ヴィルシーナと買い物に出かける話
「トレーナーさん、今度の週末、買い物に付き合ってもらっても良い?」
まだ寒さは残るものの、少しずつ春の訪れを感じるようになった二月末日。
トーレニング後、汗を拭いながら青毛の長い髪をたなびかせて担当ウマ娘のヴィルシーナは問いかけた。
俺は今日のトレーニングのデータをまとめながら、彼女に言葉を返す。
「構わないよ、新しいシューズでも見に行くのか?」
「いえ、昨日話に出た、ショッピングモールに行きたくて」
「新しくできたっていう……うん?」
ヴィルシーナの言葉に頷きながら、ふと疑問を抱いて首を傾げた。
そのショッピングモールは学園から少し離れた駅の近くにある。
若者向けの衣料や化粧品、雑貨などをメインに取り扱っているらしく、学園の一部生徒の間でも話題になっていた。
しかし、そこにはトレーニング用品の専門店などは存在していなかったはず。
それだったら彼女の妹であるヴィブロス、あるいは他の友人と一緒に行った方が良さそうだが。
あれこれ思考を巡らして意図を考えていると、ぽつりと小さな声が聞こえて来た。
「……ダメ、かしら?」
ヴィルシーナは不安そうな表情を浮かべ、耳を揺らしながら、じっとこちらを見つめていた。
……何をしているのやら。
いつも凛として、しっかりしている彼女が、どういう形であれ俺を頼ってくれているのだ。
担当トレーナーとして、その想いに応えてあげないでどうするのだ。
彼女に笑みを向けて、俺ははっきりと答えた。
「いや、俺で良ければ喜んでお供させてもらうよ」
「……ありがとう! 良かった、トレーナーさんにしか頼れなくて……!」
俺の言葉に、ヴィルシーナは両手を合わせて、安心したような笑顔を浮かべる。
その顔を見ているだけで、一緒に行くことにして良かったなと思えるくらいだった。
◇
「実は、シュヴァルとヴィブロスの誕生日が近くて、そのプレゼントを選びたかったのよ」
週末、俺とヴィルシーナはショッピングモールを共に歩いていた。
青いセーターに長めのスカート、薄い紫色の上着。
彼女の私服姿は可愛らしさと綺麗さを調和させ、それでいて上品な雰囲気を感じさせた。
歩く姿もまるでモデルのように姿勢正しく、『華やか』という言葉を体現しているよう。
「……トレーナーさん、どうしたの? ボーっとしているみたいだけど」
「えっ、ああ、ごめん! えっと、そう、初めて来た場所だから、ちょっとね?」
……見惚れていた、なんて言えるわけもない。
聡いヴィルシーナは俺の誤魔化しを見抜いているようで、ジトっと見つめている。
しかし突然、彼女は耳をピンと立てて、視線を別の方向へと動かした。
彼女の視線の先を追ってみれば、そこに女性服を専門に取り扱っているお店、
「あそこよ! あの子に似合そうな服を取り扱っているお店!」
ヴィルシーナは尻尾を振りながらそのお店を指差すと、早足で駆け出した。
普段は大人びて、落ち着ているけれど、ああいうところは年相応の女の子だ。
俺は微笑ましい気持ちになりながら、彼女の後を追いかけた。
そのお店は、男の俺にとってはもはや異世界とも呼べる場所であった。
周囲を見渡しても、可愛らしい女の子の服しか存在しない。
お客さんも店員さんも、俺以外は全て女性。
もはや匂いからして違う気がして、正直とても居心地が悪いというか、アウェイ感が凄い。
ふと、疑問が浮かぶ。
妹達の誕生日プレゼントを選ぶ目的だから、二人と一緒に行けない、というのはわかる。
しかし、俺がいたところであの二人へのプレゼントのアドバイスなど出来ないだろう。
同性の友人と連れて行った方が、よほどマシだったはずだ。
「これと、これも似合うかしらね、あっ、これも良いわね」
ヴィルシーナは俺の疑問を他所に、楽しそうにいくつかの服を見繕う。
ふりふりとした、可愛らしい、少女に似合うような衣服の数々。
彼女はそれを、俺に手渡した。
「じゃあトレーナーさん、これお願いね」
……これはアレか? 財布役ってことなのだろうか?
