰囲気を纏っていた。そのまま、何事もなかったかのように保安部室に戻る。厳重に鍵をかけた扉を開き、暖炉の中のヴィヴィアに声をかける。
「ただいまー。……あれ、ヴィヴィア、まだ寝てる? いや、幽体離脱中っぽいなこれは」
ヤコウがしゃがみ込み暖炉の中のヴィヴィアの頭を撫でた。ヴィヴィアは体の中に戻る。しばらく目を閉じてヤコウに撫でられていた。
「……部長」
「うおっびっくりした! なんだ、起きてたのか」
のそのそと起き上がるヴィヴィアにヤコウが笑いかける。
「幽体離脱してたんだろ? なんか面白いもんとかあった?」
「……」
ヴィヴィアは黙ったままじっとヤコウの顔を見上げる。やがて、ゆっくり口を開く。
「紅蓮の炎に触れる愚者は決まって身を焦がすけれど……そのぬくもりは何よりも心強く、導となり得るのですね……」
「……ごめん。オレ理系だから何のことだか……」
わざとだ。ここで自分が研究室での一連のことを知ったとヤコウにバレてしまえば、彼の配慮が、優しさが、水の泡になってしまう。
けれどどうしてもヤコウに伝えたかった。
空っぽの自分のために怒ってくれたことが嬉しかったと。
あなたに私は救われているんですよと。
だから、回りくどい言い方をした。
「天秤の片割れを灰にする炎で、ぬくもりを得ることを……部長は罪と咎めますか?」
「ええっと……そうだな……。ヴィヴィアが暖かいなら良いんじゃないか?」
「ふふふ……ありがとうございます……」
不思議そうな顔で首を捻るヤコウにヴィヴィアは微笑んだ。
炎の無い暖炉の中に、確かにぬくもりは存在していた。
◆終◆