ヴァルキューレモブ[キリノの友達]

ヴァルキューレモブ[キリノの友達]


目次 前話


「……また、こんなに残してる」

 

すっかり冷めてしまった料理を前に、私はため息を漏らす。

ほとんど手を付けられていないそれは、キリノとフブキの2人に出された食事の残りだ。

一時的にとはいえ留置所に入れることとなった彼女たちのために運ばれた料理だったが、その役目は果たせていない。

 

「キリノ……フブキもだけどちゃんと食べなよ。好き嫌い言ってなくてさ」

 

「こんな不味いもの食べられませんよ!」

 

「む~り~……」

 

我慢できずに声を掛けたものの、返答は芳しくない。

フブキは動きたくないのかこちらを見もしない。

対してキリノはまだ元気があるものの、食事が不味いと言って手を付けようとしない。

 

「もっとちゃんとしたの持ってきてくださいよ! もっと甘い、『砂糖』の入ったやつを!」

 

苛立たし気にそう言ってキリノはスプーンを投げ捨て……ってちょっと!?

うっそだろ、壁にスプーン刺さったんだが!?

まじかよ、砂糖中毒ってこんなんなるの……?

そりゃあカンナ局長も警戒するわ……。

キリノとフブキが留置所に入れられている理由、キヴォトスに静かに蔓延し始めている『砂漠の砂糖』の中毒に侵されたが故の隔離。

私は未だ、それをどこかで甘く見ていたのかもしれない。

 

必死こいて壁に刺さったスプーンを引き抜いて回収する。

この穴どうしよ……ポスター貼って誤魔化せないかな……。

スプーンも次から柔らかいプラスチックに変えないといかんな。

 

「あと次からはメニュー変えてみるか……」

 

もちろんキリノの要望通り『砂糖』を入れるなんてことはしない。

それでもなにか食べられるものがあるかもしれないからだ。

キリノたちが残した冷めた料理を一口口に運ぶ。

ヴァルキューレの食堂で出されるいつものものだ。

高級料理なんかではないジャンクな料理だが、それゆえに分かりやすく濃い味付けになっている。

 

「ほんっと、悪質だよ『砂漠の砂糖』ってやつは」

 

2人が食事を摂らないのは自らの主張のためにハンスト――ハンガーストライキ――を行っているから、などではない。

食べられないからだ。

『砂漠の砂糖』という麻薬が齎す副作用の味覚障害によって、『砂糖』の入っていない食事は全て味がしないものとして処理されるらしい。

砂を噛んでいるようです、とキリノが最初にこぼしていた。

だから食事が摂れない。

普通の麻薬なら、中毒者は食事と麻薬摂取は分けられる。

だが『砂漠の砂糖』は砂糖として使用できることで、食事と麻薬摂取がイコールになってしまっている。

三大欲求である食欲に密接に絡むことで、継続した麻薬摂取から逃れられなくなっている。

それはなんとも悪質としか言いようがない。

2人は空腹を感じているし、食べたいと思っている。

それでも舌が受け付けず飲み込めないキリノたちは、頬がこけて目に見えて痩せてきていた。

特にキリノは眼がギラついていて、あの眼に正面から見たら射竦められそうだ。

 

「早く良くなって欲しいなぁ……」

 

同じ生活安全局の同僚として、2人のことはよく知っている。

フブキはデスクワーク中心で怠けがちだが、怠けるために手際は誰よりも良い。

キリノは同じ現場で動く立場だから、どちらかといえば仲が良いのはキリノの方だろう。

だからキリノが普段から努力していることも、警備局を希望していることも知っている。

その努力が実ったことも、希望が叶う間近だったことも知っている。

生活安全局の所属でなくなるのは少し寂しいけれど、快く送り出してやりたいと思っているんだ。

 

「麻薬なんかに負けるなよ。あんたは私たちのエースなんだから」

 

キリノならできると信じて激励を贈る。

だって私たちは友達なんだから。

 

 

 

警報が鳴り響いている。

それが意味することが理解できないはずもない。

 

「どうして……っ」

 

「私語は後にしろ。動けるものは付いて来い!」

 

即座に指示を下したカンナ局長の指揮下に入る。

私の後ろにも所属がバラバラだが手が空いていた局員が続いていた。

変形した鉄格子、誰もいなくなったその場所を一瞥して、血の跡に気付く。

点々と落ちるそれを辿ると、建物の奥にある押収室に向かっていた。

その押収室は摘発した店から押収した『砂糖』が収められている場所だった。

臭いが中毒に影響を及ぼすかもしれないから人が配置できなくて、代わりに破られないように何重にも鍵を掛けていたはずだが、今はその役割を果たせていなかった。

強引に力でこじ開けたと分かる、扉は蝶番ごと壊されて隅に放り投げられていた。

その先にいたのは、警報が鳴り響く中気にせずに『砂糖』を貪るように食べていたのは、私のよくしるキリノとフブキの2人だった。

 

「どうして……」

 

私の疑問に答えてくれる人はいない。

キリノはカンナの怒りと叱責の言葉にばかり眼が行っている。

フブキは『砂糖』の山に顔を埋めたまま動かない。

違う違うキリノ、そんなことを今言ってる場合じゃない。

私たちは生活安全局だぞ、まずは味方の安全確保だろうが。

どうして怪我をしたフブキを気にしない?

