ワンナイトキャンセル
ペンワイ行為
様々な捏造と幻覚
全裸で目を覚ましたペンギンが思い出せたのは昨夜の全貌のおよそ8割程だった。つまりだいたい全部だ。
記憶の内訳としては男で童卒したこと、最後はけっこうノリノリだったこと、上手なキスマークの付け方を教わったこと、等がある。ざっくりと順を追って思い返すとまず酒を飲んでいて、楽しい酒で、なんかいいなと思って、そしたら向こうももっと話そうとか言ってきて嬉しくて、宿でまた酒を飲んで、シャンプーか香水のいい匂いがして、……ここら辺でやめとこう。ペンギンは記憶の再生を中止した。それから「なんで全部覚えてんだよ!!!」と己の海馬を叱責した。
一方いい匂いをさせていた方でありキスマークの付け方を教えた方であるところのワイヤーは昨夜の出来事の4割程度しか覚えていなかった。あーうん昨日ね、何となく覚えてる、多分、だいたい。くらいの感じである。
抱かれた記憶と余韻はある。あるにはあるがベッドを共にした相手が深刻なエラーを発生させているのを見て、もしかしたら自分もこいつに非合意で突っ込んだのでは…?と若干の焦りを覚えた。記憶が飛ぶのは珍しいのだ。
「あのさ、ケツどう?」
「えっ感想? 今?」
「感想っていうか安否確認。無事?」
「おれのケツなら異常なしだけど」
「じゃあ交替はしなかったんだな」
交替。やっぱ昨日のって夢じゃねェんだな…と再度現実に呆然としそうになるペンギンと裏腹に、ワイヤーは既に「セーフ 解決~」みたいな空気を出し始めている。さっさとシャワーを浴びに行こうと素っ裸でベッドを出ようとするのでペンギンも素っ裸のまま必死にディフェンスして着席させた。
「お前、おれ、誘ったよな。で、おれ、お前、抱いたよな。え? なに? どうすんのこれいいの?」
「よその船の三番手捕まえて突っ込んで流血沙汰にしましたってトラブル持って帰るのはさすがにお頭達に申し訳ないけど、合意の上で一夜限りならまぁ…セーフかな」
「あ、そこなんだ意外と冷静……いや、いやいやでもさすがに馴れ合いのライン越えてるっつうか」
「酒飲んで一晩一緒に潰れてたのと変わらないって。ちょっとチンコがケツに入っただけ」
「ちょっとチンコがケツに入っただけ!?」
一夜を共にした相手の口から絶対に出てきてほしくない言葉にペンギンは慄いた。性行為へのハードルが天と地ほど違う。これほんとに合意だった?と言いたくもなるが無理矢理童貞を食われただけなら目の前の相手にあんなに浮かれた鬱血痕だの歯型だのは付かない。
ほとんど共犯者に梯子を外された心地なのだがワイヤーはそもそもこれが悪いことという認識が薄いらしい。
ディフェンスをぬるりと突破されたペンギンは無駄にセクシーな網タイツと不可解な構造の下着と共にベッドの上に取り残された。
雑に脱ぎ捨てられてお前もおれと同じだな……いやコイツはこの後履いて帰ってもらえるじゃん、裏切り者じゃん。思わず衣類と自分を同格にして同情と嫉妬を向けてしまったが過度のストレスによるものなので致し方ない。何をそんなにジタバタと嫌がっているのかと言えば色々あるが、何となくこの場限りにされたくないと思ってしまっている自分自身が一番嫌だ。
別にペンギンだってここから素敵なお付き合いを始めたい訳じゃない。そりゃちょっとは気が合ったけど相手はでかくて逞しいれっきとした男だし。いい匂いするけど異常ファッション者だし。やってる時はかなりぐっとくるところもあったけど他船の海賊だし。ワイヤーが“合意”と“一夜限り”を重んじるのも理解できる、大人だし。
でもでもだけど、だけど昨日はあんなに、あんなこと、あんな風に。
「なんで全部覚えてんだよォ……」網タイツを握りしめてベッドに倒れ込むとふわりと例のいい匂いがしてペンギンは呻いた。
