ローさん、またあのマントにくるまってお昼寝してるね

ローさん、またあのマントにくるまってお昼寝してるね

ななしのだれか

 轟音と己を囚える狭苦しい鳥籠を揺るがす衝撃に、身を伏せ意識を落としていたローは目が覚めた。

 ギイギイと鳥籠がめちゃくちゃに揺れて、思わず白い斑の浮かぶ隻腕で檻にしがみつく。鳥籠の底に伏せた、ドフラミンゴに衣服を剥ぎ取られた貧相な体は、しがみつくのに精一杯で起こせない。

 だが弱った手は簡単に檻から滑り落ち、一糸纏わぬ体は揺れる鳥籠に何度も打ち付けられた。がしゃんがしゃんと、足枷と鳥籠を繋ぐ鎖がけたたましい音を立てる。頭が背が胸が腹が足が失った右腕が、全身が砕け散りそうなくらい痛い。激痛にがは、と血を吐いた。

 次第に揺れが収まり、ローの体は底に叩きつけられてようやく止まった。途切れかける意識でそれでも顔を上げれば、爆発したようにドアが壁ごと吹き飛んでいるのが目に入った。

 この部屋は、明かりを着けなければ自分の体すら分からない。閉め切られた窓も壁も天井も床も調度品も黒く塗り潰された、ローの心を圧し潰す為の、狂いそうなほど暗く黒い部屋だ。いつ目覚めても何も見えない真っ暗な部屋が怖くて、耐えきれず泣いたことも一度や二度ではない。

 しかし今、部屋はぽっかり空いた穴から射す淡い光――それでもローにとっては目に刺さる眩い光だ――で明るくなっている。部屋の外から射す光など、目にするのは一体どれくらいぶりか。訳も分からないまま、涙がこみ上げて頬を伝う。

 そして。

 埃混じりの砂煙と、破片が崩れ落ちる音の間から、のす、のす、と、何かがやって来る。光を背にこちらに向かってくる、この破壊の犯人であろう、暗い緑の巨体。

「きょ……う、りゅう……?」

 そこにいたのは、あちこちから血を流す二足歩行の恐竜だった。ローの知識で言うなら、ティラノサウルスに似ているだろうか。オレンジ色のトサカを揺らしながら、恐竜の手が、ガッシリと鳥籠を掴む。無様に転がり見上げることさえ辛いローの頭上で、口がグアア、と大きく開く。

 ――――食われる。

 そう思った。それでも良かった。もう、自分がどうなろうが構わなかった。これ以上生きていたいなんて思わない。死ねるものなら一思いに死にたい。全てを、終わらせてほしい。

 目を閉ざし顔を伏せ、首を差し出して恭順を示す。監禁生活で肉は落ち、再発した珀鉛病のせいで白くなった体は美味しくないだろうが、どうか、俺を食べて、俺を殺して、もう終わらせてくれよ、お願いだ。

 だが。

「グウ…ヴ…ウウウウウウウウウウウウヴ!!!」

 恐竜が噛み付いたのは、鳥籠ではなく、鳥籠を天井から吊るす鎖だった。唸るような咆哮と共にバキバキと鎖が引き千切られ、鳥籠を掴む両腕が外へ外へと動き、鳥籠の檻をこじ開けられる。

 目の前で、ローを囚え、飼い殺す鳥籠が、へし曲げられて開かれていく。

 揺れる鳥籠の中から、ローは呆然とその様を見ていた。ドフラミンゴが作り出したイトの鳥籠が、覇気を纏った恐竜によってこじ開けられていく。

 覇気。

 そうだ、この恐竜は覇気を纏っている。掠れぼやける目を凝らしてよく見れば、黒い上着とマントらしきものを着ている。ということは、これは悪魔の実の能力者だ。一体何者が、わざわざローなんかを奪いに来たのだろうか。

 どすん。思っていた以上に少ない衝撃と共に、ローを入れた鳥籠が黒い床に置かれる。人一人が通れる程に鳥籠をこじ開けた恐竜は手を離した。どすどすと数歩後ろに下がった巨躯が、見る間に人型へと姿を変えていく。

 黒いマント。目元を覆うマスク。その名を誇示するような、ローと違って損なわれてなどいない、肌に刻まれたエックスのタトゥー。逆立ったオレンジの髪に、青い瞳。体のそこかしこが裂け、だらだらと血を流す男。