いや、ヴィルシーナはそんなことをする人物ではない、他の意図があるはずだ。
彼女は顎に手を当てて、ゆっくりと語り始める。
「ヴィブロスとは良く服の貸し借りをするから、なんとなく着た後のイメージが出来るのよ」
「……そうなんだ」
「でもシュヴァルとはそういうことはしないから、イメージが出来なくて」
「…………そうなんだ」
「ほら、シュヴァルはボーイッシュで、トレーナーさんは中性的じゃない?」
なんだろう、すごく嫌な予感。
確かに、俺は小さな頃は良く女の子みたいと言われていた。
流石に大人になってからはなくなったが、その代わり歳より大分下に見られることが多い。
残業の帰り道で危うく補導されかけるほどであった。
ヴィルシーナは、そっと俺の頭に向けて手を伸ばし、何かをかぶせる。
それは栗毛のショートヘアのウィッグ────シュヴァルグランの髪型に、良く似ていた。
「だから、トレーナーさんでシュヴァルに似合う服のイメージをさせて欲しいのよ」
心から信頼と、期待に満ち溢れた、穢れを知らない純真無垢な瞳と笑顔。
それを裏切ることなど、男として、担当トレーナーとして、出来るわけがなかった。
◇
その後、ヴィルシーナによる俺の試着は一時間ほど続いた。
途中から何故か目を輝かせてノリノリの店員も乱入してきて、色々な服を着るハメになった。
ヴィルシーナも店員さんも、とても褒めてくれたが、全く嬉しくない。
俺の感情全てが消え去りそうな頃、彼女は一つの結論を下した。
「────やっぱり、私が着て欲しい服を押し付けるのは、良くないわね」
ヴィルシーナの姉妹への愛が伝わる、素晴らしい結論だと思う。
出来ればもうちょっと早く気づいて欲しかった。
あまりに長居をして申し訳なかったので数点の小物を購入して、お店を出る。
彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、揶揄うように声をかけてきた。
「とっても可愛らしかったけど、買わなくて良かったのかしら?」
「……いらないから」
「ふふっ、私の我儘に付き合ってくれてありがとう……お詫びとお礼をさせてね?」
そう言うと、ヴィルシーナは両手を俺の右腕に絡ませた。
距離が近づいて、柑橘系の爽やかで、それでいて甘くて良い匂いがしてくる。
厚手の服からもわかる彼女の身体の感触で、腕が包まれて、思わずドキリと反応してしまう。
「さあ、行きましょう? オススメのお店があるのよ」
そうして彼女に連れて来られたのは、洋菓子屋さんであった。
お昼はとっくに過ぎているというのに、ずらりと行列が出来ている。
ヴィルシーナは最後尾に並びながら、懐かしむようにお店を眺めていた。
「ここの本店が実家の近くにあって、良く妹達と食べに行ったのよ、シュークリームが絶品で」
「へえ、こんな感じで並んでたの?」
「当時はまだあまり有名じゃなかったから……でも味は姉妹お墨付きよ?」
「あはは、そりゃミシュランよりも信用できそうだね」
彼女達の思い出話を聞きながら、列が進むのを待つ。
不思議と待ち時間はあっという間に過ぎ去って、俺達の番となった。
ヴィルシーナは慣れた口ぶりで、シュークリームを二つ注文する。
「……あっ、申し訳ありません! シュークリームはこれで完売でーすっ!」
店員さんが大きな声で、後ろの列のお客さんに声をかけた。
背後から聞こえて来る少しばかりの落胆の声。
俺とヴィルシーナは顔を見合わせて、運が良かったね、二人で笑みを浮かべた。
その直後であった。
「シュークリーム、もうないの……?」
足元、小学生になったばかりくらいの小さな女の子が、目を潤ませてそう呟く。
近くにいた母親は慌てて女の子を宥めるものの、俺達はその悲しそうな声をばっちり聞いてしまった。
ヴィルシーナは困った表情で、その女の子を見つめていた。
……心優しい彼女が、この状況を見て放っておけるわけがない。