それも『砂糖』中毒のせいなのか?

 

「傍にいる友人のことすら見えていない今の有様で、生活安全局の仕事が務まるはずもない。認める訳にはいかん」

 

愕然とした様子のキリノは、震えたまま動かない。

今の隙に、とハンドサインで後ろにいた少女たちにフブキを回収するように指示を飛ばす。

両腕がぐちゃぐちゃになっているフブキに目を顰めつつ、数人がかりで少女たちはフブキを運んで行った。

 

「キリノ、今のお前は正気じゃない。牢に戻って頭を冷やせ」

 

そうだ、戻るべきだ。

働きたいなら中毒から回復したら好きなだけ連れ回してやるから、今は大人しく――

 

「……いや、です」

 

どうして素直に頷いてくれない!?

抵抗の意思ありと見做して訓練通りに銃を構えたとき、腕に何かがぶつかって銃が手から零れ落ちる。

なんでただの飴玉がスーパーボールみたいに跳ねて的確にこっちの腕狙ってくるんだ?

訳が分からないぞ!?

私の手から吹き飛んだ第3号ヴァルキューレ制式拳銃が、空中で吸い込まれるようにキリノの手に収まる。

 

「おい、キリノっ!」

 

「来ないでください!」

 

止めるように声を荒げたものの、キリノは一歩踏み出した私たちを牽制するように銃を放った。

顔を押さえる。

視界外から頬を撫でるように掠めて飛んで行った跳弾が、数瞬遅れて否応なく撃たれたのだと実感させてくる。

4発使って作られた銃弾の跳弾は、どこから飛んでくるか分からない恐怖で私たちの動きを封じて檻とした。

 

「……練習、したんです」

 

ポツリとこぼすように、震える声でキリノが応えた。

 

「昔から警備局に入るのに憧れていました」

 

知っている。

 

「でも銃の腕が下手だからって諦めなくちゃいけなくて、生活安全局でもヴァルキューレの一員として頑張ろうって、そう思っていました」

 

知っている。

 

「でも合間を見て練習して、練習して、ずっとずっとずっと練習して来たんです! なのに……こんな終わりは、あんまりじゃあないですかぁ……」

 

知っているよキリノ。

お前の頑張りはみんなが知っている。

カンナ局長だって、コノカ副局長だって、私だって知っているんだ。

だからこれで終わりなんかじゃない。

 

「キリ……っ!?」

 

鮮血が散る。

最後の一発が撃たれたのだと、遅れて分かった。

のけ反るようにして倒れたカンナ局長の顔から、赤い血が流れていく。

皮膚を裂いて噴き出した血が一番近くにいた私の顔に掛かり、漂っていた甘い『砂糖』の香りを、むせ返るような鉄錆の臭いで上書きしていく。

ヘイローは、消えていた。

 

「え……?」

 

「あ」

 

「局長? え? ヘイローは?」

 

「ああ、あ」

 

この状況に、誰も彼もが動揺を隠せない。

あのカンナ局長が、『狂犬』カンナが、たった一発の銃弾で倒れた。

目を疑うしかない光景だ。

ヘイローの消えたカンナの姿が、私たちに最悪を予想させた。

 

「……ひ、ひとごろし」

 

「あああああああああああああああああ!!」

 

誰かが思わず零した言葉を掻き消すように、キリノが絶叫する。

自分がやったことだというのに、キリノの金切り声を伴う悲痛な叫びがビリビリと響き、私たちの動きを押さえ付けた。

 

「っ!? 追え!」

 

脇目もふらずに走り出したキリノの後ろ姿を見て、遅れて追い掛けるように叫んだ。

声しか出せなかったともいう。

指示に従い慌てて走り出した同僚を後目に、倒れたカンナ局長に駆け寄る。

 

「局長! カンナ局長! 大丈夫ですか!?」

 

「……ぐ、ううっ……」

 

私の呼びかけにカンナ局長の消えていたヘイローが明滅し、生きていることを知らせてくれた。

大丈夫だったという安心感に安堵し、胸を撫で下ろす。

 

「カンナ局長、すぐに治療を! その出血は危険です」

 

「喚くな騒々しい……頭部の損傷は出血が目立つだけで傷自体は深くない」

 

