ヴァージン・ロードと未亡人

ヴァージン・ロードと未亡人



 ──水星には魔女がいる。


 ♦︎♦︎♦︎


「……はい、もう大丈夫ですよ!」

「ありがとう、スレッタ」


 最後に残っていた包帯を解き、赤い髪の女性がにこりと笑う。その笑みに少し頬を赤らめつつ、男は礼を言った。

 いえいえ、元気になってよかったです、と笑う女性──スレッタの長い赤髪が、さらりと風に靡いた。


 男はベネリットグループ傘下の企業の上役であった。若いながらもその優秀さで上へ上へと昇っていき、ゆくゆくは社長の座も夢ではないのでは、と囁かれていた。

 しかし、その出世を妬み、男を排除しようとする者もいた。男は宇宙船で出張していたが、その宇宙船が謎の誤作動を起こして遭難したのだ。

 激しい磁気嵐に巻き込まれ、男は辺境の地──水星に墜落した。辺境と呼ばれる水星の中でも、さらに僻地であろう場所。人の気配の一切ないような、見渡す限りごつごつとした岩肌が剥き出しになっている場所に墜落した宇宙船は、なんとか男の命だけは守ってくれたものの、二度と動くことはできないような無惨な姿になってしまった。

 負傷し碌に動くこともできなくなった男は、俺はこんなところで死んでしまうのかと絶望した。ふざけるなと天を呪い、地に唾を吐き、一頻り喚き散らした後、力尽きて目を閉じていた。


「──か!?──ですか!?」

 

 ゆらゆらと心地よい泥濘の中のような眠りを妨げたのは、若い女の声だった。何故こんなところで若い女の声が聞こえるのだ、いよいよ俺もおしまいだと思い無視をしても、声はどんどんと近付いて来、やがて男の体をぐいと持ち上げた。

 ここまでされて、男は漸くこれが夢でも幻でもないと気付いた。しかしだとすればこの女は何者だ。まさか、この女は噂に聞く、水星に住む魔女なのではないか。

 水星には恐ろしい魔女が住んでいるというのは、宇宙では有名な話である。男はそんなもの半信半疑であったが、しかしこんな地に居る女などまともであるわけがない。

 男は急に恐ろしくなった。この女は俺をどうする気なのだ。まさか家に連れて帰り、恐ろしい魔術の生贄にでもするつもりではあるまいか。男は抵抗しようとしたが、身体が動かない。それでもなんとかして目を開き、悍ましいであろう魔女の姿を見んとした。


「──大丈夫、です!必ず、助けますから!」


 男の瞳に映ったのは、長い赤毛と黒色のドレス纏った、美しい若い女であった。


 女はスレッタと名乗った。

 スレッタは男を連れ帰ったが、それは決して魔術の生贄にするためなどではなかった。スレッタは甲斐甲斐しく男を看病し、男の宇宙船も修復してくれた。まともに動くこともできない男に手ずから食事を口に運んで食べさせ、水を飲ませ、傷の手当てをし、男の恢復を我が事のように喜び、無邪気な笑みを見せた。

 男は瞬く間にスレッタに心奪われた。

 これほど純粋で優しい女に、男は生まれて初めて出会った。最初魔女と疎んだのが罪悪感に苦しむほど、スレッタは男のために身を砕いてくれた。男の地位も身分も知らないにも関わらず、これほどの無償の好意を向けてくれるスレッタに、男はあっという間に夢中になった。

 またスレッタは美しい女でもあった。特徴的な丸い眉は可愛らしい印象を与え、けれどその容貌は整った美を感じさせた。しかして決して近寄り難い美しさではなく、ころころと変わる表情は親しみを感じさせる。普段は可愛く無邪気な少女のようであるのに、ふとした瞬間に美しい女の色を魅せてくる。

 男はスレッタをこの地から連れ出したいと思った。この女を連れ帰り、自分の妻にしたいと思ったのだ。

 スレッタはこんな辺境の地で、忌み嫌われる魔女のように暮らすような人間ではない。もっと明るい、光り輝く舞台に連れ出してやろうと思ったのだ。男は自分にならそれができるという自負があった。

 またスレッタも男を憎からず想っているはずだという自信もあった。そうでなければいくら怪我をしていたとはいえ、若い女が男を家に連れ帰り、ここまで献身的な看病をするはずがない。きっとスレッタも自分に好意を持っているのだ。男は半ば確信していた。


 けれど男には一つ気になることがあった。常にスレッタの側に侍っている、包帯男の存在である。

 全身を包帯でぐるぐるに巻き、白い手袋をしたその包帯男は、不気味なまでに常にスレッタの側にいた。またひどく無口で無愛想で、男は暫くの間こいつは口がきけないのだろうと思っていた。