明るいシャワールームで改めて自分の身体を見たワイヤーは少し驚いた。ずいぶん痕つけさせたんだな…と他人事のような感想を抱きながら手早く身を清めていく。主導権はおそらく自分にあったがそれを譲り渡すくらいには気を許したか気に入ったかしたのだろう。気持ちよく酔っ払って宿に連れ込んだ記憶はあるが細かいやり取りは覚えていない。そもそも記憶が飛ぶほど楽しく飲んだならきっと面白い男だったんだろうな。と、忘れてしまったことを少し残念にも思う。
『あー……、ふふ、上手だねお前……。あ、痕つけるのは下手なんだ。ん、はは、かわい……。ほら、おれでいっぱい練習していいよ』
これはワイヤーが忘れた6割の記憶とペンギンが覚えている8割の記憶の中で一致するシーンの一部分である。ワイヤーが言ったセリフだが本人だけが覚えていない。痕のつけ易い皮膚の薄いところを教えたことも、口の形を指南したことも、上手にできるたび身体を撫でて称賛してやったことも、その間ずっと繋がっていたことも、その時の空気と声の甘ったるさも覚えていない。
お互いシャワーを浴びてとりあえず身体だけはさっぱりして服を着た。スケスケ半裸カーニバルなワイヤーの衣装は情事の匂わせをまるで隠さないが、最初からそこにあったアクセサリーのように妙に馴染んでいるようにも見える。本人があまりに堂々としているせいかもしれない。
どんな顔して船に帰るんだろうか、おそらくはこのままの顔だろう。おれのツナギ着れたら完璧隠れるのに、などと考えてから自分をハリ倒したくなるペンギンだった。
「じゃあその、もう行くけど…なんて言うか、お前…………覚えとけよ」
宿を出て別れ際。これマジでこのまま終わんの?と惜しむ気持ちや虚勢や立場がないまぜになった結果ペンギンの口から絞り出されたのはほぼ小悪党の捨て台詞だったが、深層心理としては「おれのこと忘れないでね」みたいなものである。ちなみにワイヤーにその機微は伝わらなかったので普通に恨まれてるなと解釈された。
キッド海賊団がハートの海賊団に恨まれるのは少し困るが、自分がこの男に個人的に恨まれるくらいなら問題ないし仕方ない。すれ違ったままワイヤーは納得して、「まぁこれは二人の秘密ってことで、お手柔らかに」と穏便に告げた。無駄にエッチでロマンチックでちょっと次がありそうな言い回しになったのでペンギンに刺さった。昨夜から何度目かも分からないヒットである。
今度こそ二人は解散してワイヤーは潮風も清々しい朝の街を歩き始めた。いい運動と睡眠のせいか、石畳を踏みしめる感覚が不思議と心地よく新鮮だった。出航までの余裕はあるので自分の他にも朝帰りの連中はいるかもしれない。あいつはこれから船に帰って無断外泊のことを怒られたりするんだろうか。しそうだな。ウチと違って無駄に厳しそうだし。そんな風に今さっき別れた相手のことばかり考えてしまうことにはどうやらまだ気づいていない。
昨夜の甘い淫蕩の最後、眠る直前にワイヤーはまじないのようにこう言った。
『馴れ合ったって敵対した時ちゃんと殺せればいいんだから大丈夫』
今度会ったら敵同士なんてのは海賊の世界ならば茶飯事だし、“今度”を迎える前にどちらかがくたばることだって大いに有り得る。物騒なピロートークだが要はそのくらいの覚悟で割り切って楽しみましょうねという話だ。性行為へのハードルは限りなく低いがある意味真面目に線引きはしているワイヤーだった。
誤算だったのはこれがワイヤーが忘れた6割の出来事のうちの一つであり、更にペンギンが覚えていなかった2割の方に類する出来事なことである。つまり言った方も言われた方もすっかり忘れている。
かくして自分にも相手にもたった一本釘を刺し損ねただけで悲劇にも喜劇にもなり得る舞台が整ってしまった訳だが、たった一本釘を刺し損ねただけでそうなってしまうならもはや本人達のポテンシャルだろう。
この海賊二人の恋の結末に関してはアホエロ時間差ラブコメディの神様にたいそう愛されハッピーエンドであったということだけ先に記して、冗長な序章の終わりとしたい。