ロージャとグレゴールが好きだって話

ロージャとグレゴールが好きだって話

リンバスシコスレ民


 メフィストフェレスの中はそれなりに騒々しい。とはいっても、騒ぐのは決まったメンツで、定期的に便乗する声や嗜める声、怒号、更に定期的に地を這うような赤い視線の声。

 囚人の中でロージャはその中間であることを認識していた。程々に誰かと会話し、程々に黙り、程々に仲裁に入る(自分に被害が及ばない範囲で)。

 その上で、と、ロージャは視界の端に映った男を中心に据えた。

 グレゴール。彼はどちらかといえば自分に近い。話しかければ適度にあしらって、適度にぼんやりして、適度に止める。その塩梅が丁度良いのだろう、もしくは癖のある囚人からの盾のつもりなのか、管理人のダンテの近くの席を宛てがわれていた。

 その男が――何と言えば良いのか、ふと気を抜くとスイッチが切れたような無表情になる瞬間が増えた、と思う。口数が多いタイプではないものの、それなりに会話の輪に入りはするが、ふと見れば窓の外へとガラス玉のような視線を遣っている。眼鏡の奥の目玉は白目が少し赤みを帯び、胡乱な目つきの瞼の下には厚い隈が刻まれている。

 理由なんて問いかけなくても予想はつく。というよりも、ロージャ自身も含め誰もが色々と抱えているらしいというのは、都市ならば珍しくもないが、まあ、今回は目の当たりにしているのだから気付かない筈はない。少なくとも、最低限の周囲を気にする感情さえあれば。

(よく『英雄』なんてできてたわねぇ)

 戦場では随分と評判が良かったらしいが、ロージャの偏見からするとすごい兵士というものは感情のコントロールが上手くて鉄面皮、それこそムルソーのような男のイメージだ。面倒臭がりで情が深くて出会った日に死んだフィクサーの形見をバスに飾っておくような男に務まるようなものだったのだろうか。

(絶対答えてくれないだろうけどねー。聞きたくもないし)

 バスの窓に肘をつき、空いた手でシンクレアのふんわりとした髪を弄びながら、ロージャはひとりごちた。


 こん、こんっ。

 軽いノックの音に、グレゴールは火を点したばかりのタバコをひと吸い分ふかした後に「誰だ?」と声をあげた。

 目的地へ向かう途中、治安の良いとは言えない路地裏の安ホテルの薄っぺらいドア越しだ、声を張り上げなくても聞こえただろう。ドアを捻る音、少し間延びした耳馴染みのある声。ロージャだった。

 ロックを解除してやれば、制服のコートとベストを脱いだロージャが片手をひらひらと振って「どうも♡」などと言いながら立っている。

「どうしたんだよ。そろそろ寝る時間だぞ。それも俺の部屋に」

「そろそろ寝る時間だから来たのよぉ」

「……はぁ?」

 ロージャは事もなげにそう言うと、咥えタバコを落としそうになったグレゴールをよそにずかずかと部屋に入り込み、後ろ手にドアを閉めた。にこり、というにはやや人の悪い笑みに、グレゴールの眉間に皺が寄る。

「あのなぁ。俺だからそういう振る舞いしてるかは知らないが、一応男の部屋に女が一人来てるってシチュエーションだぞ。管理人の旦那あたりが見たら誤解されかねないだろ」

「グレッグが襲ってくるかもしれないって?」

「…………」

 仏頂面での沈黙は、半ば肯定と等しいものだ。イエスと答えてもノーと答えてもそれなりに角が立つ問いに、ロージャは声を抑えて笑い声をあげる。

「そういう人だったら、私の見る目がなかったって話ね。まあ、こっちが襲ってもいいかなとは思わなくもなかったかな」

「タチの悪い冗談だ」

 留め具を外していた髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、グレゴールは深く紫煙を吐いた。

「だってぇ、一緒に寝ましょう、って言いに来たんだもん」

「お帰りは窓からがいい? それともドアからか?」

「やだぁ~。追い出すなら声あげるわよ?」

「逆だろ普通……」

 呻いたグレゴールに、ロージャは肩を竦める。往生際の悪い男だ、とばかりに。

「まあ、本気の話はともかく。わりと普通に寝かしに来たのよ。

 グレッグ、ここ最近ぜーんぜん寝れてないでしょ」

「環境変わったらそういうものだろ」

「うちの他の囚人見て言ってる?」

「……一般論」

「はいはい~。御託はいいから、さっさと寝るわよ」

「お、わっ!?」

 ロージャは正面から抱きつくようにグレゴールの腰を掴み、ぽいとベッドに放り投げた。粗末な作りのベッドはスプリングなどロクに効いておらず、尻から着地したグレゴールは間の抜けた悲鳴をあげる。

