■■■■■■ヴァンデンライヒ
カワキのスレ主見えざる帝国
————白亜の城を中心に広がった純白の城下町。異国情緒に溢れた美しい街並みは御伽噺に描かれる都市のようだ。思わず感嘆の溜息が溢れそうな美しい街を満たす明るい喧騒は治安の良さを物語っている。
そんな観光地のような西洋風の街を往く人影が二つ————
「まずは情報収集からですね、先輩!」
「そうだね、マシュ」
意気込んだ声で拳を握るのは、マシュと呼ばれた少女。黒い甲冑に身を包んだ少女が足を進める度に、敷き詰められた石畳とヒールのついた黒い鉄靴がカツカツと硬い音を立てる。
先輩と呼ばれたもう一人が優しげな笑顔でマシュの言葉に頷いて、活気付いた街に溢れる会話に耳を傾けた。
二人がこの街にやって来た目的は、残念ながら観光ではない。二人は人類史に影響を及ぼす本来は存在しないはずの過去——特異点を修正する為、カルデアからこの街へとやって来たのだ。
特異点の突然発生は、悲しいかな、よくあることだった。慣れた様子で情報収集にあたる二人の足は、自然と人の多く集まる場所——酒場や食堂を探して動く。
さまざまな時代、さまざまな街を訪れて来た経験からか、何となしに歩を進めても二人は目的の酒場付近に辿り着けた。ここで聞き込み調査でも……そう思った矢先、背後から呼び止められ、足が止まる。
「そこの二人、少し話を良いかな」
「……え? あ、はい。何でしょう?」
きょとん、とした表情で瞬いたマシュが振り返った先に立つのは一人の女——年頃は少女のように見えるが、街の憲兵か軍人だろうか? 仕立ての良い軍服と軍帽から職業を推測する。
上質で手入れが行き届いた身なりに艶のある絹糸のような黒髪、神秘的な蒼い瞳は作り物のようだ。歴史を感じさせる街並みと調和する白の衣装に、チープな書類用のクリップで髪を纏めた姿がアンバランスで目を惹いた。
「君達、何をしにここへ? これからどこに行こうとしていたのか訊ねても?」
「えっ……あの……」
ぼうっと少女の顔を眺めていたマシュが淡々とした問い掛けに困惑を浮かべる。
————これはもしや……と、二人は顔を見合わせて内緒話を囁くように小さな声で相談を交わした。
「せ……先輩! これは所謂、職務質問というやつでは……」
「うーん、どこか怪しく見えたのかな」
「どうしましょう?」
こそこそと会話を交わす二人の姿を暫しの間見つめて、怪訝そうな顔で首を傾げた少女は無機質な声で言葉を紡いだ。
「…………回答を拒否する、ということで良い?」
「い、いえっ! 私たちは決して怪しい者ではなく!」
「自分達はカルデアという組織の者です。この街に来たのは特異点の修復という任務の為で……」
「……カルデア……特異点…………」
意味がわからない突然の話に、困惑するかと思われた少女は、予想に反して冷静な様子だった。考えるように顎に指を当てて斜めに視線を落とす。
瞬きを一つ。口元にあった手を降ろし、下がっていた視線が上を向く。ガラス玉のようだった蒼い瞳が好奇心に輝き、くるりと二人に向けられた。
「興味があるな。もう少し詳しい話を聞きたいんだけど、時間はあるかな?」
◇◇◇
「————……と、いう訳です」
「へえ。なかなか面白い話だったよ。良いだろう、君達の話を信じよう」
場所を移し、近くの酒場に入った一行はテーブルを囲んで席に着いていた。
テーブルを挟んだ向かい側に座る少女はマシュや自分とそう年齢は変わらないように見えたが、酒が呑める歳だったらしい。ここにはよく来るのだろうか。慣れた様子で注文すると運ばれて来た酒を片手に自分達の話を聞いてくれた。
まだ太陽も高いうちから軍服で飲酒とは真面目そうに見えて人は見かけによらないものだ。何はともあれ、自分達の話を信用してもらえて良かった……と、藤丸が安堵の笑みを浮かべると少女が口を開いた。
「もっと君達の旅の話が知りたいな。あぁ勿論、可能な範囲でお礼はするよ」
「あの……それならこの国の話を聞かせて貰えませんか? 何か特異点修復に繋がる手掛かりが見つかるかも……」
「『見えざる帝国』の話? 随分アバウトな質問だ。具体的には?」
————旅の話のかわりに、『見えざる帝国』について教えて欲しい。
そう話を切り出すと、少女は無表情の中に疑問の色を浮かべた。少女の言う通り、質問が大雑把過ぎたかもしれない。
藤丸が、何から訊ねたものか……と、頭を悩ませていると、藤丸の隣に座った頼れる後輩が笑顔で人差し指を立てて、こちらを伺った。
