ローがアドを攫うとこまで

ローがアドを攫うとこまで


「あっ、起きた……!」

今しがた目を覚ましたローに、嬉しそうな響きを伴った、柔らかな女の声がかけられた。

「大丈夫?傷は痛くない?名前言えるかな」

「……ロー」

「ローくんね」

女はなにが嬉しいのか、ローくん、と何度かローの名前を小さく繰り返した。

「……ここは、」

低く掠れた声。喉が渇いていた。女はそれを察したのか、ローがお前は誰だと尋ねる前に「みず、水ね。すぐ持ってくる!」と慌ただしく出ていった。

一人残されて、ローはまずゆっくりと体を起こし、背を柔らかなクッションが積まれた背もたれに預ける。そうして多少の警戒を持ったまま、辺りを見回す。

その部屋は華美に飾り付けられていた。天井のシャンデリアは絢爛に空間を照らし出し、小さな丸テーブルにかけられたテーブルクロスには汚れ一つ見当たらない。クローゼットやチェストの数々、カーテンに施された華やかな刺繍、銀色に輝く台車に置かれたティーセット。そしてこのときローが体を預けているベッドも含め、どれもこれもが一級品であることが分かる。

ただその中で不釣り合いなのが、窓に嵌められた無骨な黒色の鉄格子であった。格子の細い隙間から、明るい陽が縞模様のようにカーペットの敷かれた床を照らしていた。

「お待たせ」

奇妙な部屋を見ていると、間もなく女が戻ってくる。ガラスのコップに注がれた水と、まだほんのりと温かいパン、を盆ごと差し出す。同じくガラスの水差しは、ベッド脇のチェストに置かれた。

「『スキャン』」

手を翳す。毒などは入っていないことを確認して、まずはコップに口をつけた。女は不思議そうにその様子を見ている。

冷えた水が喉に心地よい。は、と息をついて、ローはひっそりと女を観察した。

可愛らしい顔立ちをした、ごく普通の女に見える。青と白の髪色こそ目立つが、それ以外はとりたてて特徴がない。鍛えているわけでもなさそうだ。むしろ手足は平均より細く、争い事とは無縁な印象を受けた。身に纏っている純白のワンピースと薄青のガウンも、家具などと同じく高級品ではあるだろうが、妙な細工などはないようだった。

見られていることに気付いたのか、女は首を傾げる。

「治療してくれたことには礼を言う。助かった」

「あ……ううん。気にしないで。体は平気?ひどい怪我だったから、」

「聞きたいことがある」

女の言葉を遮って、ローは短く言った。

「なぜおれをわざわざ連れてきた。お前もファミリーの一員……幹部だろう。名前は……アドで合ってるか」

ひゅう、と息を飲む音がした。


⬛︎


「眉唾ものの噂話だ。この馬鹿げた話を聞いた事がある奴も少ねえ」

空のコップに水差しから新しく水を注ぎ、再び飲み干す。

「ドフラミンゴが女を一人囲ってる。そいつは四皇の娘で、塔から出ることは滅多にない。ドレスローザの国民も、姿を見た事さえ稀だってな。真に受けるバカは滅多にいねえが……おれは少しばかり気になって、独自に調べてみた。そしてそれが真実らしいと分かった」

与太話だと思ったのは本当だ。ただ、ドフラミンゴに関する情報は少しでも多く持っていたかった。だからその与太話をどんどん遡り、十二年前のある港町壊滅事件まで辿り着いたのである。