 咄嗟に右腕を自分の身の後ろに隠し、グレゴールはロージャに指を突きつけた。

「お、お前な、腕がかすったらどうすんだよ」

「真っ先にそれ心配するグレッグ嫌いじゃないわよ~」

 咥えタバコを取り上げ、ロージャは膝を立てて自らもベッドに乗り上げる。自分の身長より頭一つ近く高い女の圧迫感に、グレゴールは後ずさりしたかったようだが、狭い部屋だ、避ける隙間すらなく壁に背を付けた。

 ロージャは追い詰められた虫(と言ったら怒られるだろう)のようになったグレゴールを押し倒し、九十度反転させて壁側を向かせた。半ば拘束するように腰を抱き寄せ、自らも横になる。

「さ、寝ましょ」

「ロージャ」

「んもう。他人の体温があった方が眠くなるでしょ。それだけよ」

 ぎちぎちと困惑したように軋む虫の腕の上に手繰り寄せた布団を被せ、ベッドサイドの明かりを落とす。窓から漏れる、都市の明かりの微かなそれだけが光源になった。

「一応ね、これでも心配してるんだから」

「俺はこれを誰かに見られやしないかって方が心配だ……」

「もう諦めなさいって。もう少し本気で怒れば私だって出てったかもしれないのに~」

 乱雑に切り揃えられた癖毛に向けて、ロージャは唇を尖らせる。後ろから抱きしめたグレゴールの体温は少し高めで、こっちが先に眠たくなりそうと彼女ははチラリと思った。

「寝かしつけるならシンクレアの方がいいだろ。この前も色々あったし」

「おちびちゃんも大変だったけど……んふふ。あの時の観測記録、もう読んだ?」

「そりゃ読んだけど」

 釘と金槌、クローマーとの一件。化物となったかつてのシンクレアの知り合いの観測記録は、誰より彼女を知るシンクレアに任されていた。その中で踊る、『僕はもう、あのときとはかなり違います』『あの野郎の胸に杭をブッ刺してやるんです』という普段のおどおどとした彼とのギャップが大きい文面は、なかなかに衝撃だった覚えがある。

「おちびちゃんはちゃーんと乗り越えて呑み込んでるのよ、もう。お姉さんの添い寝なんかいらないくらいにね~」

「んで、俺にはママの抱っこが必要だって?」

「グレッグの方がよっぽど引き摺ってるんだもん。観測記録もロクに書けずに終わってるし、E.G.O.だって最近よく使うやつ変わったし。態度だってボケーっとしてダメになってるの隠してすらいないじゃない」

 誰も指摘してこなかったグレゴールの振る舞いを意図的に指摘すると、グレゴールはわかりやすく声を詰まらせた。本当に心が表に出やすい男だ、と、ロージャは思う。グレゴールが左腕で軽くロージャの手のひらを叩いた。

「ファウストさんくらい無関心でいる優しさとかないのか?」

「ないわね~。私は自分勝手だから」

 ベッドの中で他の女の話は御法度だろう、なんて、そういう関係じゃないのだから言う気はないが、当て付け代わりにロージャは身を丸めてグレゴールの項に唇を寄せた。わざとらしいリップ音をつけてやれば、目の前の男の体が跳ねる。

「ぎゃっ!?」

「やだぁグレッグ、童貞じゃないんだからぁ」

「な、何もしねえって言ったろ!?」

 耳が一瞬で真っ赤に染まっているのに吹き出して、ロージャはぽんぽんと前に回した腕からグレゴールのおなかを叩いた。

「はいはいボク、お休みねぇ~」

「覚えてろよ……」

「覚えてペラペラ喋っちゃう方がグレッグ嫌でしょ」

「それはそうだ」

 観念したようにグレゴールは苦笑を漏らす。強張っていた体の力が徐々に抜け、ロージャと合っていた呼吸がゆっくりと伸び始める。眠気がゆるゆると来ているらしい。騒ぎ疲れたのか、柔らかな女の体温が心地よいのか、理由は分からないが、深く眠りに落ちてゆくのならばロージャはどちらでもいい。

(やっぱりグレッグは英雄なんてガラじゃないわよねえ)

 欠伸混じりに自分より小さい異形の男の体を引き寄せ、明日はムルソーやウーティスのような早起きなメンツより起きれる気がしないと騒動の予感を脇に置きつつ、ロージャは自分も眠ろうと目を閉じた。




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