「この国——『見えざる帝国』は帝国……ということは、皇帝陛下がいらっしゃるんですよね? まずはその方に関するお話を訊くのはどうでしょう?」
「確かに……これまでの特異点でも、国を治める王様が特異点の主をしているケースが多かったもんね」
————さすがマシュ、名案だ。
パッと顔を輝かせ、気を取り直して質問しようと、顔を上げて向かいで杯を傾ける少女を見た藤丸は、少女が不思議そうに首を傾げて言った言葉に、中途半端な笑顔で固まった。
「…………? どっちを訊きたいの?」
「はい?」
『どっち』とは一体、何と何を指しての言葉か——マシュと視線を交わし、疑問符を浮かべていると、こちらが質問の意図を理解していないことに気付いた少女が少し間をあけて、別の言葉で問い直す。
「皇帝についての話か、今この国を治めている人間についての話か——どっちの話を訊きたいの?」
「皇帝陛下が国を治めているのではないのですか?」
「ああ。皇帝は居るだけだよ。政治がどうとか、国がどうとか……そういうことは別の人間がやってる」
「どうしてそんな体制に?」
目を丸くしたマシュの問いかけに少女は「そうだな……」と目を伏せて沈黙する。言い辛いことを訊かれたというより、説明の為に情報を整理しているようだった。
「今の皇帝に即位の予定はなかったから、かな。突然先帝陛下が崩御されて……何を思ったか、ずっと補佐を務めていた陛下の半身——ハッシュヴァルトが、今の皇帝を玉座につかせたんだ」
「……先帝の崩御……。あ……もしかして『今この国を治めている人間』って……」
「ああ。ユーグラム・ハッシュヴァルト——見えざる帝国皇帝補佐にして先帝陛下が『第一の息子』と呼んだ陛下の半身……彼が事実上、この国を治める統治者だ」
「『第一の息子』……ですか? それほど先帝からの信頼が厚い皇子なら、その方が皇帝になることもできたのでは……」
マシュの疑問はもっともだ。自分もそう思う、と少女に視線を送る。一瞬、訝しげな顔をした少女は「あぁ、失念していた」と先帝と国民の関係について語った。
「ハッシュヴァルトは皇子じゃない。皇子は別人だよ。だけど、『見えざる帝国』は滅却師の国——先帝陛下は全ての滅却師の父だから国民はみんな陛下の子なんだ」
「ぜっ……全員!?」
ぎょっと目を剥いた藤丸達に少女は国家の成り立ちや、種族間の事情、少し前まで『見えざる帝国』は戦時下だったこと……この国を知る上で基本的な知識について、簡単に説明してくれた。
話を戻して、マシュが再び問い掛ける。
「それでは今の皇帝陛下は先帝の皇子で、先帝の補佐官だったハッシュヴァルトさんは今は皇子を補佐している……ということでしょうか?」
「いいや? 皇帝は皇子でもなんでもないよ。そもそも性別も違うしね。皇子は先帝の崩御と共に仲間を連れて姿を消した」
「————えっ!? 皇子が出奔……!? それに皇帝陛下は女性の方!?」
思わぬ話が次々に飛び出してきて、飲み物を吹きこぼしそうになる。
先帝の崩御や実権を握る人物が特異点の成立に深く関係していると考えていたが、どうも他にも複雑に問題が絡み合っているようだった。
少女の手にした杯に酒が注ぎ足される。なみなみと注がれた杯の中の酒に、ありし日を思い出して遠くを見るような蒼い瞳が映り込んだ。
「皇子に限った話じゃなく、本当はあの席に相応しい人間は皇帝以外に沢山居たんだけれどね」
「その方々は……」
「陛下の突然の崩御で国が乱れた時、殆どが居なくなってしまった。陛下には妹君も居るそうだけど、そちらも行方不明。今もハッシュヴァルトが指揮をとり捜索中だ」
「————……貴女は……その……今の皇帝陛下に不満があるのですか? 随分と事情に詳しいようですが……」
あまり表情が動かない人形のような少女の顔を覗き込むように見上げて、マシュが遠慮がちに問い掛けた。
少女は会話の中でも度々、先帝を指して『陛下』と呼んでいる。もしや、今の皇帝を良く思っていないのではないか——そう考えたマシュの言葉に少女は首を傾げた。
「うん? ……どうだろう。『不満がある』というより、単純に『向いていない』と思う……と言い表すのが正しいかな。事情に詳しいのは私も普段城に居るからだよ」
口振りから察するに、テーブルの向かい側で酒を煽るこの少女はそれなりの役職にいるらしかった。ちぐはぐなところはあるが身なりの良さを思えば納得である。
藤丸は皇帝についてもっと詳しく訊ねることにした。