その前に、俺が動くべきだろう。
「あっ、あいたたたたた!」
お腹を押さえて、あからさまな声を上げる。
ヴィルシーナはおろか、店員や、女の子すらもぽかんとした表情で目を丸くした。
正直凄い恥ずかしいのだが、ここは勢いで押し切ることにする。
「おっ、お腹が痛くて何も食べれそうにないなー! ちょっとトイレ行ってくる、俺の分はいらないから!」
「えっ、ちょっ、トレーナーさん!?」
困惑の声を出すヴィルシーナを置いて、俺は列を抜け出して、駆けていく。
そして少し離れたところにあるトイレ近くのベンチに腰かけて、ほっと一息。
……流石に大根役者が過ぎたと思うが、まあ仕方あるまい。
しばらく待ってから、ヴィルシーナに連絡を取るべく、スマホを取り出した。
その刹那、すぐ隣に勢い良く座る気配。
相手の顔を見なくとも、誰かはすぐにわかった。
「お・な・か、大丈夫かしら、トレーナーさん?」
「あっ、ああ、会計任せちゃってごめん、おかげさ────」
「ちなみにこの近くには女子トイレしかないのだけど」
「…………」
「全く、私も恥ずかしかったわよ」
「……すいません」
「後女の子から、お大事に、それとありがとう、だって」
どうやら俺の演技はヴィルシーナはおろか、あの女の子にも通用しなかったようだ。
思わず項垂れて、頭を抱えてしまう。
すると、鼻先にふわりと甘い砂糖とバニラの匂いが流れて来た。
顔を上げれば、ヴィルシーナが優しい笑みを浮かべて、シュークリームを差し出している。
「いや、それはキミが」
「そもそもトレーナーさんへのお礼とお詫びなんだから」
そう言って、ヴィルシーナは無理矢理俺の手にシュークリームを手渡した。
だが、俺一人で食べるわけにもいかない。
というわけでここは折衷案。
ぱっくりとシュークリームを二つに割って、その片割れを彼女に差し出す。
「じゃあ、半分こにして、一緒に食べよう」
ヴィルシーナはきょとんとした表情で二つになったシュークリームを見つめる。
やがて、ぷるぷると肩を震わせて、口元を手で押さえて、耐えきれないとばかり笑い始めた。
「ふっ、ふふっ、あははは……!」
「ヴィッ、ヴィルシーナ?」
「いっ、いえ、ちょっと懐かしくって、良く、あの子達にそうやってお菓子を分けていたから」
「そうだったんだ」
「私に姉や兄がいたら、こうしてもらってたのかもしれないわね」
やがて、俺達は自然と、全く同じタイミングで、シュークリームを食べ始めた。
香ばしくてサクサクの皮、それに包まれた、たっぷりと入っているカスタードクリーム。
濃厚でありながら、上品で、程良い甘さは口の中に幸せな感覚を広げてくれる。
なるほど、これは絶品だ。
思わず、ドンドン食べ進めてしまい、瞬く間に食べ切ってしまった。
「いや、美味しかった……あの女の子の気持ちもわかるよ、これは」
「そうね、買えなかった時はヴィブロスも────って、もう、トレーナーさんったら」
ヴィルシーナは呆れ顔をこちらに向けると、そっと手を伸ばした。
今度は頭ではなく、俺の顔の方に。
彼女の細くて、長くて、白くて、美しい指先が、優しく俺の口元を撫でた。
そして離れていく指先には、カスタードクリームがくっついている。
「ふふっ、口の周りにクリームつけるのは、ヴィブロスそっくりね……あむ」
「えっ」
「えっ? ……あっ」
恐らくは、妹達への行動が自然と出てしまったのだろう。
ヴィルシーナは指で掬い上げた、俺の口元にあったクリームを、そのまま自分の口に入れた。
直後、自身の行動に気づいて、かあっと顔を真っ赤に染め上げる。
彼女は、恥ずかしそうに目を逸らすと、小さく呟く。
「……トレーナーさんって不思議な人、兄みたいだったり、妹みたいだったり」
そしてヴィルシーナは身体を傾けて、こてんと、頭を俺の肩に乗せる。
頬を赤くしたまま、どこか嬉しそうな表情で、ちらりとこちらを見ながら、言葉を紡いだ。
「────まるで、家族みたいね」