 包帯男は滅多に喋らないが、スレッタとは意思の疎通ができているようだった。何も言わない不気味な包帯男に、それでもスレッタは優しく接していた。包帯男はそれをいいことに、まるでそれが当然なのだと言わんばかりの態度でスレッタの隣に立っている。

 男は内心ひどく嫉妬したが、同時に包帯男を見下してもいた。

 こんな場所に住んでいる全身を包帯で巻いた喋らぬ男など、どうせ碌な人間ではあるまい。地位も名誉も身分も無いに決まっている。更に包帯男は喋りもしない。色良い言葉など吐きもせず、スレッタの好意に胡座をかいているのだろう。そんな人間に自分が男として負けるわけがない。

 スレッタは必ず自分を選ぶ。男にはその自信があった。


 男が回復し、また宇宙船も簡易な宇宙ポットとして生まれ変わった頃、男はいよいよスレッタをここから連れ出そうと決意した。昼間別れと礼を告げれば、スレッタはとても嬉しそうに笑い、けれど少し寂しげにもしていた。それに男は得意になった。やはりスレッタも自分を好いているのだ。

 男は夜を待ち、スレッタの寝室へと向かった。何故か扉は少し開いており、隙間から部屋の明かりが漏れていた。

 自分は兎も角、あんな不気味な包帯男がいるのに不用心な、と男が眉を顰めて近付いた時、部屋から微かに声が洩れ聞こえた。

 それはスレッタの喘ぎ声であった。

 男はひどく動揺した。聞いたこともないような色艶を含んだスレッタの声は、耳にしただけで男の劣情を煽り立てた。男は自身が一気に熱を持つのを感じた。

 もしやスレッタは一人で慰めているのか。ならば──そう考えて隙間を覗き込み、男は息を止めた。


 寝室ではスレッタが包帯男の腕の中で頬を赤らめて口付けを交わしていた。


「あ、ぁン…んぅ、だ、だめ、です、あの人に、聞こえちゃいます……」


 スレッタは快楽に身悶えるように身体をくねらせながら、自身を抱きすくめている包帯男に囁いた。けれど静止するような台詞とは裏腹にその頬は熟れて色付き、その瞳はとろりと情欲に溶けている。説得力など欠片もない。

 包帯男は形だけの静止をするスレッタを黙らせるように何度もその唇を奪った。最初は包帯男の胸を押し除けるようにしていたスレッタの手は、いつの間にか包帯男の服に縋り付いていた。


「ん、ぁ、ふ……」


 スレッタは陶酔しきった顔で包帯男と口付けを交わしている。舌を伸ばして包帯男のそれと絡み合わせ、たらたらと唾液が垂れ落ちて胸元を汚している。

 包帯男は我が物顔でスレッタの肢体を撫で回していた。美しい黒色のドレスは大きく乱れ、片胸はぼろりと露出して、それを包帯男の手袋をしていない手が好き勝手に揉みしだいている。それにスレッタは身体をびくびくと震わせて感じ入っていた。


「あっ……」


 不意に包帯男が唇を離した。スレッタはそれにひどく切なそうな顔をしたが、包帯男は知らぬふりでスレッタの耳元で何事か囁き、舌を伸ばしてその中を犯した。赤い髪の中から覗く耳は見る見るうちに包帯男の唾液で汚れされていくのに、スレッタはやはりうっとりとした様子である。一頻りスレッタの耳を味わった後、包帯男はがぶりとその耳朶に噛み付いた。スレッタはぶるりと身体を震わせたかと思うと、くたりと弛緩し包帯男にしなだれかかった。


「ぁっ、んう、んん……」


 はあはあと甘ったるく息を吐くスレッタの頬を包んで上向かせると、包帯男はまたもやその唇を貪った。スレッタは今度はその細腕を包帯男の首筋に巻きつけ、全身を妖しくくねらせながら包帯男に絡みついた。


「あ、はぅ、あぁ……」


 スレッタは悩ましげな声を上げながら、包帯男と絡み合っている。長い黒色のドレスは大胆に捲れ上がり、その太腿が露出していた。包帯男はその脚を撫で上げると、その奥に手を差し込んだ。

 スレッタはびくりと一際大きく身体を震わせて、包帯男を抱き寄せると、耐えかねたように囁いた。


「あな、た……」


 その瞬間、包帯男の緑色の瞳が男を捉えた。ぎらぎらと輝くそれは夜闇の鴉のようであった。

 包帯男の口が動いた。


 ──で て い け 。


 男は一歩後退りすると無我夢中で駆け出し、修復された宇宙ポットに飛び乗った。震える手でがちゃがちゃと無闇矢鱈に操縦しながら、男は逃げるように水星を後にした。

 男は二度と水星を訪れることもなく、またその話をすることもなかった。


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