「さっき『皇帝は皇子でもなんでもない』って言ってましたよね? なら、補佐官の人はどうしてその人を皇帝に?」
「さあ? 私が訊きたいくらいだよ。私は皇子達が姿を消した時、ハッシュヴァルトが次の皇帝かと思っていたからね。きっと同じことを考えていた者は多いと思うよ」
「あの……今更ですが、こんな大っぴらに皇帝陛下について批判的な話をして大丈夫なんですか?」
あまりに当然のことのように、玉座には今の皇帝とは違う人物が座るものと考えていたと語る少女に、マシュが不安げな表情で声のトーンを落として指摘する。
藤丸もマシュの指摘を聞いてからハッと気が付いた。こんな話を誰かに聞かれたら少女の身が危ないんじゃないか……? と慌てて少女に目をやると、少女は杯から口を離して「問題ないよ。この国の人間ならこれくらいのことは誰でも知ってる」と、無表情のまま賑わう酒場に視線を向けた。
「この国を統治しているのが皇帝ではなくハッシュヴァルトだということは、周知の事実だ。皇帝は国民の前に姿も表さない。彼らは皇帝の顔すら知らないだろう。気にすることは無いよ」
少女は一旦言葉を区切って酒で喉を潤すと視線を戻して「それに」と話を続けた。
「今の皇帝が『皇帝の座に相応しくない』と語る者は城でも大勢居る。特に先帝陛下の親衛隊なんかはその傾向が強くて、正面から文句をぶつけるくらいだ」
少女は諍いの場を目撃したことでもあるのだろうか。どこか気怠げに溜息交じりの言葉を吐き出す。
難しい立場に立たされているらしい皇帝のことを思って、マシュと藤丸はテーブルに視線を落として眉を下げた。
「そうなんですか……」
「皇帝の話はこれくらいで良いかな? 次は君達の番だ——君達が乗り越えて来た旅の話を是非聞かせてほしい」
空になった杯をことんとテーブルの上に置いて、好奇心の揺らめく蒼い双眸が藤丸とマシュを射抜いた。酒場の喧騒の中でも不思議とよく通る声だった。
物静かな佇まいも、柔らかな口調も……決して威圧的なものではなかったが、少女の言葉にどこか逆らい難いものを感じて、頷いた二人はこれまでの旅路を語った。
「————……あぁ、もうこんな時間か……もっと話を聞きたいけれど、そろそろ城に戻らないと」
キリの良いところで、酒場の窓から外を見上げた少女が名残惜しそうにそう呟く。立ちあがろうとしたところで、良いことを思いついたというように、「あ」と小さく唇を開いてこちらに目を向けた。
何だろう? と目をぱちくりさせる藤丸とマシュに少女はある提案を持ちかける。
「良ければまた今度、話の続きを聞かせてくれないかな? かわりに、君達が私に話をしてくれるうちは、私に可能な範囲で君達をこの国では客人として扱うように話を通そう」
「客人……ですか?」
「ああ。脅すような形になるけど、君達はここでは異物だ。不審に思った騎士団員が君達を排除しようとするかもしれない」
少女の言葉に、そういえば……と二人は酒場付近で少女に声をかけられた時のことを思い出す。あの時、少女は一切の迷いもなく、藤丸達に『何をしにここへ?』と、外から来た者だと判断した言葉を掛けた。
自分達を異物と判断した理由については未だ訊けていない。藤丸と目を見合わせたマシュが、静かに息を吐いて少女を見た。
「……あの時、どうして私達のことを、外から訪れた者だと見抜かれたのですか?」
「…………視ればわかる、とだけ」
詳しい理由を語るつもりはないようだ。凪いだ水面のような瞳が不思議に煌めいて見えた。
少女は提案を続ける。
「君達にとっても悪くない提案だと思う。勿論、君達が望むなら、また今日みたいに情報と引き換えでも構わない」
「…………わかりました」
「交渉成立だ。それじゃあ、また会う時を楽しみにしているよ」
そう言って席を立った少女が酒場の外へ向かう途中でふと足を止めた。振り向いた少女と視線が交差する。
「あぁ、そうだ。言い忘れていた」
出入口に差し込む陽光が雲に翳って少女の顔に影を落とす。目を細めて笑った少女の蒼い瞳が影に浮かび上がって見えた。
「————『見えざる帝国』へようこそ、異邦の旅人。君達の訪れを歓迎するよ」
◇◇◇
音も立てず靴先から手すりに降り立った少女はバルコニーの大きな窓の前に立つ。人気のない場所を選んで戻った少女を城に侵入した狼藉者と勘違いする目撃者は周囲には居ない。
軽く窓を押すと、静寂に満ちた白亜の城はするりと窓を開けて少女を迎え入れる。少女が自室へ歩みを進めようとしたところで、廊下の反対側から声が掛けられた。