「『赤髪』の船に乗ってたんだろう。壊滅した港町、赤髪海賊団の目撃情報、事件の下手人の海賊団に起こった襲撃。お前が赤髪の娘なら、すべて説明がつくからな」

顔色を真っ白にした女​────アドは、「……は、」と僅かに息を漏らした。

「この部屋を見るに、閉じ込められてんだろう。おれの素性も知らねえと見た。ろくに外の情報も与えられてねえみてえだな」

ドフラミンゴも悪趣味なことをする。赤髪が四皇の座についたのが六年前のことだから、その頃からアドはずっとこの扱いを受けているのだろう。

ローは不愉快に眉を顰める。あの男の、他人を支配したがる悪癖を、彼もまたよく知っていた。

「ちがう……」

細く、ひどく頼りない声だった。アドは自らの身体を掻き抱くように背中を丸めて、もう一度「ちがう」と呟く。

「違うよ。港町を襲ったのは、赤髪海賊団の船」

短く、淡々と、紡がれる。それは、自らに言い聞かせるような。そんな、哀れにも感じさせる言い様。

ローは「まさか」と思いつつも、続きを待った。

「十二年前……町を壊して、みんなを殺したのは、赤髪海賊団。私を置いていったのも、そう」

「…………」

「だって、見たもの。港を遠ざかる船尾を。はためく、海賊旗を」

「……おまえ、」

「助けてくれたのが、若様だよ。ねえ、だって、あれがお父さんたちじゃなかったら、若様、嘘をついてたの?若様が言ったんだよ、」

わるいのは、おとうさんたちだって。

まるで、迷い子のような。そんな響きを持って、アドはそう言った。彼女はローを見ていなかった。なにかから自らを守るように両手に抱き締め、俯き、ちがう、と繰り返している。ちがう、わかさま、だって、うそ、うそだよ、ううん、おとうさんは……。錯乱したように呟かれる言葉のすべてを拾って、ローの頭は真実を組み上げた。

「……チッ」

舌打ちをひとつ。

胸糞悪い話だ、と思う。ドフラミンゴを倒す理由が、ひとつ増えたとも。

「……ここから出る気はねえのか」

「……ここから?」

下を向いていた頭をあげる。考えたこともなかった、と言いたげに丸く見開かれる目を見据えて、ローは頷いた。

「ここを出るんだ。鉄格子の向こうを見て、お前はいつも何を考えていた?人々の笑い声を聞いて、何を思っていた?」

強ばる女の手を取る。その真白な肌は冷えていた。


⬛︎


「いつも……」

その声は震えていた。

「いつも、思ってた。若様は、どうして私をこんなところに閉じ込めるんだろうって。でも若様はいつも正しくて、全部私のためだって言うから、それでもいいと思ってた。

「だって、あの日助けてくれたのは若様だから。ひとりぼっちで、お腹が空いて、足が痛くて、頭も痛くて、もう歩けないって、死んじゃおうかなって思ってたとき、手を差し伸べてくれたのが、若様だから。

「家族になろうって言ってくれた。はだかの足を揉んで、温めてくれた。頭を撫でて、大丈夫だって言ってくれた。

「その若様が言うんだもの……疑問なんか持っちゃだめだよ。外は危ないから、ここにいる。それだけ……」

蒼褪めた頬や恐れの深く刻まれた瞼は、ぴくぴくと跳ね、いかにも死の間際の、病に犯された老人のようであった。

「若様が好き。大好き。ねえ、昔、私がみんなの家族だった頃、一緒にご飯を食べたの」

ぼんやりと手元を見つめ、アドは微笑んだ。

「おいしかったなぁ」


⬛︎


アドはここから出たくはない、と首を振った。ローはそうか、と頷いた。

重ねた手は力なく投げ出され、それはローの目に、死んだ魚の腹のように写った。生気がなかった。

「……なら、先に謝っておく。悪いな」

「え……」

もとより、お前の意志を聞くつもりはなかったんだ。

ローはベッドの脇に置かれた鬼哭を手に取ると、アドの手を今一度強く握った。

「『シャンブルズ』」

ひゅ、と、景色が変わる。ドレスローザの街並み。先程までいた、どこか病的な雰囲気のある部屋ではない。

アドは混乱した様子で、「え、え」と辺りを見回していた。ローは手を離そうとしたが、不安そうに握られる。

「あの、ローくん、」

「お前はドフラミンゴの人質だ」

大人しくしとけよ、と悪どい笑みを浮かべると、ただでさえ白い顔が、サッと青ざめた。

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