「久しぶりだな、トラファルガー」

「……ど、ぇ、……く、や?」

 枯れた喉から声を絞り出して、何とかローは恐竜だった男を呼んだ。

 X・ドレーク。ローと同じ最悪の世代、超新星の一人。堕ちた海軍将校。確か、百獣海賊団の傘下に入ったと、どこかで聞いたような記憶がある。

 なら、ローは百獣海賊団に連れて行かれるのだろうか。もう、どうでもいいが。

「……酷い、いや、むごいな」

「ぁ……ぅ……」

 顔を顰めたドレークに、ローは自分の有り様がいかに見るに堪えないか思い出した。

 ケロイドに塗り潰された胸。

 袈裟斬りにされた背のタトゥー。

 切り落とされた右腕。

 斬りつけられた傷痕に覆われた両足。

 首に手首に足首に残る、真っ赤な枷の痣。

 そして何より、全身に浮かび上がり、髪すら染める、白。

 珀鉛病の末期症状。

 とっくに塵になったはずの、なけなしの自尊心が「みないで」と叫ぶ。こんな落ちぶれた姿に成り果てた己を、かつての己を知るドレークに見られたくなくて、ローは身を丸め縮こませ、左腕で頭を庇った。

 じゃらり、鎖が音を立て、左足首に嵌められた海楼石の足枷が、ローを戒めていることを主張する。

 逃げられると思うなと、物語っている。

 そうだ、どうせ逃げられない。どこにも居場所なんてない。後は棺桶の蓋を閉めるだけの、ゴミのような終わってる命だ。だから見捨ててくれよ、いっそここで殺して、完全に終わらせてくれよ、なあ、たのむ、おねがいだ。

「……信じられなくていい。だから、どうか聞いてくれ。

 俺は、お前を傷つけない」

 目を閉ざし震えるローの体に、何か布が掛けられた。目を開けて見れば、それはいつの間にか外されていたドレークの黒いマントだった。

 無様に傷付き痩せ衰え、珀鉛の白に侵された裸体のローを、まるで労るように、ドレークはマントでそうっと包んだ。

「すまん、もう少しだけ耐えてくれ」

 ローの頭を一撫でしたドレークの、どこか苦しげな、声。カチャリカチャリと、足元から音がする…………足元、から?

 がちゃん。

「よし! 外れたぞ」

 その言葉と、左足首が軽くなる感覚に、目を見開いて視線を向ける。すっかり細くなった足首を戒めていた、海楼石の枷。その鍵穴に針金が二本刺さっていて、確かに解錠され外されていた。

 見事ピッキングで枷を外したドレークが、ローの背と膝裏に腕を回す。表向きは感染病で通っている珀鉛病に侵された姿を、ローを抱き上げる彼は全く気にしてないようだった。分厚い胸板がどこか安心感を感じさせて、自然と体を預けてしまう。

 ローを横抱きにしたドレークが、ゆっくりと立ち上がった。

「い゛ッ……っあ、ぐ……」

 ドレークの手付きはゆっくりとした優しいものだ。しかしそれでも痛みは業火の如く熱く、思わず呻いて身を固くする。

「大丈夫、大丈夫だから。もう大丈夫だぞ、トラファルガー」

 とん、とん、と背を通りローの左腕を抱えるドレークの手が、なだめるように優しく叩く。その声も手付きも、不思議なくらい優しかった。


『大丈夫だ、ロー、退屈なんかさせやしねえよ。もっと楽しもうぜ?』


 そう言ってあらゆる手段でローを苦しめ続けるドフラミンゴとは違う、ドレークの「大丈夫」。

 ああ、忘れてた。「大丈夫」という言葉には、人を安心させる力があるのだと。

 安堵の溜め息を吐いたローを、ドレークはいつもドフラミンゴが座っていたソファに座らせた。向かい合うドレークが跪く。その姿は、海賊よりも正義のヒーロー、童話に出てくる騎士のようだ。