「————どこに行っていた? カワキ」
「………………街へ」
面倒な男に捕まった……と、整った顔を歪めた少女——カワキが半目で傍へと歩み寄った男を見上げる。
鍛え上げられた長身をカワキと同じ軍服で包んだ長い金髪の男は、端正な顔立ちの眉間に深い皺を刻み込んでいた。カワキを見下ろす緑の瞳には、心配と咎めるような色が浮かぶ。
「共もつけずに出歩くな。お前の身に何かあったらどうする」
「その時は下手人を騎士団に誘ってみると良い。きっと素晴らしい戦力になる。……あぁ、身内の犯行の方が可能性は高いか」
「…………馬鹿なことを言うな」
「わかっているくせに」
カワキの言葉を黙殺して男が手に持っていた黒い布を差し出す。受け取ったカワキはそれを手に持ったまま、眼前に立つ男の顔をじっと見つめた。
酒場で交わした会話を思い出してカワキが男に問い掛ける。
「君、どうして私を選んだの?」
「何の話だ」
「さっき異邦から来た旅人と話をしてね。気になったんだ」
「『異邦から来た旅人』……だと? どういうことだ。それは侵入者に遭遇した、ということか?」
「今は私の客人だ。彼らが私に愉快な話を聞かせてくれる間はね」
いけしゃあしゃあと機嫌良く言い放ったカワキの言葉に、男の眉間に刻まれた皺がまた一段深くなった。こういう時のカワキは、言い出したら制止が効かない。幼い頃から付き合いがある男は、そのことをよく知っていた。
————後ほど、その『異邦の旅人』とやらの調査に人を向かわせなくては……
降って沸いた案件への対処を考え、男が黙り込んでいると、カワキはもう一度、男と視線を合わせて問い掛けた。
「それで、どうして私を選んだの?」
「………………」
「私が居なくても国は回る。だけど、君が居なければこの国はとっくに空中分解していただろう。あの椅子が必要としている者は私じゃなくて君だ」
カワキが城に戻ってからずっと、無表情を保っていた男が僅かに顔を顰めた。苦々しいものが浮かぶ顔で、何とか言葉を吐き出す。
「……私は皇帝補佐だ——あの場所に座る資格は、私にはない」
「私にも無いよ。あれは『陛下』の為の席なんだから。まあ良い。私は力を得られるならそれで構わないから」
溜息をついたカワキは、手に持っていた布をバサリと広げて背に回した。それは、カワキの髪と同じ闇色をした外套——この国でそれを身につけることが許される者の存在は限られている。
被っていた軍帽を一度脱いで髪を纏めていたクリップを外すと、解けた長い黒髪は重力に従って散るように肩に流れた。帽子を被り直したカワキが、くるりと向かう先を変えて歩み出す——向かう方角にあるのは玉座の間だ。
カワキが男に言葉を掛けた。
「————行こう、ハッシュヴァルト」
「……了解しました。————陛下」
設定
陛下の身に何かあった特異点で、カワキが皇帝になってハッシュヴァルトが実質的に国を運営する共同統治(負担 0:10)をしている。カワキまで順番が回ってくるということは、恐らく他の適任者は軒並み泥舟を脱出したものと思われる。
カワキ
多分、陛下が居なくなって「自由だー!」と皆が散り散りになる中ぼーっとしてたら逃げ遅れてハッシュヴァルトに捕獲されたんだと思う。皇帝やるメリットがないのでハッシュヴァルトが「与える者パワーで力をやるから皇帝になれ」とか説得したものと推測される。城にいると、「皇帝らしくしろ。馬鹿みたいな酒の飲み方は下に示しがつかないから止せ」とか言われてウヘェになる的な理由で街に居た。人理修復の旅とサーヴァントの話に興味津々。国家滅亡も全然気にしてない。マジで向いてないと思ってるだけで自己肯定感は高いし、「君が皇帝になって、私はこれまで通りの兵士で良いんじゃないか?」くらいの気持ちでハッシュヴァルトを追い詰める。皇帝やる時は陛下に倣って髪を下ろしている。
ハッシュヴァルト
陛下に先立たれた上に息子も含めた騎士団の大量離職、更には霊王宮に囚われていた妹様まで行方がわからなくなったと知ってトチ狂った結果、誰にもついて行かずに国に残ってたカワキを見つけて、「そうだ、カワキを皇帝にしよう」とイカれた結論に辿り着いた。多分、皇帝=最優先される人=大事にされるしどこにも行かない、的な論理の飛躍でもあったんじゃないかと推測される。陛下と違い聖別がないからカワキへの強制力が足りてない。カワキの質問には「カワキがこの国に自分は要らない」と思っていると誤解してそう。心労と過労が限界突破しそうなアグラヴェイン枠。