ルーシー 

ルーシー 


「王子、すまねえなあ」

「その呼び方はやめてくださいって。……よし、できましたよ。と言っても、気休めにしかならないかもしれませんが」

 コロシアムの囚人剣闘士たちの宿舎、通称『獄舎』の隅、少年は負傷した剣闘士の手当てをしていた。

 剣闘士は腹や足に大きな傷を負い、右手に至っては欠損しており、とてももう戦えるような状態ではなかった。それでも、生きる糧を得るためには戦う他ない。獄舎にはそういう者が沢山いる。

 日頃から少年と剣闘士たちは口裏を合わせ、なるべく重症者の負担が少なくなるよう八百長の算段を立てていた。その他にも、秘密裏に食糧を運び込んだり、放置された負傷者を治療したり、とにかく少年は囚人剣闘士たちの命を繋ぐため尽力していた。

 少年は思い出す。最初の頃は、自分の出自故に疑われ、物資も受け取って貰えなかった。馬鹿にしているのかと謗られることもあった。

 それでも、続けていくうちに彼らも心を開いてくれるようになり、今では世間話をする仲になった。敵の多い自分にとって、これほど有難い話もないと少年は思う。

「レベッカに会いに来たんだろう、ザック」

「ええ。緊張していてはいけませんから」

「さっき辺り帰って来たと思うが……ほら、あの髭の男を連れて」

「そうそう。ルーシー、とか言ったか? とにかく、その参加者を連れてな」

「へえ。他所の人と仲良くするなんて、珍しいこともあるものですね」

 ルーシー。どんな人なのだろう。善良なあの子の事だ、何か騙されたりしていないと良いのだが。

 心配と少しの好奇心を感じる。少年の世界で一番大切な親友であるレベッカは、少年と同じく敵が多い。それは、全く持って彼女のせいではないのだけれど。もしも、その『ルーシー』が彼女の敵ではなく、友となってくれるような人間ならば良いと少年は思った。

 と、同時に。

「ざ、ザック!」

「? 何か」

 比較的軽症な剣闘士が、遠くから少年を呼ぶ。

「向こうでレベッカが!」

「!?」

 少年は仔細を聞く前に牢屋から駆け出した。何が、あったのだ。獄舎の端から親友の姿が見える35番目の牢屋前へと、少年は全速力で走る。

 やがて、その状況が目に映った。

 小柄な、豊かな髭を蓄えた男。兜を被っているから、おそらく大会参加者だろう。その男は、誰かを組み敷いて、その上で弁当を食べているようだった。

 その、組み敷かれている人間……桃色の髪の少女。

 他の誰でもなく、少年の親友であるレベッカだった。

「何、をしてやがる、てめえ!!!」

 頭にカッと血液が昇るのを感じる。こうなると手がつけられない。少年の悩みの一つだった。男が足音に気づいて振り向くのと同時に、少年は懐から銃を構えて引き金を引く。今度は遊戯銃などではなく、実弾入りの拳銃だった。

 幼少の頃から鍛えられた射撃の技術は、並大抵の人間では手も足も出ない。放たれた鉛玉は、男の背を撃ち抜く……はずだったのだが。

「うおっ!何すんだよ、お前!」

 からん、と音がする。

 見ると、床にさっき放ったものであろう鉛玉が落ちていた。何故。少年は考える。確かに当てたはずなのだが。それに、さっき、見間違えでなければ……目の前の男は、銃弾を避けるでもなく、弾くようにしていた様に思う。

「……何だ、お前」

 ゆら、と少年はその切れ長の目を歪めて男を睨みつけた。銃が効かないのか。ならば剣か。そう思案していると、一つの声が彼を現実に引き戻す。

「ザック、やめて!違うの!」

 高くて柔らかな、だけど凛とした声。親友の、レベッカの、声。

「……はい」

 ドンキホーテ・アイザックは少し冷静になり、親友の方に向き直った。

「一旦、やめますけど。これは一体どういう状況なんですか、レベッカさん」

「私が、彼を殺そうとしたのよ。……決勝のために、実力者は少ないほうがいいから」

「……」

 彼女の顔に嘘は見られない。というか、彼女が嘘をつく所を見たことがない。ザックはふうと息を吐き、なるほど、と頷いた。そして、男と目線を合わせるように屈む。

「……納得しました。突然銃を向けてしまって申し訳ありません。お怪我は」

「ねェよ。あ、弁当弁当」

「えっ」

 男は床に落ちた弁当を拾い、食べ始める。ザックとレベッカ、それから剣闘士たちはその様子を驚いて見つめていた。

 レベッカが殺そうとしたことも、ザックが発砲したことも、意に介さずもしゃもしゃと食事を続けるその姿に、ザックは呆気にとられる。

(なんなんだ、この男)

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