 ドレークは腰に提げていた、何か長い棒のようなものを引き抜くと、ローの体に立てかけるようそっと預けた。

「……折れてはいる、だが、お前の刀はお前のことが大好きなようだな。宝物庫に忍び込んだ俺に、連れて行けとガタガタ暴れたから連れてきた」

 ローの一本しかない腕の中で、カタカタと微かに揺れる、仄かに温かい、それ。真っ直ぐな眼差しでローを見つめるドレークから視線を外し、恐る恐る、腕の中のそれを見た。

 血と泥で汚れたファーのついた鍔。ひび割れ所々は欠けて中が見える鞘。隙間から見える、折れた刀身。変わり果てた姿だが、それは確かに見覚えがあった。

 その重みは、あまりにも懐かしすぎた。

「あ……あ……」

 思い出す。麦わら屋を殺したドフラミンゴを殺そうとして、無残に折られた時のことを。もう、とっくに失われたと思っていた、ローの唯一無二の愛刀。

「き、こく……! 鬼哭…………!」

 全身で鬼哭を抱きしめる。溢れ出す涙がぼたぼたと鞘を濡らす。ずっと一緒に戦ってきた、大事な、大切な俺の相棒。右腕を再び切り落とされたローの目の前で、折られ、踏まれ、曲げられて、打ち捨てられた宝物。それでもお前は俺がいいと、俺を選んでくれたのか。

 鬼哭。すまない。そしてありがとう。もう一度俺を選んでくれて。

「あ、あぁ、あ……!

 ど、れ、どれぇ、く、や……! あ、あり、ありが、ど、う、ゔゔ、ありが、と、う……!」

 叫び疲れてとっくに枯れ果てた声で、何度もドレークに礼を言う。頭を下げて、何度も何度も礼を言う。

 見るに堪えない哀れな姿のローを、ドレークは慰めるように抱きとめた。背を、頭を、冷え切ったローを落ち着かせるように撫でるその手は、大きくてあたたかくて優しくて。こんな優しい手は、ドフラミンゴに囚われてから、初めて与えられるものだった。

 ――――もう、じゅうぶんだ。

 失ったはずの鬼哭をもう一度手に取れた。光を見れて、鳥籠から出してもらって、優しい手に慰めてもらった。全てを間違え何もかも守れず失った愚かなローが、冥土の土産に貰うには十分すぎるくらいだった。

「……トラファルガー、手を、出してくれるか」

 身を離したドレークが、黒い手袋に覆われた左手を差し出した。躊躇うことなく、ローも左手を差し出す。

 ローの手を取ったドレークが、掌に何かをぽんと乗せた。

「トラファルガー、すまん。俺はお前を死なせてやれない」

「……え……?」

「だから、どうか逃げてくれ」

 カチリ。手の中をそれをローに握らせたドレークが、ローの指の上からそれのスイッチを押した。丸い球体が、ローの手の中で光りだす。


『ヘルメス起動。


 転移対象測定。

 観測。

 トラファルガー・D・ワーテル・ロー。

 転移対象に確定。


 転移開始まで後三分……』


 男とも女ともつかない音声。宙に浮かぶ球体を中心に、ROOMのような透明な壁が展開され、ローとドレークを隔てる。ローの体が、ゆっくり宙に浮く。

「な、んだ……これ……」

「ヘルメス、と言うそうだ。遥か大昔に作られた古代兵器の亜種らしい。

 そいつは、使用者が望んだ場所へ連れて行く。その力は世界すら越え、この世界とは違う世界にすら行くことができるそうだ」

 ドレークが立ち上がった。ローを何かから庇うように。

「――――あ、ヒッ」

 悍ましい纏わりつくような、覇気。恐怖が全身を駆け巡る。腕に抱えた鬼哭を、ドレークのマントを握りしめて、それでもローの震えは止まらない。

 来る。アイツが来る。とても怒っている。殺気。殺意。こわい。こわい。逃げなきゃ。逃げろ、逃げてくれ、ドレーク屋!

 ドレークがその身を恐竜に変え、ローを包む球体の壁を守るように抱きしめた。次の瞬間、糸の弾雨が降り注いだ。

 着弾の衝撃が、透明な壁越しに響く。硬い皮膚に覆われた恐竜の体の、あちこちから血が吹き出す。

 ドレークが、身を挺してローを庇っている。

 呆然と、壁の中からドレークを見上げる。どうして、なんで。疑問が駆け巡り、けれど口からは何も出ない。

「ドレーク……! X・ドレーク!! 貴様アァ!! 俺からローを奪うのか!!

 クソが!! 親子揃って俺の邪魔をしやがったな!!」

 糸の鞭が恐竜に襲いかかる。何度も何度も、ドレークを打ち据える。

 壁越しに伝わる凄まじい轟音と衝撃が、ドレークにどれ程のダメージを与えているかを物語っていた。ローを庇う恐竜の姿が、徐々に人間の姿に近付く。それほどまでに消耗しているのだ。あれだけタフな動物系古代種が、この短時間に!