「でも気絶していたんですよ局長は!」

 

「眼の傍を弾丸が通り抜けた時に、少し脳が揺らされただけだ。それより時間は? 状況を説明せよ」

 

傷のついた部分を手で押さえながら、カンナ局長は無事な眼でこちらに説明を求めてくる。

脳震盪でまだ立ち上がることすらできないというのに、だ。

 

「カンナ局長が倒れてから、まだ数分しか経っていません。き、キリノはカンナ局長を撃ったあと、逃げ出しました。今は追いかけるように指示を出したところです」

 

「そうか……捕まえられたのならいいが、無理なら一度戻って来るように伝えろ」

 

「はい」

 

カンナ局長に肩を貸して歩かせる。

出血で片目が塞がっているし、脳震盪の影響で歩行が不安定だ。

すぐに医療局まで運ばなければならない。

 

「後手に回り過ぎた。私たちの認識が甘かったからだ。それがこの事態を引き起こしている」

 

認識が甘かった。

そのとおりだ。

私たちはキリノとフブキがあんなことをやらかすだなんて、誰も思ってはいなかった。

『砂糖』中毒を甘く見過ぎていたから、ただ隔離して『砂糖』を断てばいいと思い込んでいた。

 

「でも……それでもこれは酷いです。よりにもよってカンナ局長を撃つだなんて」

 

カンナ局長を撃ったのがキリノの本意ではなかったことは、あの取り乱しようから気付いている。

それでも受け入れられないものはある。

中毒者なら何をやっても『砂糖』のせいにできるのか?

否、そんなはずはない。

どれだけ『砂糖』が危険なものであろうと、最後に引き金を引いたのはキリノ自身だ。

その罪は絶対にある。

 

「……お前は、キリノと仲が良かったな」

 

「……はい」

 

「なら私を運んだ後で、これから言う仕事を頼みたい」

 

「仕事!? こんな時に何を言ってるんですかカンナ局長?」

 

「聞け……頼みたいのは書類の作成だ。老朽化で壊れた設備の補修と……生活安全局も含めた実弾演習の申請書類だ。書いてくれれば決済は私の一存で即座に通す」

 

「設備と、演習……? まさかっ!?」

 

キリノとフブキのやらかした件を、無かったことにするつもりか。

鉄格子も扉も老朽化で交換したことにして、眼の怪我は演習中の不幸な事故で誤魔化そうと……?

 

「どうしてそこまで……」

 

「……私は一度不正に手を染めた。聞いたことはあるだろう」

 

「それは……はい」

 

詳しくは知らない。

それでもカンナ局長が一時期停職して生活安全局の仕事を手伝っていたことは知っている。

その後の功績で局長に戻ったから、そのことは終わったことだと判断していた。

 

「公安局の局長になったといっても、私の上には連邦生徒会の防衛室がある。予算を無視することはできないし、下げたくもない頭を下げることもあった。正義を行使するにも利権が絡む。だから……」

 

「だから?」

 

「だから……お前たち生活安全局が、市民の対応で当たり前の正義を行使していたことが眩しかった。麻薬なんてつまらないことで、後輩の未来を台無しにさせてたまるか」

 

「カンナ局長……諦めが悪いんですね」

 

「それが『狂犬』の由来だからな」

 

カンナ局長は鋭い犬歯を見せて笑った。

 

なら私は?

私は何ができるんだろう?

結局私たちは『友達のためを思って』という免罪符で思考停止して、話も聞かずにキリノたちを追い詰めただけだった。

向き合おうとしていたのはカンナ局長だけで、キリノが逃げ出した最後まで、キリノと私は目が合うことがなかった。

こんなものが友達と言えるのか?

キリノに酷い仕打ちをした私はもう友達でも何でもない、キリノからしたら視界の端に入っているだけのモブでしかなかった。

そんなただのモブに、いったい何ができる?

 

「なら私は……キリノたちが戻って来た時に蟠りが残らないようにします」

 

逃げ出したキリノを捕まえて、治療を終わらせても、それでめでたしめでたしとはならない。

どれだけ誤魔化しても、カンナ局長を撃った事実は影を落とす。

キリノ自身がやらかしたことを受け入れられないかもしれない。

それでも、蟠りが残らないように奔走して、もう一度戻って来られるように、生活安全局という居場所を守ることはできる。

私には『狂犬』や『魔弾の射手』なんて御大層な二つ名なんてない。

それでも……それでも、だ。

 

「私のようなただのモブでも……生活安全局の1人として、キリノたちにできること……」

 

怒ったり泣いたりしている市民を宥めすかして話を聞く。

暴れているなら一発ガツンとやって大人しくさせる。

迷子がいたら手を引いて安全な場所へ連れて行ってあげる。

 

「……なんだ」

 

いつもの事じゃないか。

大得意だ。

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