 やめろ、やめてくれ。死んじまうぞ。俺を見捨てて逃げろよ。なあ、なんで。

 ドレークに手を伸ばす。けれど壁に阻まれる。何度も壁を叩く。けれどびくともしない。


『ヘルメス、転移開始まで後二分』


「シュガー!! 奴をおもちゃに変えろ!!

 許さねぇ……ロー!! お前に救いの記憶など残してやるか!! お前は救われないまま苦しみ続けろ!!

 なあロー! ロー!!!」

 狂乱するドフラミンゴが、ドレークをおもちゃに変えろと叫ぶ。

 無数の糸は、すっかりローを包む壁ごとドレークを宙づりに縛り上げていた。人獣型に姿を変えた、体中に穴を開けられたドレークが、ぼたぼたと血を吐きながら、口を開いた。

「ヘルメス……転移先を、設定させろ……」


『了解。

 転移先設定、どうぞ』


 ローの目の前で発光し、くるくる回転する球体の機械が、ドレークの声に応答する。

 のろのろと顔を上げたドレークが、強い輝きの絶えない双眸をローに向け、笑った。

 この状況に不釣り合いな、ローを安心させる為だけの、優しい優しい、笑顔。

 涙が溢れて、止まらない。

「トラファルガー・ローが、傷を癒せる世界。

 もう傷つかなくていい世界

 共に生きてくれる者達がいる世界。

 生きたいと願える世界。

 ……幸せになって、心の底から笑える世界。

 そんな世界に、彼を連れて行ってくれ」


『了解。

 転移先再設定完了。

 世界線確定。

 転移まで後一分……』


 滔々と、ドレークが告げたローの「転移先」。

 嗚呼、嗚呼、シスター。

 これが「祈り」でないと言うなら、何をそうだと言うのでしょうか。在りし日の貴女が神にしたように、彼はヘルメスに祈りました。俺の平穏と幸福を祈りました。いつ殺されるかも分からない中で、それでも彼は、俺の為に祈ってくれました。

 なあ、なんでだよ。仲間でも味方でもなんでもないのに、どうして俺を助けようとするんだ。お前の優しい手が向かうべき先は、こんな腐りかけた命じゃないだろう。どうして、なんで、ドレーク屋。

「ドレーク!! 貴様貴様貴様ァア!!!」

 銃声が三発。ドレークの肩が、胸が、腹が、また真っ赤な鮮血を噴き出す。人獣型の姿さえ解け、完全な人型へ戻っていく。

 これ以上は、ドレークがもたない。


 もう、やめて。

 俺の為なんかに、死なないで。

 お願いだ。ドレークを殺さないで。


 そう叫ぼうとした時だった。

「トラファルガー・ロー!!」

 先に叫んだのは、ドレークだった。傷口から流れ出る血で血溜まりを作りながら、吠えるように彼は叫ぶ。

「行け! 行け!

 どこへだって飛んでいけ!

 俺の義兄、ドンキホーテ・ロシナンテもそう望んでいる!

 もう、お前を戒める枷も、繋ぐ鎖も、鳥籠もない!!

 お前は自由だ!! 自由なんだ!!

 どこへだって行けるんだ!!」


『もう放っといてやれ!!! あいつは自由だ!!!』


 あ、あ、ああ。

 全然似てないのに、面影が重なる。

 彼と、大好きだったあの人が。

 彼が「義兄」だと言ったあの人は。

「あああああ!!!

 また!! まただ!! また俺の邪魔をするのか!! コラソン!!!」

 ドフラミンゴの絶叫。

 銃声。

 シュガーの悲鳴。    

 全てを無視して、ドレークが笑う。

 血にまみれてなお、明るく笑う。

 あの人が、最期に見せてくれたあの笑顔と全く似てない、穏やかな笑顔。

 どこまでもローを慈しむ、あの人と同じ、ローを想う笑顔。


「トラファルガー。

 どうか、幸せになるんだぞ」

『おい、ロー

 愛してるぜ!!』







「…………ドレーク、コラさん」







『ヘルメス、転移』








 伸ばした手が届かぬまま、ローが世界を越えたのが先か。

 シュガーの手が、捕らわれたドレークに触れたのが先か。


 後に残ったのは、肩で息をするドフラミンゴと、恐怖に震えるシュガー。

 床に転がり沈黙する、一仕事を終えたヘルメス。

 見覚えのない、白い甲冑を纏った、騎士の人形だけだった。








(以下、蛇足に続く)https://telegra.ph/%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%AE%E8%9B%87%E8%B6%B3%E3%81%AA%E8%A3%8F%E8%A9%B1-10-05

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